第18話 女子会

 たくさん歩いたので、与一たちは汗だくだった。


「塚本さん、変な意味じゃなくてシャワーを浴びといた方がいいと思うんだ。いつライフラインが止まってもいいように……」


与一に性的な目的はない。

その気持ちは由梨にも伝わっていた。


「うん。だったら芹沢君が先に入って」

「そんなに慌てなくても大丈夫さ。ライフラインが確実に止まると決まったわけじゃないんだし」


そうは言ったものの与一はあまり楽観していなかった。


 由梨がお風呂に入ったのを見計らって与一はゲートをくぐる。

ルーチェは陽当たりの良い場所に小さな菜園を作っている最中だった。


「おかえり~、どうよ、この素敵な畑は」


ルーチェのノンキな声が響く。

畳三枚ほどの小さな畑が出来ていた。


「何を植えようかしら? ジャガイモとかが実用的だとは思うけど……どうしたの? 難しい顔をして」

「街がゾンビに襲われている」

「ゾンビですって!?」


ゾンビの概念はどちらの世界も共通だった。


「かなりまずい状況なんだ」

「そりゃあそうでしょう。でも普通ゾンビってダンジョンからは出てこないものよ。あんなのが地上に現れたら街も村もひとたまりもないわ」


そうは言ったがルーチェには与一の危惧が真の意味で理解できていない。

百万人を超える人口過密都市など想像もつかないものだ。


「とりあえずゲートの向こうで情報を集めるよ。悪いけど夕飯は任せていいかな? 素材は持ってくるから」

「こっちのことは気にしなくていいわ。気をつけてね。そっちではネクタリアの力も制限されるんでしょう? 何かあったらすぐにこっちに来るのよ。カジンザたちにも知らせておくわ」

「ありがとう。それと友だちが俺の部屋に避難しているんだ。ことによったらこっちに連れてくるかもしれないから、そのつもりでいて」

「うん。ところでその友達って男?」

「いや、女の子だよ」

「与一の好きな子?」

「そういうのとは違うな。今日たまたま大学を案内していたんだ」


与一には由梨に対する恋愛感情はない。

優しくするくらいなのだから憎からず思っているのだが……。


「そう……」


嘘をついているようには見えないし、たとえ彼女であったとしても自分がとやかく言うことではないとルーチェは思った。

ただ何となく落ち着かない気分だった。


「少しこちらにも荷物を運んでおくよ。保存食とか服とか食器とかね。万が一に備えてだけど」


与一の部屋にも鍵はかかるようになっている。

部屋が七階にあること。

マンションのオートロック。

自宅の鍵に部屋の鍵。

とりあえずゾンビは侵入してこないとは思う。


「ここまで来ることはないと思うけど、一応は頭の中にゾンビのことをいれといてね」

「わかった。与一、武器を持って行きなさい」


与一の剣も槍もこちら側に置きっぱなしだ。


「武器か……」

「友達を守ってあげなきゃいけないんでしょう? ゾンビが街を徘徊するなら武器は必要よ」

「そうだね。ルーチェの言う通りにするよ」


与一は蜻蛉切を掴むと自分の部屋へと戻った。


 由梨は自分がわからなくなっていた。

街はゾンビで溢れ、両親とも離れ離れになっているのに喜びが収まらないのだ。

先ほどは与一と二人でキッチンに立って夕食の準備をした。

今はリビングに向かい合わせで食事をしている。

新婚の気分ってこんな感じなのかな? 

不謹慎だと思いながらもそんな考えを抑えきれずにいる。

まだ自分は現実をきちんと捉えられていないのだろうという冷静な判断も出来ていたが、それでもなお浮かれてしまう自分が恥ずかしくもあった。



 窓から見える夜空が赤々と燃えていた。

あちらこちらで火事が起きているようだ。

サイレンの音はさっきからひっきりなしに続いている。

与一は知らなかったが都内では病院を中心にゾンビ感染が拡大していた。

二人は眠れないままにテレビを見続けた。

ついに自衛隊が荒川・多摩川・入間川などの河川を使い、東京と埼玉の一部を封鎖する作戦に出たようだ。

封鎖地域にいる人間は家に閉じこもり、自衛隊がゾンビを駆逐するまで決して家から出ないようにと呼び掛けていた。

そうはいっても東京都以外にも感染は既に広がっている。

今後の予測は誰にもつかなかった。


「食料を早い時点で確保しておいてよかったね。今頃は食べ物をめぐって争いや略奪が起きていてもおかしくないと思うよ」

「うん。広報の通りしばらくは引きこもっていた方がいいかもしれないね」


時刻は23時に近づいていた。


「そろそろ寝る? 使っていない部屋があるから、そこに来客用の布団を敷くよ」

「うん……」

「この家には女性用の服はないけど、俺のTシャツで良かったらパジャマ代わりに着てね」

「ありがとう。貸してもらうね」



 由梨におやすみを告げて与一は自室に戻った。

長い一日が終わろうとしている。

ルーチェはもう寝てしまっただろうか。

与一は寝る前にクローゼットの扉をそっと開けてみた。

炎に照らされて馬のお尻が見えた。

ナウリマが来ているようだ。

もう寝ているのだろうか。

やや躊躇った後、与一はゲートをくぐった。



 寝ていると思われたルーチェとナウリマは起きていた。


「あら与一、どうしたのこんな時間に」

「こんばんは与一さん」


二人は炎のそばでくつろいでいる。

リラックスした冒険者とケンタウリーはファンタジーな女子会をしていたようだ。


「邪魔しちゃったかな」


ルーチェは肩をすくめて見せる。


「構わないわよ。こっちに来て座れば」


ナウリマはもっと口が悪い。


「女の子を部屋に連れ込んでいるそうですね? もう交尾は済んだのですか?」

「交尾って……。客間で寝てもらっているよ。あっちでは町中にゾンビが溢れているんだ。そんなロマンティックな夜にはならないよ」

「あら、スリリングな状況だと男も女も興奮すると聞きましたが」


危機的状況の中にいると吊り橋効果というやつで男女の仲は進展しやすいと与一も聞いたことがあった。

その分、別れるのも早いらしいが。


「あいにくそんな余裕はなくてね。街は無法地帯になりそうなんだ」


ルーチェは与一の方を見ずに呟く。


「だったら、傍にいてあげた方がいいんじゃない? 心配で眠れないでいるかもよ」

「……そうかもしれない」


与一も途端に不安になった。

恐怖の対象はゾンビだけではない。

混乱に乗じて犯罪を犯すものや、パニックに陥り常軌を逸した行動をとる者だって少なからずいるだろう。

マンションの住人がゾンビ化したとしてもおかしくない状況だった。



 与一は部屋へと戻り、ルーチェとナウリマだけが残った。

パチパチと小枝がはぜる音が響いている。


「ルーチェさん」

「なに?」

「嫉妬ですか?」


ルーチェの視線が険しくなった。


「なんで私が。与一と付き合ってるわけじゃないし、あいつが女を連れ込もうと気にしないわよ」

「そうですか。恋愛感情はないんですか?」

「そりゃあ、助けてもらったし、嫌いではないわよ。優しくしてくれるしね。でも恋愛感情というと……どうなんだろう?」


与一はルーチェがこれまで好きになった男とは完全に別タイプだ。

ルーチェが過去に好きになった男はもっと行動力のある、パーティーのリーダーによくいるタイプの男だった。


「私は全然アリだと思うんですけど」

「それはナウリマが他の男を知らないからじゃない? ここにはカジンザしかいないわけだし」


ルーチェの言にも一理あるが、ナウリマの言い分も仕方あるまい。

自分の生活圏から恋愛対象となる異性を選ぶのは生物として当然のことだ。


「与一さんにセックスアピールは感じないんですね」

「そうではないけどさ……」


ふいに池で見た与一の肉体を思い出してルーチェは顔が火照った。

そういえば与一の手足はスラリと長かった。

あの腕が私を抱きしめたらどんな感じなのだろう。

……。

あの時は何とも思わなかったのに今頃になってどうしたというのか。

それもこれも全部この馬娘が絡んでくるせいだ。


「今夜はやけに絡むじゃない。どうしたの?」

「いえ、ただの好奇心ですよ。ルーチェさんは与一さんと交尾したくないのかなって」


ルーチェも普通の女の子だ。

悶々とする夜はある。


「正直に言えばしたいなって日はあるわよ。だけど、それで情が移ったら……厄介でしょ」


ルーチェは地上に帰ることを切望している。

いずれはここを離れる身なのだ。

与一が一緒に地上に来るのならいざ知らず、彼の半分は別の世界に属していた。

与一の全ては自分のものにならないことをルーチェは理解している。

そして自分は与一の半分だけで満足できる女ではないことも自覚していた。


「ナウリマも大変ね。ここには他のケンタウリーはいないんでしょう? 恋人も作れないじゃない」

話題を変えようとルーチェはナウリマに話題を振った。

ナウリマもそういうことを考える年齢だ。


「そうですね。いっそ与一さんとつがうのも悪くありませんね」

「へっ?」


ルーチェは本当に間の抜けた顔をしていた。


「ケンタウリーの記録には多くのそういった例があるのですよ。特にケンタウリーの雄が人間の雌を孕ませたという事例は多数あります。逆も多いので何ら問題はありません」

「あ、あの、あ~……できるの?」

「はい。構造的には――」


本当にナウリマがこの提案を与一に持ち掛けるか、また与一がナウリマの提案を受け入れるかは今のところわからない。


「なるほど、ちゃんとできるのね」

「はい。一度ケンタウリーを抱いた人間はケンタウリーから離れられなくなってしまうそうですよ」


ナウリマの微笑みは妖しかった。

二人の女子会はもう少し続く。


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