第十一夜 ケイ

 十数分後、白糸の滝の前で成瀬啓と合流し、近くのファミリーレストランを訪れた。


 一条の目の前では、不信感を隠そうともせず、啓が両腕を組んで席についている。


 隣に座る誘が、こっそりと耳打ちするように話しかけてきた。


「あの、お兄さん、不信感丸出しなんですけど。思いっ切りこっち睨んでるんですけど」


「こりゃ、こっちの期待とは逆方向の考えで来ちまったなぁ。また面倒な」


 コソコソと話していると、啓はドリンクバーのコーラをストローで呑んだあと、叩き付けるかのようにグラスを置いた。


「最初にひと言言わせてもらう。俺がここに来たのは、あんた達の話を聞くためじゃない。うちの愚弟に、これ以上余計なことを吹き込まないよう忠告するためだ」


 さすがは元剣道部といったところか。成瀬啓は眼光鋭く、一条たちを睨みつけてきた。


 がたいが良く、眉間に皺を寄せればそれなりに迫力が出るため、気の弱いものに対してなら、それなりに有効だったかもしれない。


 一条はどうしたものかと、砂糖を入れた珈琲をで混ぜながら尋ねた。


「あー啓君、蓮司君から事情は聞いてるよな。どういう風に話が伝わってるんだ」


「どうもこうもないさ。あんたら、自称呪術師の詐欺師なんだろ。蓮司の奴が変わった眼を持ってるからって、その弱味につけ込んで騙すような真似は止めろ。それだけじゃない。彩が実は死んでいて、家に怪異とかいう胡散臭いものが取り憑いてるだと? ふざけるのも大概にしろよ。うちの家族を何だと思ってんだ」


「……そっかー。そういう結論に至ったかー」


 真っ当な一般人と仕事の話をするのが久しぶりで、この手の常識的な考えを失念していた。 


 普通、一般人が身内から呪術師やら怪異やらの話を大真面目にされたら、まず相手の頭の心配をする。同じ立場だったら一条だってそうする。当然だろう。


 その考えに至らなかったことを、一条は反省し、そしてその事実を臆面もなく突き付けてきた啓に、むしろ好感を抱いた。ここまで強気にものを言ってくる奴は珍しいなと感心してしまったのだ。とはいえ、感心ばかりもしていられない。自分たちのことを信じてもらわないと、彼の家の問題は解決出来ないのだ。


 一条は珈琲を一口呑んだあと、手のひらくらいの小さな札をテーブルに貼った。曼荼羅による呪術や怪異への認識阻害があるとはいえ、公衆の面前だ。気をつけるに越したことはない。


「そうだな。やっぱ、実際に見てもらった方が良いだろ。誘、適当なのを頼む」


「了解です。その方が手っ取り早いですもんね」


 不可解そうな表情をする啓の前で、誘はグラスを持ち上げ、その中身をテーブルに零した。


 誘の霊気に触れた水は、生き物のようにテーブルから水の体を持ち上げる。水は陽炎のようにゆらりと形を変えると、手のひらサイズの猫になった。


「なんだ……これ……」水の猫を見て、啓が驚きを露わにする。


 生まれが特異なこともあり、紫堂誘の異能は呪術社会のなかでも貴重なものだ。


 本来の異能は万物の屍鬼化だが、その能力の延長として、彼女は自分の命を分け与えることで、無機物にすら生命としての振る舞いをさせられる。


「マジックでもCGでもありません。なんなら触ってもらっても良いですよ。ただの水だから害もありません」


 恐る恐る、啓は水の猫に触れた。表面の膜が少しだけへこんだあと、彼の指先はすぐに水のなかに侵入した。そのまま抵抗なく、するりと指は抜ける。水の猫は形を保ったまま、啓の指が抜けた箇所をくすぐったそうにかいた。


 一般人相手ならインパクトは充分だ。一条は頃合いと思って切り出した。


「いま見てもらった通り、俺達は君の常識の外にいるものだ。だから、まずは話を聞いてもらいたい。そのあと、本当に俺が君たちを騙そうしているかどうかを判断して欲しい。いいか?」


 啓はまだ信じられないという顔をしながらも、表情を引きて締め頷いた。


 それから一条は、自分たちの立場や成瀬家を取り巻く怪異について、これまで蓮司が体験したことなどについて話した。大まかな内容を話し切った時には、互いの飲み物は空になり、啓は思い詰めるような表情で顔を強張らせていた。


「確かに、蓮司は周りの人間の記憶がおかしいとは言ってたけど、マジだったのか、アレ」


「君は蓮司君の眼を知っているらしいが、それでも信じられなかったんだな」


「だってそうでしょ。個人の過去を知るだけなら良い。まだ現実的な範囲だ。けど、何十人もの記憶が変わるなんて普通信じられませんよ。けどこれが本当なら……彩は……」


 まだ赤児でしかない妹が、本当は死んでいて、得体の知れないものに成り代わっている。


 これまでただの一般人でしかなかった彼からしてみれば、信じがたいことだろう。


 そしてその怪異を祓うということは、成瀬家に再び軋轢が蘇ることでもある。


「いまの君の家の現状は聞いている。円満な家庭らしいな。その上で、啓君に聞きたいんだが、君は偽物の妹を祓うために、俺達に協力することは出来るか?」


 啓は頭を抱え、苦悩に満ちた表情をした。


 酷い問いだと一条自身思う。偽りとはいえ、啓には数ヶ月もの間、偽の彩と過ごした記憶がある。家族を殺すための手伝いをしろと要求しているようなものだ。


 いっそ啓に、蓮司が死相を視たことを話せば、もっと順調にことを進められたかもしれないが、それは最後の手段として取っておきたかった。あまり好ましい手段ではないというのもあるが、まだ啓の体がどんな状態にあるか把握していないからだ。隣に座る誘が、先程からあまり喋らない所を見るにあまり良い状態ではなさそうだが。


 啓は手を膝の上に戻すと、一条に目線を合わさずに顔を向けた。その表情はまだ暗い。


「……少し、時間をくれませんか。さすがに内容が内容なだけに、今すぐ決めるのはちょっと」


「わかってる。ただ、決めるなら今日中にしてくれ。こっちも準備があるし、あまり引き延ばすと、あの赤児が何するかわからないからな。それとこれ、一応持っていてくれ」


 一条は三枚の霊符を取り出した。


「一枚目が呪術用の護符、二枚目が屍鬼対策の護符、そして三枚目が精神干渉を防ぐ護符だ。また記憶を弄られて、振り出しに戻る、なんてことはご免だからな」


 護符を差し渡すと、啓はその霊符を見ながら言った。


「あの、まだ聞いていなかったんですけど、偽物の彩がいることで、具体的に家にどんな影響があるんですか。いや、本物の彩の居場所が奪われてること事態が、マズいってのはわかるんです。けど、どうしても、いまの彩の記憶が大きくて……」


「少なくとも、君の家族のうち一人が、被害を受けるのは確かだよ」


 そのひとりは、間違いなく、いま目の前にいる成瀬啓だ。だが直接言うのは躊躇われ、一条は少しぼかした言い方をした。しかし、啓の方はそれである程度察したのか、辛そうに眼を閉じた。もう少し上手い言い方をすれば良かったと、一条は思った。


「正直、まだ祭塚さんが話した事の全部は信じられません。けど、蓮司も家を出ちまったし、うちに何かあるっていうのは本当そうだ。今日中に、なんとか答えを出そうと思います」


 まだ戸惑いがありながらも、啓は何とか笑みを浮かべ、三枚の札を仕舞った。

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