パラッツォ
くりはらまさき
第1話 パラッツォ それはパーティからはじまる。
パラッツォは世界に2つとない建物である。建物そのものもそうであるが、むしろその由来によってである。
それはあまりにも広大な敷地にあるため、一見するとそうは見えない。敷地のほとんどは森か林で、そこに埋もれているためだ。
深い森にも見えるその敷地は、東西南北にいくつかの道路が走っている。それらの道路はほとんど一直線になっていて、それがこの広大な森林が人工的に作られたものであることを物語ってもいる。
すでに日は落ちようとしていた。地中海沿岸地方の夕焼けが西の空を輝かせている。
そのパラッツォの敷地を一直線に貫く道路を、何台もの車が走り抜けていた。
一直線の道路の行きつく先に、巨大な建物が立っている。
それは正面玄関から左右に300メートルあまり広がっているゴチック建築である。建築の前は広大な芝生になっている。サッカー場がいくつ作れるかわからないほどの広さに、噴水を中心にロータリーが丸く広がっている。
これがパラッツォの本館とされる建物であった。
車はその正面玄関に次々と停まり、後席から人を下していく。この本館で今夜のパーティが開かれようとしているのだった。
車の後席から降りた招待客たちは、皆タキシードかドレスをまとっている。さらに女たちは輝く宝石を身にまとっている。それはこのパーティが、彼女らにとって最も美しく着飾る必要のある重要なイベントであることを、その輝きで示していた。
建物の中に入るには、玄関正面の幅の広い階段を上らないといけない。客のうち女性たちは、ドアマンたちに手をとられてそれを昇っていく。
「…パラッツォ。初めて見るわ。」
「君はここに来るのが初めてなのかい。どうだい、この国の元王宮は。たいしたもんだろう。かつてロンバルドの王朝が華やかだった時代、その栄華をしのぶ建物というわけだ。」
「その王宮が今では個人の邸宅なんだから。」
「王室や大統領などの公人ではない私人が所有する邸宅としては、おそらく世界一の規模だと言われている。」
招待客たちはパラッツォの壮大さに口々に驚嘆の言葉を放っている。
玄関は樫で作られたドアになっているが、今日は開かれたままである。玄関の上には、重厚なかつてこの屋敷の主だった王家の紋章が、今でも重々しく掲げられていた。
玄関を入った客たちを、一人の若い女性が出迎えていた。
白いドレスをまとっている。重たげなパールのネックレスをまとった女性は、一目でそれとわかる東洋人である。それを強調するかのように、彼女は目の吊り上がったアイラインを引いている。
その女性は、招待客の一人一人に声をかけていた。
「今日はようこそ。ホステスのレイコ・リドです。」
「知ってるよ。私を忘れたのかい。」
と親しげに挨拶する客もいる。
こんなふうに二言三言の会話を交わして、客たちは中に入って行く。
右手に階段の間があり、踊り場のついた二つ折りの階段を客たちは昇っていき、ようやくパーティ会場にたどり着く。
そこはこの建物の右半分のほとんどを占める大広間で、床といい天井といい、華麗としか言いようがないゴチック装飾がほどこされている。天井からは10を超えるシャンデリアが下がっている。そこからは二十一世紀の世界を照らすLEDの灯りが、大広間全体を照らし出している。
すでにフル編成のオーケストラが生演奏を奏で始めていた。
曲はベートーヴェンの『田園』である。広大な森の中に埋もれているこのパラッツォでのパーティにふさわしい曲として選ばれた。
『田園』は高い天井に反響し、招待客たちに降り注いでいる。
ウェルカムシャンパンを手にした客たちは、総数で五百人はいるだろうか。それぞれの客たちは知人を見つけては会話をはずませていた。
一人のタキシードを着た若い男性が、同じようにタキシードをまとった男性と話をしている。その男性は髪がすでに白くなっていて、高齢のようだが足腰はしっかりしている。
若い男性はシャンパンを一口飲んでから、高齢の男性に話しかける。
「例のロンバルドのEU離脱の話題ですが、世論調査では賛成意見が多いらしいですね。」
「私もそのことに驚いている。愚かなことだよ。ヨーロッパ連合を離脱して、この国にどんな未来があるっていうんだ。
わがロンバルドの国家経済が今まで保たれているのは、ヨーロッパ市場に容易にアクセスできるようになった、EUの出現があってのことじゃないか。」
「それに加えて、今は外国人労働者がこの国の労働を支えている。これもEUあってのことですよ。
少子高齢化はこのロンバルドでも例外ではない。不足している労働力を外国人によって補っているのが現状です。そのことが一部の国民、いやこの国の底辺の連中を脅かしている。自分たちの仕事を外国人が奪っているとね。
外国人労働者はもっぱら他のEU諸国から流れ込んでいる。特に東欧あたりや、最近ではドイツにやってきたアラブ諸国からの移民で、あっちで仕事にあぶれたような連中がやってきているわけですね。
EUからの離脱によって、外国人の流入を阻止できると吹いている評論家がいるわけだ。」
「衆愚政治とはよく言ったものだ。大衆受けのする言論を撒き散らかしている者がいて、それを間にうける下層国民がいる。」
そこまで言って、高齢の男性は手にしたシャンパンを飲み干した。
「このパラッツォは、かつてわがロンバルド王国の王宮だった。ありし時代、ここに集まっていた貴族や知識人たちがこの国を動かしていた時代なら、そんな愚かな議論など、そもそも起きることなどあり得なかっただろうに。」
やがてこのパーティの主催者の挨拶が短く行われ、パーティは開催となった。
ホステスと称していたレイコ・リドは客たちの間を回り、好みの飲み物を聞いて、ボーイに指示を出したりして、忙しく動いていた。
会場にいる数百人は招待客たちばかりではない。カメラをかついだ報道関係者らしき人たちもあちこちに見られる。それほどこのパーティは世間の注目を集めているのだった。
そのうちの一組がレイコ・リドの前に立った。
「インタビューいいですか。」
「いいですよ。でもちょっと待って。髪を直しますから。」
彼女は手鏡を取り出し、髪とアクセサリーを直した。胸の巨大なダイアモンドがさらに輝きを増す。
「どちらの社ですか。」
「ロンバルトABCなんだけど。」
インタビュアーの若い男は、くだけた口調でそう答える。スキャンダルやゴシップニュースで売っているテレビメディアである。レイコはそれが解ったが表情に出さない。
「これでいいです。カメラを回していただいても。」
「あなたがこのパーティのホステス。えっと…。」
「レイコ・リドです。日本語の漢字はこう書きます。」
怜子は指で宙に書いて見せた。
インタビュアーはそれを見て漢字が分かった様子は無かったが、すぐに怜子のほうを向いてインタビューを続ける。
「日本人なんだね。このリド家との関係は?」
「娘です。」
「娘?」
「そうです。兄はエルベルト・リドです。」
「えっ。つまり、当主のエルベルト氏の妹…」
インタビューアはいささか驚いた表情を浮かべた。
「あなたは日本人ですが、ということは養子。」
「そうです。父はパラッツォ・ホールディングスの創業者でした。今、私は兄の下でパラッツォ・ホールディングスの広報担当取締役についています。」
「そうなんですか。いや、それは驚きましたね。」
そうと知ってから、インタビュアーの口調もなんだか丁寧になってきた。
「もう少し、お話を聞かせてください。
あなたはすごく美人ですがお歳は…。」
後ろのカメラマンがインタビュアーをこづいた。
それでも怜子は笑顔をうかべる。
「企業秘密ですが、二十代後半と答えておきますわ。」
「失礼しました。
いやしかし、リド家には令嬢が何人かいて、養子ばかりと聞いていましたが、本当なんですね。皆さん怜子さんのような美女ばかりということですか。」
ゴシップに強いロンバルトABCらしい質問ばかりだが、怜子は笑顔を絶やさないで答える。
「そうです。姉と妹がいますが、美人ばかりですよ。」
そのあと、いくつかの実に下らない質問に答えて、怜子はその場を離れた。とはいえ明日のニュースでどんな扱いをされるのか、気にはなっている。
インタビューが終わるのを見計らったように、タキシード姿の男が近づいてきた。
濃い髭を生やしているので、年齢が高く見えてしまうが、まだ三十代後半であることを怜子は知っている。
「どうだ。皆の様子は。楽しんでそうか。」
「ええ、エルベルト兄さん。皆さん盛り上がってるわ。」
「こんな古色蒼然たるパーティで、客の反応はどうかとも思ってたんだが、一安心だな。怜子の功績だよ。」
「というより、兄さんのパラッツォ・ホールディングスがこのロンバルド王国の経済に与えている影響力のなせる業よ。」
「妹にそう褒められると、お世辞でもうれしいよ。
…今のインタビューは何だ。」
「ロンバルトABCだそうよ。」
「あの局か。呼んでないはずだがな。」
そのことで特に気を悪くしている様子はない。パーティのホストとなるエルベルト・リドは、それじゃ後で、とだけ言ってその場を離れた。
そして怜子はまた、輝きと華やいだ空気で満たされているパーティ会場の客たちの中に入っていった。
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