第8話 ナウリマ

 ルーチェの起床は日の出と共に始まる。

日が昇ってしばらくは与一はやって来ないのはわかっていた。

起きてから約一時間は一人で過ごす時間だ。

川まで下りて顔を洗い、周囲を見回りながら帰ってくるのが朝の日課となりつつある。


帰り道でブルーベリーの木を見つけた。

実は小さいがよく熟れていて美味しそうだ。

ルーチェは四つほど摘んでそのまま口に放り込んだ。

程よい甘さが口いっぱいに広がる。

もう少ししたら与一が朝食を持ってきてくれるはずだ。

その時に二人で食べようとブルーベリーの収穫に励んだ。

与一は些細なことで感動する。

きっとこのブルーベリーにも大げさに喜ぶだろう。

ルーチェはそんな与一の姿を見るのが楽しかった。

森の中に果樹が豊富にあるなら収穫物を入れる容器があったほうが便利だろう。

与一に申し出るのは心苦しいが、カゴかザルを用意できないか聞いてみようとルーチェは思った。

いま摘んでいるブルーベリーは与一のくれたタオルで優しく包むことにした。


 与一がゲートをくぐってやってきたとき、シェルターにルーチェの姿はなかった。

どこかへ出かけたようだ。

ひょっとすると池の方へ行ったのかもしれない。

与一も川沿いを池へ向かって歩くことにした。

空気はひんやりと気持ちよかったが、登って来る太陽の日差しは強い。

今日も暑くなりそうだった。


 下草がまばらな場所を選びながら斜面を下っていくと、木々の間にピンク色の何かが見えた。

緑色が全体の90%以上を担う森の中にあって、ピンクという色は文字通り異彩を放っていた。

思わず確かめに行くと、正体は一粒だけ実った桃であった。

与一がよく知る桃とは少し違う。

店頭に並ぶ日本の桃よりはずっと小さく、大きさはアンズほどしかない。

だが、匂いは甘く爽やかな桃の香りだった。

与一は迷わずにその実をもいだ。

如何ともしがたい魅惑の香りが立ち上り、食欲をそそられる。

見た感じでは毒などありそうには見えない。

そばを流れる小川で桃の実を洗い、誘惑のままに少し齧ってみた。

毒があるなら美味しくはないだろう、苦かったら吐き出してしまおうという理屈で咀嚼してみる。

桃の味は素晴らしかった。

皮も気にせずに丸ごと口に入れその味を堪能した。

種なしだったので丸ごと食べ飲み込んでしまう。

実に清々しい気分だ。

野生の桃ってこんなに美味しいんだと感動がこみあげてくる。

ルーチェにも持って帰ってやろうと思ったが桃の実は一つだけだったようだ。

周囲もしばらく探したが他には一つも見つけることはできなかった。


「おはよう」


ゲートのところまで戻ってくるとルーチェはノコギリを片手に大工仕事をしているところだった。


「おはよう。森へ行ってたの?」

「ルーチェを探しにね」

「じゃあ行き違いになってしまったのね。見て、近くでブルーベリーの木を見つけたの」


ルーチェは山盛りになったブルーベリーを自慢げに見せた。


「すごいなぁ。ジャムだって作れそうなくらいたくさんあるね。俺も桃を見つけたんだけど誘惑に負けて一人で食べちゃった。ごめん」

「モモ? なにそれ」


ルーチェの世界には桃の木はないようだ。


「果物だよ。ルーチェは知らないの? こんどスーパーで売っていたら買ってきてあげるね」


桃はけっこう高価なのだが一人で食べてしまったことが後ろめたかった。


 朝食はベーコンエッグを乗せたトーストとバナナにした。

ルーチェはバナナを見るのも初めてだった。

はじめは慎重に匂いを嗅いでいたが一口食べて気に入ったらしい。

モグモグと瞬く間に食べてしまった。


「この果物は不思議な食感よね。甘くて美味しいし」

「栄養価も高くて値段も安いんだ。ルーチェのとってきたブルーベリーも美味しいね。こんなにたくさん食べたのは初めてだよ」


与一はスプーンに乗せたブルーベリーを口の中に詰め込む。

プチプチと実がはじけて甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。


パキッ


 何者かが小枝を踏む音がした瞬間にルーチェは傍らに置いた剣を引き寄せて抜き放っていた。

ここ数日は平和な生活を送っていたが冒険者としての緊張感が鈍るほどの時間は経っていない。

与一の方はと言えばまともに動くことも出来ずに手に持ったバナナを握りしめただけだ。


「誰!?」


鋭い誰何すいかの声に姿を現したのは、おっとりとした表情の少女だった。

だがどこか様子が変だ。

肩のあたりで切りそろえられた金髪、やや垂れ目で茶色い瞳、皮と思しき素材でできた服を着ている。

そこまではルーチェとさほど変わらない普通の少女だ。

問題は下半身にあった。彼女の下半身は馬そのものだったのだ。

人間の上半身に馬の下半身を持つ半人半獣の姿だった。


「ケンタウリー!」


それが種族名なのか個人名なのかは与一にはわからない。

ただ初めて見る生物に驚愕し状況を理解しようともがいていた。


「私はケンタウリー族のナウリマです。あなた方は冒険者ですね」


ナウリマの声は穏やかで優しい。


「ええ。私は冒険者ルーチェ。でもこっちの与一は冒険者じゃないわ」


ナウリマは与一の方を見つめながら一歩前に出た。


「自分は芹沢与一といいます。そこにある大岩のゲートからやってきました」


与一の自己紹介にナウリマが驚きの表情で固まった。


「ゲートというと、大岩にある木枠の向こうからやってきたというのですか」

「それです! 三日ほど前に突然に自分の部屋の中に木枠があらわれて、この場所と繋がったみたいなんです」


ナウリマはトコトコと与一の方へ近寄ってきた。

彼女の下半身は茶色い毛でおおわれており、足首のところだけが白い。


「それでは貴方は異世界人なのですね?」

「あなた方にとってはそういうことになりますね」


ナウリマはさも珍しそうに与一を観察した。

与一の方もナウリマの姿をみてドキドキと胸が高鳴る。

下半身は馬なのだが、上半身だけ見れば大変な美少女なのだ。


 年齢も近かったためか三人はすぐに打ち解けた雰囲気で会話を始めることができた。

今は皆で朝食の続きをとっている。

既に済ませていたナウリマは与一にもらったバナナを食べていた。


「それじゃあこの場所が迷宮の中だというのは間違いないのね」


ルーチェの質問にナウリマはバナナを頬張りながら頷く。


「ええ。景色は限りなく遠くまで見えるけれども、あれは迷宮の壁に移る動く絵です。まっすぐに突き進んでいけばいずれ壁に当たります」

「それじゃあ、この場所はどのくらいの広さがあるんだい」

「縦20㎞、横35㎞の長方形をしているそうです。おじい様から聞いただけで確かめたことはないですけど」


 ナウリマは祖父と二人暮らしだった。

この場所にいるケンタウリーはナウリマと祖父であるカジンザの二人だけだ。

ナウリマはもともと地上に住んでいたのだが物心つくかつかないかの頃にカジンザとこの地に移住してきたそうだ。


「ねえ、この辺りには魔物の気配がないんだけど、やっぱりここは迷宮の安全地帯なの?」

「はい。私もここに十四年住んでいますが魔物が出たことはありません。理由は分かりませんがこの階層に魔物が入ってくることはないようです」


ルーチェと与一はほっと息をついた。

一番懸念していたことが解決したのだ。

そうと分かれば与一は安心してこの地に理想の楽園を築くことができる。

だが続くナウリマの言葉は与一を不安にさせた。


「この地で一番怖いのは人間の冒険者ですよ」

「そうなの?」

「ええ。私は十歳の頃に人間に攫われかけたことがあるんです」


にこやかに話すナウリマは与一やルーチェを恐れているようには見えない。


「そうでしょうね。獣人の中でもケンタウリーは奴隷として高値で取引されるのよ」


ルーチェの説明は与一にとっては聞きたくないような事実だった。


「もっとも、私を攫おうとした冒険者たちは全員がおじい様のウォーハンマーに頭を潰されていましたけどね」


ナウリマも長い柄を持つウォーハンマーを持っていた。

今はすぐ脇においてバナナを食べている。


「ナウリマは俺たちが怖くないの?」


与一の質問にナウリマは小さく噴き出した。


「私も成人しましたから。今の私なら人族二人くらいなら瞬殺です」


思わずルーチェを見る与一だったが、ルーチェはベーコンエッグトーストにかぶりつきながら当然といった表情で頷いていた。


「それに、貴方は私を害するようには見えませんよ」


害するなんてとんでもない話だ。

ナウリマの背中に乗ってみたいと密かに思っただけだ。

もちろん口には出さない。


 ここで、与一とルーチェの間にささやかな溝が出来てしまった。

ルーチェは自分を地上に連れ帰ってくれる冒険者パーティーが来ることを望んだが、与一は潜在的に冒険者の来訪を恐れてしまったのだ。


「大丈夫よ。冒険者だって全員が悪人ってわけじゃないのよ」

「それは分かっている。ルーチェは俺に親切だったもんな」


別に善意からそうだったわけではない。

他に選択肢がなかっただけだとルーチェは思った。

けれども、親切といわれて心が温かくなるような不思議な感覚がした。

魔物はいないし、この階層は食料も豊富だ。

与一の助けはなくてもルーチェは生きていけそうだった。

だけどルーチェは、もうしばらくは与一と過ごすのも悪くないと考えている。

与一と共に過ごす時間が楽しくなっていた。

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