第7話 山と池

 山羊の群れを見つけたルーチェはかなりはしゃいでいた。


「何がそんなに嬉しいの。ヤギに餌をやりたいとか?」


与一は動物園のふれあい広場でヤギにペレット状の餌を与えたことがある。

ペロペロと手を舐めてくる子ヤギはけっこう可愛いと思った。


「そうじゃなくて、山羊がいればミルクがとれるでしょう」

「ヤギのミルクって飲めるの!?」


山羊のミルクを人間が飲めることを与一は知らなかった。


「飲んだことないの?」

「うん。ミルクって牛乳しか飲んだことないかな。売っているのも見たことないし」


相変わらずのカルチャーギャップが二人の間にはある。


「山羊を捕まえることが出来れば食料問題は大幅に改善されると思うの。だって毎日ミルクが搾れるし、チーズを作ることも出来るはずよ」


山羊の乳で作られるチーズはフランスのシェーブルチーズが有名だ。

フランスに限らずヨーロッパ各地で作られている。

ポルトック王国でもメジャーなチーズだった。


「面白そうだね。だけど、どうやって捕まえるの。生け捕りにしなきゃならないと思うけど」

「それはやっぱり罠よね。ただ私の知っている罠は対魔物用がほとんどで生け捕りに出来るようなものじゃないのよね」


 別ルートで斜面を下り、頂上から見えた池を目指した。


「さっきの山は俺の名字からつけて芹沢山せりざわやまにしようかな」

「あ、ずるい。じゃあ、池はイリス池にするからね」


二人で適当な地名をつけながら池へと向かった。

下りは登りより体力は使わなかったがルートファインディングが難しかった。

無理をして下りても、崖の上などに出た場合はそれ以上すすめなくなる。

そんな時は登り返さなければならないのだが、斜面が急すぎると今度は登れなくなり、その場から動けなくなってしまうことがあるのだ。


「だから、下りでは決して無理をして下りてはダメよ」

「わかった。本当はロープなんかもあればいいんだろうね」

「ええ。探索にロープは必須よ。私は上の階層に置いてきてしまったけどね」


与一はロープがどこで売られているかを知らない。

とりあえずインターネットで調べれば買うことが出来るだろうと考えた。

そう、地球にだって召喚魔法ネットショッピングはあるのだ。



 イリス池は与一が見たこともないほど透明な池だった。

テレビの自然番組に出てくる北海道や外国の池のようだと思った。


「魚もいっぱいいそうだわ。暑いし泳ごうかしら」

「うん。いいね……」


与一は不自然にならないようにルーチェを肯定した。

芹沢山の頂上では裸を見られることを恥ずかしがっていたくせにもう忘れたらしい。

ルーチェの体をもう一度みたいという気持ちもあったのだが、与一は純粋に水にも入りたかった。

それくらい暑い日だったのだ。

べたつく汗を落とせるならどんなに気持ちがいいだろう。


「変な生き物とかいないかな?」

「いるかもしれないわよぉ!」


ルーチェは人を食ったような笑顔で答えながら鎧を外していった。

与一はルーチェが脱ぐよりも早く服を脱ぎ棄てて水に入った。

ルーチェの体に反応する自分の身体を見られたくなかったのだ。


 池のふちの砂地からゆっくりと水に入り、水位が膝くらいまで来たところで腰を下ろした。

照りつける太陽を反射して水は千の鏡を散らしたように輝いている。


「はあ……、生き返る!」


後ろの方でルーチェの声が聞こえた。

振り返って見ると一糸まとわぬルーチェが気持ちよさそうに水を浴びている。

途端に若い与一の体は反応したが、もうどうでもいいような気持ちもしていた。

見るのも見られるのも本当にどうでもいい。

あるがままでいいじゃないかという気持ち。

太陽は眩しかったし、水は気持ちが良かったし、緑は優しかった。

思い切って水の上に身体を浮かべて空を見上げた。

水が耳の中に入り体の中を流れる血液の音が聞こえてくる。

ああ、ここはまだ夏なんだと実感した。


「与一! 魚よ! レベロ・マスがいる! 槍! 槍を持ってきて!」


水の中に30センチを優に超える大きなマスが泳いでいる。

二人は子どものようにはしゃぎながらマスをついた。

そんなことをしているうちに与一の性器はいつのまにか膨らみを失っていた。

マスが二匹取れてから与一は再びじっくりルーチェと自分の姿を見た。

この場所ではこの姿がごく自然なことのように思えた。



 魚は与一が絞めた。

虫以外で与一が生命を奪うのは初めてのことだった。

これまで与一は蚊を手で、ハエをハエたたきで、ゴキブリを殺虫剤で殺したことがあるだけだ。


「そう、しっかりと抑えてエラにナイフを入れるの。膜のところを切った後はエラを裂くような感じでね」


すぐ横でルーチェの指導を受けながら慎重にナイフを突き刺した。

マスがビクビクと力強く最後の抵抗をしていたがやがておとなしくなる。


「尾も切って血抜きをするのよ」


与一は言われた通りに作業を遂行した。


「とっても上手だったわ」


裸の女性に上手だったと褒められれば、童貞の与一としては思うところもあるのだが、今は手に魚が残した末期の感触の印象が強すぎた。

命を奪ったという実感が重く手にのしかかっている。


「今夜の夕飯はこれで決まりね」

「うん。香草パン粉焼きにしてみるよ」


絞めたマスに笹の茎を通してルーチェがひとまとめにした。

これを枝にぶら下げて二人で担いだ。

大物が獲れてルーチェはご機嫌だし、与一は何とも不可思議な気持になっている。

それは感動とも言えた


本日の夕飯

 レベロ・マスの香草パン粉焼き

 ミネストローネ(缶詰)にキャベツのざく切りを追加

 コーンバター

 ごはん



 夕飯を終えて、与一はインターネットで買い物をした。

今日の探索で必要を感じたものは五つだ。

1番が日焼け止め。

今日一日ですっかり日に焼けてしまった。

鏡を見たが肌が真っ赤になっていてヒリヒリしている。

明日は探索前にUVカットのローションを買ってくることにした。

2番目は服装だ。

今日着ていったミリタリーシャツだと汗をかいてとても動きにくくなる。

ネットで調べた結果、アウトドアには化繊の服がいいらしい。

これはスポーツ用品店や登山グッズを売る店にあるようなので明日見に行こうと思った。

3番目に藪を進むときに必要になる枝や蔓を払う道具だ。

これもインターネットで検索すると山刀マチェットという道具が見つかった。

サイズが600㎜もあり、刃渡りも457㎜もある。

形も大航海時代の海賊などが持つカトラスに似ていて格好がいい。

最初は鉈とかでもいいかなと思ったが見栄えで山刀マチェットに決めた。

本当は日本の鍛冶師が打った剣鉈というのが一番欲しかったのだが予算が足りなかったのだ。

大学生に五万円は手痛い出費だ。

山刀なら送料込みで五千円しなかった。

4番目に欲しいと思ったのは釣りの道具だ。

今日はルーチェが与一の槍でレベロ・マスをついたが、なかなか上手くいかなかった。

二匹獲るのにかなりの時間を要している。

釣竿や網があればもっと簡単に捕まえることができたはずだ。

これもネットで釣り入門のサイトを見て回り注文した。

5番目はロープだった。

山の中を探索するには必携の道具ということだったから、すぐに注文することにした。

20メートルで耐荷重が1000㎏というクライミングロープがあった。

値段は3000円だった。

最後に与一は思った。

水着も買うべきだろうか? 

ほとんど考えるまでもなく与一は必要ないと判断した。

なんとなくだがあの場所に水着はそぐわないものだと思ったのだ。


 パソコンから離れてゲートの方を見るとルーチェはもう寝たようだった。

焚き火の明かりにうっすらとタオルケットがもぞもぞ動くのが見えた。

与一はクローゼットの扉を閉めてベッドに横たわった。

そのまま目をつむって考える。

山羊を飼うとしたら何が必要だろう? 

考えてもよくわからなかったので明日調べることにした。

動物を捕獲する罠についても勉強する必要がありそうだ。

目をつむったまま与一は今日一日のことを思い出していた。

心地のいい疲労が身体を包んでいる。

そしておもむろに水の中で輝くルーチェの姿を思い出した。

ルーチェの引き締まった腹筋、張りのある胸、つんと上がったお尻、すべてをはっきりと思い出すことができた。

与一はもう一度クローゼットの扉が閉まっているかを確認してから灯りを消した。

そして、履いていた下着をおろした。

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