第23話 エントランスロビー奪還作戦

 リビングから人の気配がしたため由梨と瑞穂は起き出した。

扉を開けるとソファーでくつろぎながらコーヒーを飲んでいるルーチェの姿があった。


「ルーチェさん、おはようございます。あれ? ルーチェさんはゲートを超えられないんじゃなかったんですか?」

「おはよう。なんだかよくわかんないんだけど抜けられたのよ」


どうしてゲートを通過できたかは未だ謎のままだ。

ひょっとしたら与一とのことが関係あるのかもしれない。

だけど与一と寝たことはわざわざ報告するような種類のことでもなかった。


 瑞穂は初めて見る外国人女性に戸惑いを隠せなかった。

こんな人が住人にいただろうか。

しかも全く違う言語を喋っているのになぜかその意味がわかってしまうのだ。


「な、なんなのですか? あの、こちらの方の言葉が……えっ? えっ?」


与一は二人を紹介しあい、事情の説明をした。


「百聞は一見に如かずですから、カバリア迷宮を見てもらった方が早いですね。佐伯さん、自分の部屋に来てもらえませんか」


 早朝の一時を使い、与一は瑞穂に現状を理解させた。


「わかっていただけたでしょうか?」

「はぁ……もう、何が何だか」


ゾンビにしろゲートにしろ、不思議なことが多すぎて考えがまとまらないのだが、現状を受け入れるしかないことだけは瑞穂にもわかっていた。


「私の知っている世界はもうないんだから、新しい世界を受け入れるしかないですよね」


瑞穂は意外にサバサバした気持ちでいた。

どうせ離婚を決めてからずっと生活をリセットしたいと思ってきたのだ。

もちろん、ここまで過激な変化を望んだわけではないけれど、どうあがいたってやり直しはきかない。

つくづく、人生にはリセットボタンなどついてないのだと思い知る。

あるのは電源ボタンだけだ。

だけど人生を悲観して電源ボタンを切るのはまだ早い気がする。

私は運良く生き延びた。

ゾンビの来ない安全地帯も見つけた。

ずっと可愛いと思っていた隣の男の子も自分に良くしてくれている。

命を絶つのはまだ早い気がした。



 四人はトーストとコーヒーだけの軽い朝食を終えて、エントランスロビー奪還、及び正面玄関封鎖作戦について話し合った。

建物の構造をルーチェに説明するために、瑞穂がフリーハンドで見取り図を描いていく。

学生の頃は漫画研究会にいたという瑞穂は、見やすい見取り図を素早くかきあげていった。


「ゾンビの数はおそらく三体。でも、昨晩俺が見たときには玄関が開いていたから、新たに侵入してきた奴がいてもおかしくはない。どうしたらいいと思う?」


求められてルーチェは自分の意見を述べた。


「ゾンビを狩ること自体は比較的簡単なことよ。なんせ奴らの頭は空っぽだから。頭の悪い奴は撤退という言葉を知らないの」

「つまり?」

「罠を仕掛ければ入れ食い状態になるのよ」


ルーチェの立てた作戦は単純だった。

まずはロビーを偵察。

敵の数を確認して弓矢で奇襲攻撃を仕掛けたのち、二階踊り場の陣地まで撤退。

陣地より階段を上ってくるゾンビを上から弓矢で攻撃。

階段中央部を突破されたら更に後退し、同じことを繰り返すというものだ。


「弓矢の腕はあがった?」

「ナウリマに基本は教えてもらったけど……」


動かない的なら与一でも少しは当たるようになっているが、動物などに当てた経験はまだない。


「戦いの基本は遠距離よ。与一ならネクタリアの力で感染は防げるかもしれない。だけどこちらの世界では怪我は治らないんでしょう?」


あれから試してはいないが、調理中に切った指は治らなかった。


「万が一攻撃を受けた場合は急いでカバリア迷宮に入りなさい。それで助かるんだから」


与一は素直に頷いた。


「魔物は基本的に人間よりも強力だと考えてね。人間は一人では敵わないからパーティーを組んでこれを狩るのよ。焦って突出する者は死ぬし、全員が消極的なら獲物を取り逃がすか全滅が待っている。自分の役割を良く見極めてね」


四人は一時間ほど弓の練習をしてから作戦を開始した。



 ルーチェが中の様子を窺うと、エントランスロビーには五体のゾンビがうごめいていた。

ゾンビがルーチェと与一に気が付く前に二人は短弓に矢をつがえて狙いを定めた。

ルーチェが左、与一が右とあらかじめ決めてある。

与一はゾンビの顔がよく見えないように薄目で敵を確認している。

右側にいたのは吉田夫人であったが、与一は引き絞った矢を放った。

二本の矢がゾンビに向かって放たれる。

ルーチェの矢はゾンビの胸に、与一の矢が眉間へと突き刺さった。


「撤退!」


ルーチェの指示に従い、与一はそのまま階段を駆け上がる。

二階の踊り場で待機している瑞穂と由梨の脇を駆け抜けて三階まで登り、新しい矢を弓につがえた。


 ゾンビの動きは決して機敏ではなかったが、予想以上に素早かった。

百メートルなら二五秒くらいで走れるのではなかろうか。

待ち受けていた由梨と瑞穂はゾンビの姿が見えた途端に用意していた矢を放つ。

二本とも外れてしまったが、気にせずに階段を駆け上がり与一とルーチェの横を通り過ぎて四階まで上った。

 このように二組が順番にゾンビを攻撃していくのだ。

三階からの攻撃では二人の矢が命中しゾンビの数は着実に減っていった。


「あと二体。無理をするな」


ルーチェが由梨たちに声をかけながら階段を上がる。

二人とも、もとよりそのつもりだ。

それぞれが放った矢が今度はゾンビの身体に命中していたが、頭部に命中しない限りゾンビは活動をやめなかった。


 最後のゾンビは六階の陣地から由梨が放った一矢で排除された。

自分の放った矢を頭部にうけて倒れたゾンビを見て由梨は呆然としている。


「塚本さん……あれはもう人間じゃない。動物ですらないから……」


慰める与一にしがみつき、由梨は声を上げずに泣いた。


「時間が無い。正面入り口を封鎖する」


ルーチェは瑞穂を連れて先に一階に向かったが、無理やり由梨を与一から引き離すようなことはしなかった。


「塚本さん、辛いだろうけどいかなくちゃ」

「うん……もう大丈夫。いこう」


 由梨は二分も経たずに泣き止んで与一の胸から顔を離した。

意外と強い一面を持っていることに与一は驚いた。

だが、これが由梨の中で覚悟が決まった瞬間だった。

世界は変革されてしまったのだ。

ならば私も変わらなければ生き残ることはできまい。

ましてや自分が与一を助ける存在になるためには変わらざるをえないのだ。

由梨はもう迷わないと決めた。

ゾンビがいればこれを討ち、必ず自分と与一の生活を守るのだ。

 階段を駆け下りようとしたが、緊張のために足がもつれて転びそうになる。

だから由梨は思い切ってジャンプした。

四段くらいの階段など軽く跳べてしまうことを由梨は初めて知った。



 与一と由梨がエントランスロビーに到着すると、既にルーチェと瑞穂が管理人室から家具を取り出して正面玄関を塞いでいる最中だった。

重たそうなソファーを二人がかりで運んでいる。


「待ってくださいルーチェさん。お、落ちる……」

「もう。女なんだから身体強化くらいしなさいよ」

「何ですかそれ?」

「魔力の基礎的応用じゃない、って、この世界の女は魔法が使えないんだっけ?」


瑞穂の顔に驚きが広がる。


「ルーチェさんって魔法が使えるんですか?」

「そうよ。貴方もカバリア迷宮に来たら使えるようになるかもしれないわ。与一は無理だったけどね」


魔法が使えるようになるかもしれないという一言が瑞穂に火をつけていた。

三十路主婦といえども元は漫研出身のオタクだ。

そんな状況に憧れないわけがない。


「わ、私が魔法少女!」


少女はないだろうとその場の全員が思ったが、つっこむ者は一人もいなかった。

瑞穂は実年齢よりは若く見えるのだが、それでも二十代後半くらいのものだ。


「保証はしないけど可能性は大いにあるわ。由梨もね」


一方、由梨の方は魔法と言われてもピンときていないようだった。


「魔法って、箒で空を飛べるとか?」


そう言われてルーチェは困惑した顔をする。


「箒で空? どうやって?」

「またがって……」

「……痛くないの?」

「痛そうです……」


手を動かしながらも微妙な会話は続いていた。



 ガラスの部分に家具などを大量に積み上げてしまったので、ロビーは薄暗くなってしまった。

だが、防備を固めるためには仕方がない。

当分は出かける予定もないので良しとした。

最大の目的だった鍵束は管理人室で見つけることができた。

食料も冷蔵庫の中の物はまだ傷んでいないようだ。

長期保存がきく物はカバリア迷宮へ移し、要冷蔵の物は冷やさなければならない。

ソーラーパネルの電気が使えるかはまだ分からないが、ペントハウスの安全確認や各部屋を回って物資の回収をすることが急務だった。

今日という日はまだ始まったばかりだ。

与一たちは次なる行動をするべく活動を開始した。

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