第5話 迷宮蛙
迷宮内と違って日本では雨など降っていなかった。
与一はスクーターで駅前の100円ショップに急ぐ。
以前そこでビニールシートを見た記憶があったからだ。
これをテントやタープのように張ってやれば雨よけになると思った。
店で180㎝×180㎝のブルーシートを3枚、麻紐とビニールひも、砥石、ガスライター二個入を756円で購入した。
おやつも何か買おうとしたが思い直す。
ここのところ槍を作ったり、枝払いを買ったりで出費が大分かさんでいる。
少し節約しなくてはならない。
与一は父から月々の生活費と小遣いで七万円という金を貰っている。
今日は九月十九日だが今月はあと三万円しか残っていなかった。
家庭教師のアルバイトを週一回しているがアルバイト代が入るのは十日後だ。
ルーチェの食費もここから捻出しなければならないので無駄遣いはなるべく減らさなければならなかった。
買い物を済ませて与一が迷宮に戻ると既に雨は止んでいた。
夕立だったらしい。
そういえば暑い日だったと納得した。
「どう、シェルターの中は濡れてない」
「うん。考えて作ってあるから」
ルーチェはシェルターを他よりも高い位置に設置していた。
しかも周りには小さな溝があらかじめ掘ってあり、水が流れてきてもきちんと排水されるように作られている。
「すごいなぁ。ちゃんと準備してあったんだ」
「こんなこと冒険者ならだれでもできるよ」
「いや、ルーチェはすごいよ」
これまでの人生であまり褒められた経験のないルーチェは与一の言葉に陶酔感すら感じていた。
他者に認められるということがこのような快感をもたらすとは思ってもみなかったことだ。
振り返って見れば両親からはいつも怒鳴りつけられ、殴られてばかりの子供時代だった。
冒険者になってからもあまりいい待遇は受けてきていない。
だが、与一は些細なことで感動し、褒めてくれる。
お陰でルーチェはこれまで味わったことがないくらい気分よく作業を進めることができた。
二人は協力してブルーシートをタープのように張った。
部屋から椅子を二脚持ちだしてキャンプのように楽しむ。
西に沈む夕日と焚き火の煙がいい雰囲気を作っている。
紺色の空に浮かんだ上弦の月を眺めながら、ちょっとロマンティックじゃないかと与一は浮かれていた。
「そうそう、雨上がりでいいものが獲れたわ。夕飯の材料に使って」
ルーチェはニコニコしながら大きな葉っぱに包んだ肉を手渡してきた。
「これは、なんの肉?」
「
与一は手渡された蛙肉を何とか手から落とさずに堪えた。
既に皮も剝かれ、解体もされた正肉の状態になっていたのが救いだった。
これが蛙そのままの姿だったら悲鳴を上げて投げ出していたかもしれない。
だが、きれいに切り分けられた肉は、爪の部分さえなければ何の肉かはわからない状態だ。
フランスでは蛙を
調理にはいささか抵抗はあるが、これも唐揚げにしてしまうかと与一は考えていた。
食費の節約になったと思えば喜ばしいことではないかと無理やり自分を納得させる。
それにルーチェがワクテカした顔でこちらを見つめていた。
与一は他者の感情の機微を敏感に察知できる少年だった。
「ありがとうルーチェ。とっても助かるよ」
「えへへ……」
ルーチェは満足げな笑顔で頷いていた。
健気ともいえる程の、ささやかな承認欲求が満たされたルーチェは新たな決意をその胸に宿す。
次は十匹捕まえよう!
本日のメインディッシュは鶏の照り焼きから迷宮蛙の唐揚げへと変更になった。
与一はボウルに蛙のモモ肉を放り込みいつもより少し多めに生姜のすりおろしを入れた。
酒と醤油もボウルに入れてよく揉み込む。
時間をおいてボウルの中に片栗粉を投入して衣をつけた。
粉がつくと蛙の足の生々しさは薄れていた。
かつて「蛙」だったものは「肉」を経て「料理」に変わろうとしている。
既にそれが蛙であるかどうかは問題ではない。
美味いか不味いかが問題なのだ。
そう自分を納得させてモモ肉を熱した油に落とした。
長さ20㎝を越える蛙のモモ肉は芳香を放っていた。
見栄えもよく美味しそうである。
本日の夕飯
迷宮蛙の唐揚げ ミックススパイスを添えて
キャベツと油揚げのお味噌汁
コールスローサラダ
インゲンのゴマ和え
ごはん
与一にとって初めて食べるカエルは予想以上に美味しいものだった。
生きている大きな迷宮蛙を見たとき、その大きな瞳に言い知れぬ恐怖を覚えたが、考えてみれば馬鹿々々しいともいえる。
人間は雑食であり、日々家畜を殺しているのだ。
日本に広く生息しているウシガエルだって、元々は食用としてわざわざ輸入されたアメリカ原産の外来種だ。
かつては当たり前のように養殖されていた生物なのだ。
そういう意味では牛や豚と大した違いはない。
結局は慣れの問題なのだろう。
その内に自分も迷宮蛙を見つけて喜ぶ日が来るかもしれない。
魚を下すようにカエルを下ろしていくのだ。
むしろそんな日が早く来るのを与一は望んでいた。
一方、ルーチェも唐揚げという調理法に感動している。
「与一の家の料理人は本当に腕がいいのね」
ルーチェは与一の家にはお抱え料理人がいるのだと思い込んでいた。
与一を貴族の子弟と勘違いしているのだ。
「いやいや、俺が作ったんだよ」
「だって与一は学生なんでしょう」
大学生が料理を作る。
与一にとってはなんでもないことでもルーチェにとっては信じられない事実だった。
アカデミーは裕福な家の子弟が通うところであり、そんな家の子どもは料理などしないことをルーチェは知っている。
だが、与一の住む世界では事情は違うようだ。
「本当に……不思議な世界に住んでいるのね」
唐揚げにかぶりつきながらルーチェは嘆息する。
与一との間にカルチャーギャップは感じるのだが今のところ不快ではない。
むしろ自分の世界が広がったような気がして心地よささえ感じている。
とにもかくにも唐揚げという料理は美味だった。
翌朝、与一はこれから着ていく服に頭を悩ませていた。
ルーチェからは森の探索で肌の露出は厳禁と言われている。
カバリア迷宮は連日三十度近い気温になっているのだが半袖・ハーフパンツというわけにはいかないようだ。
元来がインドア派なのでスポーティーな洋服はほとんど持っていない。
唯一あるとすれば箪笥の奥に眠る、高校時に使ったジャージだけだ。
あれこれ悩んだ末に、上はオリーブグリーンのミリタリーシャツ、下は黒のカーゴパンツで皮のブーツを履くことにした。
鏡に映った自分を見て、せめてシャツがカーキ色なら探検隊ぽかったのにと残念に思う与一だった。
「このデイパックはルーチェが使ってね。お昼ごはんと水筒が入っているよ」
説明しながら高校生の時に通学に使っていたリュックを手渡す。
中にはハンドタオルや消毒薬、絆創膏など必要そうなものも入っている。
ランチは保冷バックに入れた卵サンドイッチだ。
種類は一種類なのだが量だけはたっぷりある。
卵1パックと八枚切りの食パンをすべて使って作った。
飲み物には水の他に冷たいミルクティーを用意した。
最初にルーチェが通ってきたという階段のところまで行くことにした。
ゲートからだと歩いて20分くらいの距離だ。
ルーチェは途中で何回も匂いを嗅ぎ、膝を大地につけ、何かを丹念に観察している。
「何を探しているの」
「主に観察しているのは三つね。『足跡』『食痕』『糞』よ。これを観察すればどんな動物がいるかはだいたい分かるわ。あと、魔物もね。見て、ここに鹿の糞があるでしょう」
ルーチェに言われて初めて気が付いたが、足元には黒々とした鹿の糞が大量に落ちていた。
いくつか踏んでしまっていたようだ。
「まだ新しいわ……」
(俺の靴もね……)と与一は心の中でつぶやく。
だがすぐに思い直す。
こんなことを一々気にしていたらここではやっていけないのだろう。
カエルを食べた経験が与一を少しだけ変化させていた。
都会育ちの少年の中で自然に対する好奇心がむくむくと膨らんでいる。
おっかなびっくりではあるが、与一はこの世界を楽しんでいた。
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