第17話 スタンド バイ ミー
駅は人で溢れていた。
電車はJRも地下鉄も動いていない。
人身事故の為に全線が止まっており、復旧のめどはたっていないというアナウンスが繰り返し流れていた。
与一はすぐに諦めてタクシーを探したがそんなものはどこにもなかった。
「塚本さん、九キロくらいなら歩ける?」
「うん。大丈夫だよ」
散歩好きの与一は四月に荻窪から高田馬場まで歩いた経験がある。
二時間もかからない距離だ。
由梨も特別スポーツが得意なわけではなかったが平均的な体力を有している。
「行こう。お母さんのことは心配だと思うけどここにいたらまずいと思うんだ」
「うん」
二人は早稲田通りを少し足早に西へと移動しだした。
由梨はゾンビというものに現実感を持てずにいた。
投稿サイトの動画はまるで映画のようでとても真実とは思えなかった。
家族のことは心配だったが、与一と一緒にいるせいで、むしろ普段よりもワクワクするような気持になっている。
街に暮らす大多数が由梨と同じように直面する危機を理解していなかった。
だが与一は日頃からカバリア迷宮に出入りしている。
自分を取り巻く世界の突然の変化というものに耐性が出来ていた。
「どこかで食料を確保しよう。幸い水だけは当てがあるから大丈夫だよ」
ゲートをくぐれば小川やイリス池で水は汲み放題だ。
浄水器はネットで購入したものと自作したものの二種類が確保してある。
「この先にスーパーマーケットがあるから食料を買っておこう。時間が経てば奪い合いになるかもしれないから少し急ぐね」
「大丈夫、走れるよ」
現実感はなかったけど由梨は与一の言葉だけは無条件に信じられた。
「とりあえず塩だけは絶対に買いたいな。あとはお米だね。缶詰とか日持ちのするものもいいかな」
米の確保は絶対だ。
肉や野菜は迷宮でもとれるが米の栽培は無理だと思った。
ジョギングくらいのスピードで二人は走っている。
与一はべらべらと話しているが、由梨は息が切れて返事をすることが出来なかった。
受験生は普段ほとんど運動をしないものだ。
道沿いにあった小さな個人商店で二人はデイパックを買うことができた。
長距離を荷物を持って歩くのでリュックサックは必須のアイテムだ。
店のおじさんは小さなテレビにかじりつくように報道番組を見ている。
「信じられるかい? これ池袋だって」
「らしいですね」
いよいよ、地上波でもゾンビのニュースが報道され始めた。
画面には警察官がサスマタでゾンビを確保している映像が映しだされている。
だが、おじさんは自分に災いが及ぶとは思っていないらしい。
「場所も近いし用心した方がいいですよ」
「そうだねぇ。はい1200円のおつりね」
店でタグを外してもらい、その場でリュックを背負って二人は再び走り出した。
今度は食料品を買わなくてはならない。
時間が無かった。
必要なものを買いそろえて二人はスーパーマーケットを出た。
人々が食料を求めて店に殺到する前に買い物を終えることができて与一はほっと息をつく。
由梨の着替えなども目に付いた店で購入できた。
与一が金を出し、下着類は少し多めに購入してもらった。
現時刻は十時過ぎ。
都内で最初の暴動が起こるのはこの二時間後だ。
ゾンビを直に見てやろうと池袋に詰め掛けた野次馬が警察の活動を妨げ、次々と人がゾンビ化した街はパニックに陥る。
そんな騒ぎに乗じて大型家電量販店が襲われるのだ。
三十分後には新宿にもゾンビが現れるのだが今のところ町は平和だ。
実を言えば最初のゾンビ発生は霞が関でもう起きている。
政治家を含む政府高官数名が既にゾンビ化し、中央省庁の混乱がゾンビ拡大に拍車をかけていた。
与一たちは阿佐ヶ谷に到着していた。
マンションまではもう少しだ。
歩いている途中に与一の父親の春彦とは連絡がつき、お互いの無事は確認しあえたが、由梨の方は両親と連絡がつかずにいた。
さっきから何台もの救急車がサイレンを鳴らしながら通りを走っていく。
警察車両もひっきりなしにやってきていた。
「こちらは警視庁、杉並警察署です。現在東京都では原因不明の病気により、人が人を襲う事件が各地で発生しております。都民の皆さまは不要不急の外出を控え、安全な場所での避難をお願いします」
街を巡回するパトカーが大きな音でアナウンスを鳴らしている。
被害を拡大しないためには家の中に閉じこもっておくべきなのだろうが、それが出来るのはライフラインと食料が続く限りだ。
遅かれ早かれ人々は外出しなければなるまい。
だいたい交通機関が麻痺しているせいで帰宅困難者が山ほどいるのだ。
彼ら全員を収容できる安全な場所がどこにあるのかもわからなかった。
唐突に由梨の携帯電話が鳴った。
画面の表示では発信元は母親だ。
「お母さん?」
「良かった! 由梨ちゃんは無事なのね」
「お母さん今どこにいるの?」
「お父さんと一緒に目白警察署よ」
体から力が抜け由梨は膝をつきそうになった。母は父と合流できたようだ。
「よかった。そっちは大丈夫なの?」
「ええ。家に入って来た人は警察に確保されたみたい。でも二丁目はおかしくなってしまった人でいっぱいなのよ。由梨ちゃんを迎えに行きたいんだけど、警察の人が言うには規制線というのが張られていて豊島区からは出られないらしいの。今どこにいるの」
「阿佐ヶ谷駅を過ぎた辺り。電車が動いてないから荻窪まで歩いてるの」
「芹沢君と一緒なのね」
「うん」
「ちょっと電話を代わってくれないかしら」
「わかった。芹沢君ごめんなさい、うちの母が芹沢君とお話ししたいみたいなんだけどいいかな」
丁寧な挨拶をされた後、与一はしばらく由梨を保護してくれるように頼まれた。
もとよりそのつもりだったので与一に異存はなかったのだが、自分が一人暮らしということは最後まで言えなかった。
母親としては与一が実家で両親と暮らしていると考えていたらしい。
由梨は与一が一人暮らしということを知ってはいたが、与一同様にその事実を親に言うことはなかった。
言ったところでどうしようもないという気がしていたし、与一が自分を求めてきたら喜んでその身を差し出すつもりでもいた。
歩きながらそんな妄想をもう三回ほどしている。
最後に与一の家の住所と電話番号を確認して母親は電話を切った。
自宅付近まで歩いてきたが、外にいる歩行者は普段に比べて圧倒的に少なかった。
住民は警察やテレビの呼びかけに従って外出を控えていた。
もしもゾンビの抑え込みに失敗すれば物資の奪い合いが起きるだろう。
与一たちが歩いているときも山のような荷物を抱えた人と何度かすれ違っている。
当面の食料は手に入れてはあるが、不安は尽きなかった。
マンションに帰りつき、オートロックを開錠してエントランスに入る。
もしも停電になればこのオートロックは施錠されなくなると与一は聞いていた。
力を入れれば扉は開き、簡単に入ってこられるようになる。
ゾンビや不審者が入ってくることを思うと与一は戦慄したが口には出さなかった。
由梨を怖がらせるのもよくないと思ったのだ。
「遠慮しないで入ってね」
「お邪魔します」
重い荷物を担いで九キロの道のりを歩いてきたので由梨は疲れていた。
けれども今は胸の高鳴りで疲労は完全に忘れている。
男の子の家に入るのは小学生の時以来だったし、二人っきりだと思うと緊張で疲れどころではなかった。
リビングに由梨を通した与一はすぐにテレビをつけた。
とにかく情報を得たかったのだ。
「荷物を整理しちゃうね。塚本さんはニュースをよく見ておいて」
「うん」
与一は冷蔵庫へ入れる物を最優先でしまい、由梨はテレビを注視した。
「御覧のように新目白通りは物々しい交通規制が敷かれており、ここから南北の出入りはできないようになっております。このように警察と自衛隊により池袋周辺の封鎖作戦が展開されておりますが、全ての道が完全に統制下におかれるのにはまだ時間がかかり、凶暴化した人々を確保する作業は困難を極めています。当該地域にいらっしゃる皆さん、外出を避け、なるべく屋内に避難してください。また様子のおかしな人を見かけた場合は近づかず、警察や消防への通報をお願いします」
映像がスタジオへと切り替わる。
ここで警報と共にテロップが流れた。
――新宿にて罹患患者発見
「速報です。現在お伝えしているゾンビと酷似した状態の人々ですが、新宿駅にも現れました。場所は新宿駅東口とみられております。お近くにいらっしゃる方は速やかに非難してください」
ふと気が付くと由梨が与一を見つめていた。
だが、いつもの気弱そうな態度はどこにもない。
毅然とした表情がそこにはあった。
「芹沢君。お風呂にお水をためておいたほうがいいかも。お鍋とかにもあるだけ全部。飲み水の他にトイレや口をゆすぐのにも使えるから」
由梨の意外な一面を見て与一は嬉しくなった。
「うん。そうするよ。俺はお風呂の方をやって来るから、塚本さんは鍋の方をお願い。シンクの下に入っているから」
二人はすぐに行動を開始した。
総理大臣をはじめ閣僚は、霞が関地下一階の危機管理センターより事態を収拾しようと指揮をとっていた。
だが共に避難した外務大臣がゾンビウィルスを発症、スタッフに感染が広まる。
難を逃れた総理たちは何とか脱出し、市ヶ谷にある防衛省へと移動した。
しかしその翌日に防衛省の建物内でも多数が同時発症した結果、拠点を放棄せざるを得なくなり、立川市にある立川広域防災基地へと移ることを余儀なくされる。
この間にゾンビの数は爆発的に増え続け、三日間で八十九万人が罹患することとなった。
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