第十夜 探索

 三日後、上野駅の公園側改札にある喫茶店で、蓮司は不満な顔で席についていた。


 これから手伝わされる仕事に納得していなかったからである。


 昼時ということもあり、小さな喫茶店はひとで溢れている。カジュアルな内装をした喫茶店で、駅なか、しかも改札付近ということもあり、あまり店内に落ち着きはない。カウンターでは女性店員が客の注文を受け、その奥の厨房ではこれまた女性の店員が慌ただしく働いていた。


 そんな店内だからか、現在の心境もあって、蓮司の心は落ち着かずにいた。対照的に、同席している綾人は気楽な顔でプリンを食べている。それが増々蓮司の苛立ちを募らせる。


 家を出てから三日、兄に死相が視えるようになってから、すでに十日が経っている。啓が死ぬまでに、最大でもあと四日しかないが、その悩み自体は解決の可能性が出てきた。


 初日の調査の内容から、一条たち灯籠堂の面々は、蓮司の家が怪異に巻き込まれていると判定した。この三日間は、実質的にはその怪異を祓うための準備と言っていい。発生した怪異のより詳細な調査、そしてその怪異を祓った際の周囲への影響の検証。


 問題は、その詳細な内容を依頼人である蓮司が、何一つ知らされていないことだ。


 一条と誘は、現在、蓮司の兄である成瀬啓に会うために別行動をしている。その啓の状態次第で、怪異を祓うか決めるというが、彼らが何を考えて行動しているかも蓮司は知らないのだ。


 問題の渦中にいながら、その原因を知らないもどかしさ。問題の解決を提示されていながら、それが本当に解決するのかわからない不安。それが焦りにも似た苛立ちを感じさせていた。


 そしてさらに問題なのは、そんな状況に蓮司を置いておきながら、一条が蓮司とは全く関わりのない仕事を手伝うように言ってきたことだ。


 蓮司は注文したカフェラテを呑み、手にしたA4サイズのノートを捲った。


 ノートには、十六歳ほどの少女の写真が一面に貼り付けられている。


 名前は立花明乃。一条の知り合いの呪術師の助手をしている少女で、現在行方不明になっているらしい。今朝一条

に仕事を頼まれてから、蓮司は幼年期から現在に至るまでの彼女の写真を繰り返し見続けた。たまに立花明乃の過去が視えてしまうこともあり、ひとの人生を覗き見しているようであまりいい気はしない。


 レジでの注文を終えた和泉が「お待たせー」と言って、テーブルにトレイを置いた。朝食も兼ねているのか、カフェモカ以外にパンケーキも載せられている。


「どう? 明乃ちゃんのこと、だいぶ頭に入ってきた」


「これだけ視てれば嫌でも入りますよ」蓮司はノートを閉じた。「立花明乃、十七歳。都内の高校に通っている一般人。四人家族で、両親ともに公務員。下に二歳ほど歳の離れた妹がいて、立花は妹のことが好きで仕方ないみたいですが、好意を示す度に、妹には煙たがられてます。趣味はカラオケと写真の撮影。マイクを手に持ったら、終了時間まで離さないタイプで、その点についてはわりと友達から顰蹙を買ってるみたいですね。写真の被写体にしてるのは、人間よりも花や小動物が多く、休日に予定がないときは、外に出かけては写真を撮ってます。一年ほど前には、高校の写真部にも所属していたみたいですが、怪異事件に巻き込まれて、相川さんの所でアルバイトをするようになってからはほとんど幽霊部員状態。まぁこんな所ですかね」


 予め知っていたのは、立花が怪異事件に巻き込またあと正樹の助手になったというくらいで、他は過去視によって覗き見してしまった情報だ。今日は眼の調子が良いのか過去がよく視える。


 綾人はプリンを食べるのを中断し、感心したように言った。


「へぇ。教えてないことまですらすらと。写真だけで立花さんの過去が視えたんだ」


「そうだよ。それで、なんでうちの怪異の詳細を教えてくれないんだ。俺は当事者なんだぞ」


「守秘義務デス。呪術社会の法に従う行動なので、平常心を心がけてくれると嬉しいデス」


 事務的に、かついつもの気軽さで応えた綾人だが、そこで言葉を区切ると真面目な顔をした。


「とまあ、実際その通りでもあるんだけど、蓮司君の家の問題、けっこう複雑でさ、お兄さんのことも含めて詳しく事情を把握しとかないと、迂闊なこと言えないんだよね。そういえば蓮司君、ちゃんとお兄さんへのアポ取ってくれた?」


 蓮司は頷き、携帯の画面を開く。SNSで連絡を取り合っていた兄との文面を見せた。


 この三日の間に、蓮司は必要だからと言われて、兄に家出した理由、怪異の情報について詳しく説明した。財布の金をくすねていたせいで、一悶着あり、家族に報告されそうになったが、全力で謝り通して事なきを得た。その際に土下座、パシリなど屈辱的な謝罪を要求され、こんな奴放っておこうかとも思ったが、そこは何とか耐え切った。一条に家族には秘密裏に、特に原因の赤児には知られないようにして欲しいと頼まれていたのもある。


 そして何重にも交わした連絡の末、蓮司はなんとか一条と啓を会わせる約束を取り付けた。


 和泉はカフェモカを呑み、口元についた液体を紙ナフキンで拭き取ったあとに言った。


「今日、あの二人が啓君の状態を確認したら、必ず、あなたが巻き込まれていることについて説明する。だから、それまでは我慢してくれる? ね、お願い」


 美人の和泉に、両手を合わされるとさすがに心が動かされてしまう。


 それを誤摩化すために蓮司はそっぽを向いた。


「絶対ですよ。絶対に、今日こそは教えてください」


「ええ、必ず。それを聞いて、君がどんな選択をするのか、少し不安ではあるけどね」


 不穏な発言に眉を顰めるが、和泉がパンケーキを食べ出したのを見て思い直した。そしてもうひとつの疑問を解決しようと、蓮司は写真の貼られたA4ノートを前に出した。


「それで立花の件ですけど、手伝うのは良いんですけど、これって俺がやる意味あるんですか? 俺なんかよりも、他の呪術師に依頼した方が確実に見つけられると思うんですけど」


「蓮司君、縁についての話は憶えてるわよね」


 蓮司は頷いた。ここに来るまでに、一般的な縁と呪術師が扱う特別な縁の説明を受けていた。


「縁が断たれて、明乃ちゃんは呪術師でも捜すのが難しい状況にある。だから君の眼を借りて、あの子を見つけてあげたいのよ。それにここで眼の検証をしておくことは、蓮司君の依頼にも都合が良いわ。眼の性能を調べておけば、蓮司君が視てきた過去がどの程度正確かもわかるし、場合によってはその眼を利用して、一気に元凶に辿り着くことだって出来る」


 改めて指摘されれば、当然の発想だった。自分は過去が視れる。ならば、その眼で家がおかしくなった原因もわかる筈だと。しかし、蓮司にとってはこの眼があまりにも身近だったうえ、過去視のタイミングも不規則なせいで、自分ではその考えに至らなかったのだ。


「けど、本当に視れるかな。俺の眼、今まで制御出来たことなんてなかったから」


「そこはだいじょーぶ。ちゃんと準備してきたからね」


 綾人はショルダーバッグから一枚の霊符を取り出し、テーブルの上に置いた。認識阻害でこのテーブルから客の意識が逸らされていなければ、生暖かい眼を向けられていたかもしれない。


「これでぼくと君の縁を繋いで、互いの視界を共有する。ぼくが君の眼に干渉することで、過去視の精度を上げるんだ」


「……綾人の」なんだか途端に不安になってきた。


「あ、ちょっとなにさ、その顔。ぼくの腕が信用ならないって感じだね」


「いやだって、これまでのイメージがな。綾人はなんていうか……かなり自由奔放だし、昨日も祭塚さんが一撃で焼き払った鼠を撃退出来なかったし……」


「それはあくまで戦いの話だろ。っていうか、あの時は一条さん、五法曼荼羅からの霊力供給もあって火力が馬鹿高かったんだよ。元々あのひと物量には滅法強いけど、そういう理由があったのを忘れないでよね。この手の呪術の行使となれば話は別。ぼくの腕なら、君の視覚を共有するくらい楽勝さ」


「霊符ありきだけど安心して。こう見えて綾人くん術式の扱いだけなら、そこらの大人よりも遥かに上手……っていうか、実際あたし負けてるし……」


 自分で言って哀しくなったのか、和泉は肩を落とした。どうやら、こと呪術の行使に関しては、ほんとうに綾人に任せても大丈夫のようだ。


「さ、その札に手を置いて。天眼持ち脳の処理は少し特殊だけど、そこは予習してきたからだいじょーぶ。立花さんの写真もたくさん見せたし。あの裏に天眼が活性化する呪文を書いておいたから、いつもより感度が上がってるしね」


 確かによく視えた。写真だけで過去が視えるなど、余程調子が良くなければ出来ることではない。あの写真には、明乃の姿を記憶させる以外にも意味があったのだと納得する。


 予習という言葉には不安を感じたが、蓮司は大人しく札に触れることにした。綾人も蓮司と同じ札に手を置く。その瞬間、ばちりと静電気のようなものが走った気がした。


「うん、繋がった繋がった。それじゃあ実験。蓮司君、眼を閉じて。それで、いまぼくのいる場所に自分がいるって想像するんだ」


「いや、抽象的すぎてわかんねえよ。なんのスピリチュアル、これ?」


「いいからいいから。ぼくの視界を得たと思って、イメージしてよ」


 蓮司は大人しく、目蓋を閉じ、自分が綾人の席にいるイメージをし、彼の眼に映るものを想像してみた。まず、想像したのは自分自身の顔だ。綾人はいま蓮司の目の前にいるからだ。


 その瞬間、イメージとしてではなく、本当に視界に自分の顔が映った。


 蓮司は驚き、思わず椅子を引いてしまった。


「お、上手くいったみたい。どお? 喫茶店の様子も視える」


 本当に綾人の視界になったのか、目蓋の裏の景色がぐるぐると喫茶店のなかを動く。


「おいバカ、そんなに眼を動かすな。酔うだろうが。ってかこれ、どうやって戻すんだよ」


「そりゃ、眼を開ければ良いんじゃないの?」


 言われて、自分が眼を閉じていたことを思い出した。いま視えていたのは、あくまで脳裏に描いた景色なのだ。蓮司が眼を開くと、もとの自分の視界に戻っていた。


「……いまの、どうなってんの?」


「蓮司君とぼくの視界を同調させたんだ。呪術師同士ならもっと簡単なんだけど、君は一般人で、そのうえ天眼持ちだからね。だからこの札を媒介にして感覚を同期しやすくしたんだ。これで過去視をすれば、ぼくも君の視ている景色が視れるってわけだ」


 改めて呪術という力に驚かされる。これまでは派手なものが多くて現実感がなかったが、だからこそ、こういう地味でも有用性のある技術の方が、その特異性が際立つように感じた。


 それから蓮司たちは、明乃の痕跡を捜すため、上野駅を出て、アメヤ横町を訪れた。


 真夏の猛暑にも関わらず、アメ横は大勢のひとでごった返している。魚屋に服屋、中華料理店にタイ料理店にドネルケバブ店、からに、店から人の肌に至るまで、あらゆるものが混沌と混じりあっている。元々雑多な闇市であり、多くの文化を受け入れて生き残ってきたことが、国際色豊かな文化と人種の坩堝を作り上げているのかもしれない。


 十分ほど人の波に揉まれたところで、タピオカジュースのストローから和泉が口を外した。


「あっついわ。明乃ちゃん、ほんとうにこんな所に来たの。ていうか、このクソ暑いなか、普通来る? 行くならデパートとかでしょうが」


 まだ一時間も青空の下にいないのに、もうだいぶキテいるらしい。和泉はかなり暑さに弱いらしく、外を歩いている間は、何回も水分補給をしているように見えた。


「アメ横の方が安いからだと思いますよ。それより、ホントにこんな所から立花がいた過去を見つけなきゃならないんすか? これだけ多いと、例え過去視が出来ても人混みから見つけ出すのが大変っすよ」


 そう言っている間にも、脳裏にアメ横の過去の景色が浮かんだ。綾人が縁越しに呪術で干渉するせいか、いつもよりも情報が膨大だ。視界に映るすべての人間が、時間が巻き戻るように後ろ向きに歩き、次々と新たなひとで入り乱れていく。


 不自然な景色に酔って、蓮司の身体がふらついた。その身体を綾人が手で支えた。 


「がまんがまん。ここが立花さんの姿が視えた最後の場所なんだから、頑張らないとね。それ

に、いまの君になら立花さんは捜せる筈だぜ。なにかを捜すには、まずそのための基点となる情報が必要だ。その情報を、さっき君は視てる。それをイメージするんだ。他の情報は極力無視するのがコツだって、昨日読んだ呪術書にも書いてあったよ」


 仕入れたばかりの情報を得意げに語るのはどうかと思ったが、いまはそれに頼るしかない。


 蓮司は写真で見た立花明乃の姿を、アメ横の景色に重ねた。


 すると、視界に映る景色が急激に遡り、人混みのなかに立花明乃の姿が浮かんだ。


 追われているのか、彼女は後ろを振り返りながら人をかき分け走っていく。


「視えた。何かから逃げてるみたいだ」


「このままだと見失うね。もう一度捜すより追うほうが手っ取り早いし、走ろうか」


 視覚を共有しているためか、綾人は決断が早い。


 蓮司は彼に促され、明乃のあとを追った。

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