なぜ前に聞かなかったのか? 2

 駐輪場に自転車を停めて、鍵をかけたことを確認すると、見かけた同級生に1人ずつ声をかけて行った。1人、また1人と笑顔で挨拶を交わしていく。

「おはよう、澄香すみか

「おはよう」

「おはよー」

「おはよう」

 昇降口に向かう途中で、鍵をかけている沼倉ぬまくら菜穂子なおこを見かけた。

「菜穂子ちゃん、おはよう」

「おはー、すみちゃん」

 菜穂子ちゃんは卓球部で、私たち研究部の活動場所である講義室に近い多目的ホールで週に1,2回練習している。卓球部の同級生は顔を合わせれば挨拶するくらいの知り合いになっていた。

美優みゆちゃん、ヘルメットは?」

 隣にいた同じく卓球部の丸岡まるおか美優の手にヘルメットがなかったので聞いてみた。

「あ、かごに置きっぱなしにしちゃった。ありがとね。

 なおちゃん、取りに行ってくる」

 そう言ってふわあとあくびをしながら元来た方へと戻っていった。

「みゆたん、鍵もついでに確認ー!」

 菜穂子ちゃんが叫ぶ。

「すみちゃんマジ卍」

「それほどでも」

「んじゃ、もも子先輩がおこかもしれないから行くね、バイビー」

 菜穂子ちゃんは手を振って体育館の方に向かっていった。

 ようやく、最後の知り合い、牧羽まきば美緒みおに近づいていった。

「おはよう、美緒ちゃん」

「おはよう」

 いつものようにすました顔で答えた。何となく一緒に歩き出す。

「なんかすごい車いたよね」

「ほんとね。危なすぎるわ。歩行者、それも中学生がいるんだから交差点では徐行しなさいよ」

 そう言って美緒ちゃんはほっぺたを膨らませた。美緒ちゃんも列のどこかにいたはずだから、あの車の運転が目に余ったのだろう。

 校門が開いて自転車の波が動こうとすると同時に、けたたましいエンジン音をあげたまま久葉中に向かってくる1台の自動車がいたのだ。先生の車ではないだろうと思ったけれど、学校に入ってくる車には一礼をする暗黙の了解なので、久葉中の生徒たちはお辞儀をしていた。しかし自動車の方は久葉中の生徒たちを気にするどころかすごいスピードで走り去っていった。いまだに白い自動車の後ろ姿が目に焼き付いている。

「おっはー!」

 後ろから急に大きな声が聞こえたので思わず「ひゃっ」と声が出てしまった。美緒ちゃんは耳を塞いでいる。

「驚かせちゃった? メンゴメンゴー」

 ここから彼女の独壇場になるだろう。テニス部2年の白石しらいし麻里奈まりな先輩はとある事件をきっかけに、私たち研究部の1年生に絡むようになった。

「やっと帰ってきたよマイフェアキティ、いや、進化してマイフェアキティZ! 今度は誰にもイタズラされないさせないゼッット!」

 聞かれてもないのにポンポン肩を叩きながらベラベラしゃべりだすので聞き終わった後にはどっと疲れる。けれど、白石先輩の自転車が戻ってきたことに対してはほっとした。

「それに対してほんっと迷惑迷走暴走車だよヨウ家のセリカ! たまーに来るけど3億乗っけてんじゃないんだからふんわりアクセルだよっこら正一! どこの人でもびっくりだよ!」

 相変わらず言葉の数が多い。白石先輩が言っているのは例の車のことだ。

「友達の家の車なんですか?」

「そこまでじゃない。あれ、知らない? 卓球のヨウ――」

「麻里奈!」

 白石先輩を呼ぶ声が聞こえた。テニス部の人もしびれを切らしたんだろう。「行った方がいいんじゃないですか?」

 さすがに気まずさを感じたのか「ザイジェン」と言い残してテニス部の方へ消えていった。

「卓球って言ってたよね」

「ええ」

「知ってる?」

「いいえ」

 しかし同級生くらいしか名前を知らないし、激を飛ばしている部長らしき人以外上級生はおぼろげな記憶しかなかった。ヨウさんはどの人なのだろう。

 こんなことを考えながら昇降口で靴を履き替えると、突然、ドタドタと大きな足音が聞こえてきた。外を見ると、6人の男女が走ってくるのが見えた。ぴったりした薄ピンクのトップスに太ももの半分くらいしかない黒いパンツ、おそらくバレーのユニフォームの女子生徒が2人、白いTシャツにハーフパンツの男子生徒、Tシャツを着てハーフパンツを履いた女子生徒3人。彼女たちはそれぞれショッキングピンクと青と黄色のTシャツを着ている。

 彼らは2年生の下駄箱の方で靴を脱ぐと、職員室の掲示板前で立ち止まった。

「ちょっと! 割り当て表がないじゃん!」

 叫んだのは黄色いTシャツの女子生徒だった。他の生徒たちも目を皿のようにして探している。周辺には何も落ちていない。

 のっぴきならなそうな事態に、美緒ちゃんの方へ駆け寄った。

「何か、大変なことになってるのかな?」

 耳打ちすると、美緒ちゃんは腕を組んでつぶやいた。

「異常事態なのは確かね。問題は、今日、バレー部にコメントを取りに行かなければならないことかしら」

 思わず私は手を口に当てた。研究部では今、新聞の発行と並行して各部に総合体育大会やコンクールの時のコメントを書いてもらっている。そのコメント用紙は各々の都合から一言コメントを書いてもらうだけなのだけれど、都合のいい日を聞いてこちらが取りに行かなければならない。

 騒ぎを聞きつけたのか、職員室からは仮谷かりや先生と野島のじま先生が出てきた。

「先生、どの部も午前練で体育館を使うと言っているんですけど」

「割り当て表がなくて確かめようがありません」

 バレーの2人組が野島先生に訴えている。

「先生、卓球部って午前に体育館使えることになったんですよね?」

 彼女たちと同時に黄色いTシャツの生徒が仮谷先生に聞いた。

「割り当て表がない?」

 野島先生が聞き返すと職員室の掲示板を見る。視線の先にはマグネットしかない。仮谷先生は扉付近を眺めていた。

「本当にないみたいですね、野島先生」

「誰も外していないよね?」

 野島先生は6人に聞いた。

「この6人で確認したんですけど……」

 バレーの片方が言う。

「困ったな……割り当て表を作っている前西まえにし先生も今いらっしゃらないし」

 仮谷先生はそう言って職員室の中に向かって「糸村いとむら先生」と呼びかけた。すぐに奥から静々と糸村先生が出てきた。

「何でしょうか」

「体育館の使用日の割り当て表が無くなってしまったんですが、何か聞いていませんか?」

「さあ……割り当て表がなくなってしまったのも今知りましたし、バスケ部は午前練習があるとしか。それから、前西先生は本日は年休を取るそうです」

「今日は午前は体育館練習と聞いています」

 白いTシャツの男子生徒と付け加えた。

「もしかしたら前西先生が早とちりしたのかもしれませんね。今日、バレー部は万田まんだ中と練習試合なのですが、1週間前に午後からにすると連絡が来たので、午前は学校で練習しようと考えて、体育館半面使わせてもらおうと1週間前に言ったのですが……」

 野島先生が頭を下げる。仮谷先生は「いえいえ」と謙遜した。

「うちも一昨日、午前に体育館練習ができると分かって急に予定を変更したのだからお互い様ですよ。今体育館はどういう状況?」

「どこの部もウォーミングアップだけやってます」

 バレーの人が言った。それに対して全員が頷く。

「では、準備の都合上、まず半面バレー部、半面卓球部が使うことにしましょうか。少ししたらバスケ部は卓球部と代わります。バレー部は早めに練習を終えてください」

「すみません。では、バレー部が10時まで使わせていただきます」

「ありがとうございます」

 仮谷先生と野島先生のやり取りを終えると、野島先生はバレーの女子2人に「すぐに練習開始、10時まで練習。時間がないから集中、片付けも素早く」と指示した。女子2人は「はい!」と威勢のいい返事をして下駄箱の方に引き返した。

「行ってくるわね」

 そう言って美緒ちゃんはバレー部の人たちを追いかけて行った。

 仮谷先生は糸村先生に向き合った。

「ということで、バスケ部は9時から体育館を使用するということでいいですか?」

「私は構いませんよ。それでいいですよね?」

 糸村先生は白の男子生徒とショッキングピンクの女子生徒の方を伺った。

「1時間外練にします」

 男子の方がそう答えると、2人で靴を履いて外に行った。

 残った生徒のうち、黄色いTシャツを着た女子の方が仮谷先生に突っかかる勢いで話を始めた。青の方はボブカットで赤いフレームの眼鏡をかけている。黄色の方は体格がよく、天然パーマらしい髪を2本に結っている。2人とも卓球部で、おそらく2年生だ。

「あの連絡何だったんですか?」

「野島先生の手違いじゃない? それより、1時間で終えられる練習メニューを考えなきゃ」

 青いTシャツを着た生徒がなだめる。そして赤いフレームの眼鏡を押し上げた。

「今日いないのは?」

 仮谷先生が聞く。

「かなだけです」

「病院に行くから遅刻すると聞いている。すぐ行くからいつものようにしっかりやってくれ」

 2人は「はい」と返事をして下駄箱の方に戻っていった。

 私は思いついたように仮谷先生を追いかけた。

「あの、割り当て表、研究部で探しましょうか」

 話しかけられた相手が予想外だったのか、仮谷先生はすぐに状況が呑み込めないようだった。

「大丈夫じゃねえかな。今日はさておき、明日以降は話し合って決めればいい。もうすぐお盆で一旦部活も休みになるし、これ以降は唐突な変更もないだろう。もう一回割り当て表を作り直せばいいだけのことだ。紛失したからって騒ぐほどのものでもない」

 仮谷先生は職員室に入っていった。

 何となく見えた職員室の時計は8時を過ぎていた。この時になって遅刻していることに気付いた。

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