第10話 不死者

 罠にかかって宙吊りになったナウリマを助けてからカジンザは与一に向き直った。

その姿は筋骨たくましく、顔は理知的だ。

与一は倫理の教科書に載っていたソクラテスの絵に似ていると思った。


「お主はアンデッドか?」


カジンザの視線は鋭い。


「いえ。自分は普通の人間です。芹沢与一と申します」


どうにか挨拶の言葉を口に出すが、喋ると矢が刺さったままの傷口が傷んだ。


「儂はカジンザだ。見ての通りケンタウリーだよ。痛みがあるようなのでゾンビではなさそうだが……。治療をした方がよいのかの?」


与一は力なく頷いた。


「どういうことよこれ? 異世界人は矢傷を受けても生きていられるというの?」


ルーチェが慎重に傷を調べながら聞いてくるが、与一にだってよくわからない。


「そんなことないよ。普通は死んでいると思う。どういうことなのか俺にも良くわからないんだ。とにかくこれを抜いてくれないかな」


ルーチェは躊躇った。

下手にぬけば失血死してしまいそうで怖かったのだ。

助けを求めるようにカジンザとナウリマの顔を見てしまう。

カジンザはしばらく与一の傷を見ていたが、やがて合点がいったようだった。


「与一といったな。お主、ネクタリアを食べただろう」

「ネクタリア?」

「これくらいのピンク色をした果実だよ」


カジンザはごつごつした指で輪っかを作って見せる。


「あっ、今朝食べた桃の実」

「アンタ、ネクタリアを見つけたの!!」


ルーチェは叫ばずにはいられない。

ネクタリアは冒険者たちがカバリア迷宮に挑む最大の目的だ。

それを見つければ一生遊んで暮らせる金が手に入る。


「今朝話しただろう。ルーチェにも食べさせてあげようと思って探したんだけど、一粒しかなってなかったんだよ」


与一の言葉にルーチェは脱力する。

かくしてネクタリアは失われ、与一は120年の寿命を得た。


「無欲の勝利じゃのぅ」


ケンタウリーたちは面白そうに笑っている。

強靭な肉体を持ち、平均寿命が130年を超える彼らにネクタリアは大した価値を持っていない。

しょげるルーチェと愉快そうなケンタウリーに囲まれて、与一は情けない顔をして言った。


「とりあえず矢を抜いてくれませんか……」



 矢は深く食い込んでいて引き抜くのは難しそうなので、矢羽を落として背中側へと押して出すことになった。

カジンザが剛力をいかんなく発揮して矢を押し出すと、与一はあまりの激痛に気を失いそうになる。

だが、矢が完全に身体から抜けてしまうと痛みはスッとひき、傷口は瞬く間に塞がっていった。

ものの数秒もしないうちに怪我など元からなかったような状態になってしまう。

我が身に起こった奇跡に与一は言葉を失っていた



 夕暮れの楽園の風景は官能的でさえあった。

したたり落ちるような夕日に、優しい凹凸おうとつをした地形がしめやかな影を作り出している。

ケンタウリーの住む洞窟の前には火が焚かれ、四人はそれを囲んでいた。


 木製の椀にウイスキーを注ぎ、薫る芳香にカジンザの相好そうごうが崩れた。


「与一よ、ありがたくご馳走になる」


深々と頭を下げてからカジンザはゆっくりと琥珀色こはくいろの液体を飲み下した。


「うまい……。記憶に残る酒の味を上回っておる。美化された思い出の味さえも上回るとはな……。たいした酒だ」


ジャパニーズウィスキーは世界的に人気が高まっていると聞いたが、異世界でも評価は高そうだ。

ルーチェも一緒に飲んでいたが、このような高級な酒は庶民では飲めないと言われた。

 しみじみと酒を味わうカジンザに与一は疑問に思ったことを聞いてみることにした。


「あの、自分はネクタリアを食べたわけですが、これで決して死なない身体になったというわけですか」

「うむ。不老不死とはいかんがの。寿命は120年に伸びた。その間は肉体を両断されようが、猛毒を盛られようが死ぬことはない。病気なども一切しない。体をいくら動かしても疲れることすらないそうだ」

「例えば、魔物に食われた場合はどうなります? 牙で体を引き裂かれ、消化液で溶けてしまった場合は」

「そういう時は自分の望む場所で肉体が再構成されると聞いておる」


つまり、魔物に食われた場合は、任意の場所で復活できるようだ。


 カジンザは干し肉を切るために持っていたナイフを一閃させて与一の指を切り落とした。

焼けるような激痛が一瞬だけ走るがすぐに収まる。

切り落とされた与一の人差し指は青い光の粒になって宙に舞い上がり、切られた指先へと戻ってくる。

そして光が収まると指は元の通りになっていた。


「体の一部を切り離されてもこの通りだ。溶岩の中に身を投じても好きな場所で復活できるだろう。実際に試す場合は儂も呼んでくれ。後学のために是非とも見物しておきたいからの」


与一は手を握ったり開いたりしてみたが、違和感はどこにもなかった。

指を切り落とされたことなどなかったかのようだ。

少しずつ与一の中に喜びが実感を伴って広がっていく。

人間から死の恐怖が取り除かれたのだ。

誰に何をされても死ぬことはない。

不当な暴力に屈する必要がなくなったと思えば当然の喜びだった。


「おめでとう与一。お主は大いなる自由を手に入れたのだよ」


他者によって生命を害されることがない自由とは幾ばくのものだろうか。


「大いに人生を楽しみたまえ」


カジンザは小さく酒杯をあげて与一を祝福した。


 高揚した気分が少し落ち着くと与一はいつものように周りに目を配る余裕が戻ってきた。

ナウリマは先ほどの罠で宙吊りになっている。

今更ながら怪我などはないかと心配になった。


「ナウリマ、足は大丈夫?」

「与一ほどではありませんがケンタウリーは丈夫なのですよ。ほら」


焚き火の明かりにぼんやり浮かぶナウリマの脚は、少し毛が擦り切れて地肌に血が滲んでいた。

しかし、歩くのに支障はないようだ。


「ああいう冒険者はしょっちゅうやって来るの」


与一の顔は不安げだ。

不死身の身体を手に入れたとはいえ、人の悪意からはなるべく距離を置きたかった。


「そんなことはありません。冒険者自体は二カ月に一度か二度やって来るくらいですが、たいていは無害な人々です。少なくともケンタウリーに喧嘩を売ってくる人は滅多に来ません」


ケンタウリーに手を出せば全滅の危機に瀕する危険性は誰もが理解している。

そんなリスクを冒す愚者は滅多にいないということだ。


「こんなものを手に入れなければ、あいつらも死ぬことはなかったかもしれんな」


カジンザはそう言いながら「隷属の首輪」を焚き火にくべた。


「あっ」


与一とルーチェが同時に声を発していた。

カジンザは肩眉を吊り上げる。


「うん? こんなものが欲しいのか。よしておけ。己が着けられることを想像すれば燃やしてしまう方がいいことくらい理解できるじゃろう。それとも何か、ルーチェにでもつけてみたいのか」

「とんでもない! そんなことはみじんも考えていませんよ」


与一は大慌てで否定する。

与一にもルーチェにも後ろ暗い想像はあったが、それを実行する気はない。

与一は性的な想像を少しだけしたし、ルーチェは不死身の与一を迷宮で使役することをちょっとだけ考えた。

本当のことを言えば与一を使った性的な妄想も少しだけ……。

だけど実行しようと考えるほど悪人ではなかったし、二人の友情は日増しに厚くなっている。

馬鹿々々しい空想を否定するようにルーチェは焚き火に枝を投げ入れた。



 すっかり日の落ちた森の中を懐中電灯が作る二筋の光の帯が照らしていた。

ルーチェと与一は並んで歩いている。

道などはなく足場は悪い。

それでもルーチェは苦も無く歩き、ややもすると与一は遅れがちになる。

段差に足をとられて転びかけた与一に手を貸しながらルーチェは問いかけた。


「これからどうするの」


与一はその意味を図りかねる。

ルーチェが言っているのは当面の行動予定なのか、将来のビジョンか。


「それってどういうこと?」


与一の腕をひきつけながらルーチェは顔を近づけた。


「与一は不死の身体を手に入れたのよ。冒険者にとって、こんな羨ましいことはないの。だってカバリア迷宮の……いえ、世界中どこの冒険にだって挑めるわ」


死や負傷にたいするリスクを考えずに済めば、冒険はずっと楽になることだろう。

金も名誉も手に入る確率はずっと高まるかもしれない。

ルーチェが望んでいる地上への帰還だって簡単に行えるだろう。

痛みへの恐怖さえ克服できるのならば、その辺を徘徊している魔物に食べられてしまえばいいだけだ。

ある一定以上の破損を肉体が受ければ本人が望む場所で復活を遂げられる。

灯油をかぶって自らに火をつけるのだって構わない。

 だが、与一には特にこうしようという目的はなかった。

とりあえず大学は卒業したかったし、メインとなる生活の場をこちらの世界にするつもりもないのだ。

与一は日本人であり、基本となる生活の場はやはり日本が良かった。

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