第4話 蜻蛉切

 四限目の講義が終わると与一は寄り道もせずに荻窪駅まで戻ってきた。

そのまま駐輪場にとめておいた原付バイクにまたがり青梅街道おうめかいどうをホームセンターへと向かう。

もちろん買い出しをするためだ。

買うものは既に決まっている。

ルーチェに頼まれた枝払い(ノコギリ)と槍の材料だ。

最初は実際の槍や刀を買おうかと考えたのだが、ネットで調べてみると10万円以下で買える槍は見つからなかった。

貯金をはたけば買えないこともないがそんな大金は使いたくない。

破損を考えれば気軽に振り回すことも出来ない値段だ。

与一が欲しいのは所有欲を満足させる芸術品ではなく、あくまでも実際に使える道具なのだ。

そこでインターネットで槍の作り方を検索するといくつかの有益なサイトが目に留まった。

その中でも、特に実用的なのが罠猟で捕まえたイノシシにとどめをさすための「止め刺し槍」の作り方を紹介するサイトだった。

材料は2mの鉄パイプを一本、刈り込みハサミの替え刃、ボルトとナットのセットを2本、これだけだ。

他には鉄パイプに穴を開けるためのポンチ錐を一つとボルトを締めるためのレンチも購入した。

日本で作ると銃刀法などでいろいろ問題があるようなので、製作は迷宮に行ってからだ。


 自宅に帰りつくと17時を過ぎていた。

荷物を両腕に抱えてゲートをくぐるとルーチェはたき火の前で鍋を振り、何やら調理している。

辺りにはルーチェの作と思しきものが増えていた。

与一の姿を見てルーチェは嬉しそうに立ち上がった。


「おかえりなさい」


にこやかに微笑むルーチェに与一は思わず視線をそらした。

ルーチェの姿があまりにも扇情的だったのだ。

ルーチェは与一が与えた白いTシャツを素肌の上に着用していた。

大きさは男物のLサイズなのでゆったりとした着心地にはなっているのだが、大きな胸はシャツの生地を盛り上げ、先端がぽっちりと浮き上がっていた。

それまでルーチェが着ていた服は自作の物干しにかけてある。


「近くで小川を見つけたの。久しぶりに水浴びが出来てさっぱりしたわ。ついでに洗濯もしちゃった」

「それはよかった……」

「どうしたの?」


与一の態度にルーチェは不思議そうに顔を覗き込んだ。

冒険者にとって着替えを見られるというのは大したことではない。

そんなことを一々気にしていては長期の冒険などままならないからだ。

与一は自分の気持を誤魔化すように鍋を指さした。


「何をしてたの?」

「バッタがたくさんいたから捕まえて乾煎からいりにしてたの」


鍋を覗くと足と翅をむしられたバッタがカリっと煎り上がっていた。

地域によってはイナゴなどを佃煮にするところもあるというのは知識としてはあったが、実際に虫を料理しているのを見るのは初めての経験だ。

もちろん食べたことはない。


「与一も食べる?」

「いや、いいよ。ルーチェが食べて」


与一が拒絶するとルーチェは別段気にした風でもなくポリポリとバッタを食べていた。

美人が大胆な格好をしながら虫を食べている図は現実離れしていた。

口を動かすたびにルーチェの胸が小さく揺れる。

与一は自分の意識を胸から外そうと辺りを見回した。


「そういえばルーチェってどうやって火をつけているの」


ライターとかマッチを持っているとは考えにくい。


「魔法よ」


事もなげに言って、ルーチェは手のひらを上に向け小さな火球を作り出した。

与一の身体を戦慄が走る。


「魔法を使えるの!?」

「そりゃあ、私も女ですから」


女であることは見ればわかる。

今の格好なら尚更だ。

必要以上に女であることを意識させられるから与一は困っているのだ。

だけど魔法と女の因果関係というのが与一にはわからない。


「どういうこと」

「普通、女なら魔力を持っているでしょう」


二人は同時に相互認識にずれがあることに気が付いた。


「もしかして与一の世界では魔法が使えるのは男だけなの」

「そうじゃないよ。一般的に魔法を使える人自体がいないんだ。ルーチェの世界では女の人しか魔法を使えないみたいだね」

「ええ。でも魔力の保有量は人それぞれよ。私は魔法使いになれるほどの魔力は持っていないわ」


ルーチェの魔力は火をおこし、身体をわずかに強化することができる程度のものだ。

それでも与一はすごいと感じていた。



「枝払いを買ってきたよ。こんな感じで良かったのかな」


与一の買ってきたのはプロ仕様の枝払いで、売り場で一番大きな物だった。

耐久性が高く切れ味の良いものを店員に相談して勧められた品だ。


「不思議な持ち手ね」


ルーチェは初めて触るプラスチックを魔法でも見るように眺めている。

そして試し切りとばかりに太い薪を切り始めた。


「すごい切れ味! 与一、これすごいよ!」


与一はもう見ていられなかった。

枝払いを動かすたびにルーチェの大きな胸が揺れている。

しかも屈んでいるために艶めかしく輝く白い肌が丸見えだった。

与一はこの場所に男と女が二人きりでいるという現実を再認識してしまう。

このままでは情欲が暴走してしまう気がして、慌てて背中を向けて買ってきた荷物を取り出した。


「俺はこっちで作業をしているから、ルーチェも自分のことをしていてね」

「うん」


意識してなのか、無自覚のままに色香を振りまいているのかはわからない。

とにかくルーチェは素肌にTシャツという姿で作業をするしかなかったし、与一は雑念を振り払うように槍を作り始めた。



 槍の作成に大した技術はいらなかった。

鉄パイプの先端に刈り込みばさみの替え刃をいれ結合部をハンマーで叩いていく。

結合部がぴったりと平になったらポンチで替え刃についた穴に合わせてパイプにも穴を開ける。

二か所の穴が開いたらボルトを差し込み、ナットをきつく締めれば完成だ。

刈り込みハサミの刃は厚みがあり結構頑丈そうだ。

刃渡りは15センチもあってなかなか凶悪に見える。

砥石で研げば切れ味は更によくなるかもしれないと、与一はメモ帳に書き付けておいた。

かかった材料費は全部で7000円強。

次回からはレンチとポンチのお金はかからないので4000円くらいで作れるはずだ。

こうして与一の槍は完成した。


「できた。俺の蜻蛉切とんぼきり!」


与一は不遜にも、戦国武将本多忠勝が所持し、天下三名槍の一つと謳われた蜻蛉切の名前を自作の槍につけた。

それくらいはしゃいでいたのだ。


「どうルーチェ?」

「悪くないわ」


ルーチェの「悪くないわ」は「20分で作った割にはね」が抜けていたが与一は気づいていない。

ブンブンと振り回せばそれだけで強くなったような錯覚をしてしまう。

殺し合いになれば武器を持った人間と持たない人間とではかなりの違いはあるのだが、与一に人を殺す覚悟はない。

それどころか魔物や野生動物を仕留めようとすら考えてはいなかった。

与一にとってこの槍はあくまでも護身のための武器なのだ。

浮かれた調子の与一を見てルーチェは不安になった。

与一の死は自分の生活にも大きくかかわってくるのだ。

不機嫌にさせるかもしれないと思ったがルーチェはたしなめることにした。


「武器を使うのは最後の手段よ。調査は大型獣や魔物に見つからないように隠れながら慎重に行うわ」

「もしも魔物に見つかったら?」

「気づかれる前に撤退するの」


ルーチェは与一が不貞腐れるかと思ったが、意外にも与一は神妙に頷いていた。


「俺もそう思うよ。うん、やっぱりルーチェがいてくれて助かった」


どうやら与一は噂に聞いていた貴族の馬鹿ボンボンとは別の種類の人間らしい。

自分のパトロンともいえるべき人間がまともな性格なのでルーチェとしては一安心だった。


「そういえば川を見つけたんだよね」

「ええ。ここから100メートルくらい下ったところよ」

「俺も見てみたいから案内してよ」


 ゲートのある大岩は少し小高い丘の上にあった。

そこからなだらかな斜面を下りていくと森の向こう側に小さな川が流れていた。

水は美しくルーチェは平気で生水を飲んでいた。

昨日与一が与えたペットボトルを水筒代わりにしている。


「水の量も少なくないし、飲料にも耐えられるみたいだね」

「ええ。それにこの川を水場にしている獣もいると思うわ。狩猟をするにせよ、農業や牧畜をするにせよ川がみつかった意味は大きいと思う」


与一の中の夢がまた大きく膨らむ。

明日は土曜日なので朝から周囲の探索だ。


 川のせせらぎに手を浸しながら明日の探索について話し合っていたら突然に雷が鳴った。

雷鳴は滝のような雨を引き連れてくる。

二人は大急ぎでゲートの場所まで戻ってきた。


「とりあえずレジャーシートをひっくり返してシェルターにかけておこう。あれは防水になっているから」

「レジャーシート?」

「昨日渡した敷物だ……よ」


雨に濡れたルーチェのTシャツが透けていた。

二人してレジャーシートをかけたが完全に雨を防ぐには面積が足りない。


「着替えはすぐにとってくるよ。その後に俺はブルーシートを買ってくるからルーチェはシェルターの中で着替えておいて」

「ブルーシート?」


ルーチェの疑問に与一は答えずにゲートをくぐった。

クローゼットの中からそっとゲートの向こうを窺うとルーチェが濡れたTシャツを脱いで、それを絞っているところだった。

両肘を思いっきり張ってシャツを絞っているので大きな胸がさらに強調されて見えた。


「俺の理性、いつまでもつかな……」


 二人は出会ってまだ二日目だが、なんとなく与一はいつかルーチェと結ばれたいと考えだしている。

実をいえばルーチェもそんな未来を予感していた。

だが、恋愛には必要な手続きというものがあるというのが二人に共通する気持ちだった。

二人とも結果よりも過程を大切にするタイプだったのだ。

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