7.ファイナルステージ

「すげえな、坊主。若きサムライ、世界へ羽ばたくツーゴール、だってよ」

 控室で津上がスポーツ新聞を広げ、素っ頓狂な声をあげる。

「ドイツ代表から二点も取っちまった。いくら主力を半分以上温存してるからって、代表デビューの十九のガキにいいように走り回られて同点にされてちゃ、奴らもメンツ立たねえな」

「人ごとじゃないぞ、ガミさん」

 ラノスに言われ津上が顔を向ける。

「今度は俺達がボウヤに約束を果たす番だ」

「……だな」ふいに津上の表情が曇る。「もう後がねえもんな」

「今日の試合、九十分以内で勝たなければうちの一部昇格はなくなる」

 良太抜きで挑んだ前節で、延長までもつれ込んだのが誤算だった。逆に勝ち点差が広がってしまったのである。

「横須賀に延長に持ち込まれた時点で、勝っても勝ち点が一点足らなくなる。きついな、こりゃ」

「おまけに横須賀め、ここにきてJ1から三人もレンタルしてきている」

「ロートルの数だけならこっちのが上なのにな」

 笑えない冗談だった。

「負けたら解散か。せめて坊主がいりゃあなあ……。まあ、あいつにとっちゃ、その方がいいのかもしれないな。ほっといても、どこからも引っ張りだこだろうしな。ドイツ戦の後、いきなりブンデスリーガからオファーがあったんだろ?」

 ラノスが頷いた。

「エスパニョーラからもな。ボウヤは聞く耳も持たないって話だが」

「あいつには色気ってもんがないのかね」

「さあな」首をすぼめるラノス。「バカの考えることはわからん」

「同感だな。二部リーグの試合のために代表招集断ろうとする奴だからな。頭の中どうなってんのかねえ。……それはそうと、ラノさん」思い出したように津上が言う。「ネオシーダ監督辞めちまったってな。そりゃそうだな。元ブラジル代表だかなんだかしらねえけど、結局ウェルビィ、去年より成績下がっちまったんだからな。複雑だろ、ラノさん。人に戦力外通告しといて、駄目なら勝手に辞めちまうんだもんな」

「別に」津上をちらりと見やり、恨めしそうに言った。「よくあることだ」


 リーグ最終節。

 すでに函館は、一足先にJ1昇格を決めていた。

 二位横須賀と北尾の勝ち点の差は三。九十分以内で勝利すればぎりぎり肩を並べることができる。

 得失点差に勝る北尾が二位以内に滑り込める唯一の手段だった。

「ラノさん」

 ラノスが振り返ると、満面の笑みをたたえた益田の姿があった。

「聞きましたか、満員ですよ。北尾スタジアム始まって以来の快挙です。私、もう何も思い残すことはありません。あとは一万五千人の観客の前で昇格を決められれば最高です」

「そうですか」

「あ、それからね、ラノさん」立ち去ろうとしたラノスを、益田が引きとめた。「今期の売上、かなりいいそうです。スポンサーの皆さんも大層喜んでみえましてね。今日うちが負けても、チームは残ることになりましたからね。ただし、私は用無しだそうですけどね」

 ゆっくりと顔を向けるラノス。

 益田は相変わらずの笑顔で続けた。

「ラノさん。前にも言いましたけどね。あなたにその気があるのならいつでも言ってください。うちは喜んであなたを監督として迎え入れますよ。なんなら選手兼任でも結構ですよ。昨日フロントにかけあってきましたから、確かです」少しだけその顔が曇った。「ほんとに、私ほど監督に向いていない者もいないんでしょうね」

 益田の正面に歩み寄るラノス。真顔になって言った。

「監督。気持ちは嬉しいが、俺はあなたほども監督には向いていないのかもしれない。それに残念だが」ふっと笑う。「俺は今がプレイヤーとして絶頂期なんだ。わかってください」

「そうですか。試合前に野暮なことを言ってしまってすみません」

「いえ、こちらこそすみません」

「頑張ってください。いえ、何がなんでも勝ってください」

「命令として聞いておきます」

「負けたら監督やってもらいますよ」

「それはキツいペナルティーだ」

「ははは……」

 益田が立ち去った後から、津上がラノスに声をかけた。

「あのオヤジ、とんでもねえくわせもんだぜ。試合中に監督のノートたまたま見ちまったことがある。俺達の癖から欠点から、えらく細かくチェックしてあった。的確なんだよ、それが。俺達が試合中に見落としてたこととか、気づかない失敗とかもな。結構参考にさせてもらったけど、妙に納得しちまったよ。なんで何も言わねえんだろうな」

「サッカーをよく知っているからだ」

「はん?」

「欠点なんて人に強要されて直るものじゃない。駄目出しされたことばかりに固執するよりも、何が欠点か自分で考えた上で、それすらも打ち消すような長所を磨くことが大事なんだ。ほかのアドバイスだってみんなそうだ」

「要は問題意識を持てってことか」

「目的意識もだ。プロとして生きてく上で最も重要なことだ。チーム全員の欠点を直しても、結局全部同じ選手にしかならない。それじゃ学生のチームと同じだ。負けない試合をするだけならそれでもいいかもしれんが、勝つためにはそれ以上がどうしても必要になってくる。あの人は俺達がそれに気づいて、自分のもとへやって来るのをじっと待っているんだ。選手一人一人に、バラエティにとんだ過酷なプランを用意してな」

「すげえ精神力だな。本当は言いたくて、うずうずしてるはずなのによ」

「まあ来年からはそうもいかなくなるだろうがね」

 ラノスが遠くを見るような顔になった。

 津上が不思議そうにラノスを眺める。それから、やや腑に落ちない様子でそれを口にした。

「ラノさん、丸くなったな。ほんのちょい前までは、何かある度に、カッカ、ポッポしてばっかだったのによ」過去を思い返し、切なそうに目を伏せる。「何度止めたか、記憶が定かじゃない」

 津上にまじまじと見つめられ、ラノスが困ったような顔を向けた。

「仕方がない。俺が退場になったら、誰があのバカの面倒を見る」

「それもそうだな」津上が、う~ん、と伸びをした。「なんでもかんでも世代交代してかなきゃな。俺らの番は終わったってことか……」

「そうじゃない」

「ん?」

「あいつがもう少し落ち着いたら、また今度は俺の番だ。その時はガミさん、頼む」

「何を頼むって……」


 満員の北尾スタジアムに足を踏み入れる北尾イレブン。

 観客席はサムライブルーならぬ、マッチャグリーンに彩られていた。

 大歓声の渦巻く中、彼らは選手入場口の手前で信じられない光景を目の当たりにする。

「なんだ、あの緑色の頭は」

「さあな」唖然となってラノスが津上に言う。「俺が知っている限り、あんなバカ、一人しかいない」

 そのバカが振り返った。

「遅かったじゃねえか、おっさんども」思い切り踏ん反り返っていた。「一万五千人の北尾サポーターがすっかりお待ちかねだぜ」

「何やってんだ、良太」

 驚きの声をあげるラノス。

 するとにやりと笑って良太は言った。

「ドイツと試合やってから、飛行機乗ってすぐ帰って来た。この試合が終わりゃ、またすぐ戻るけどな」

「って、おまえな……」

「ちゃんと向こうの監督にも許可はもらってあるぜ。すっげえ怒って、ねちねち嫌味言ってやがったけどな。腹が立ったが、ぐっと我慢して、次の試合で絶対点取ってやるって説得して慰めてやった」

「何様だ、おまえは……」

「この試合にも俺は登録してあるはずだぜ。向こうに行くかわりに、こっちの試合にいつでも出られるようにしとくってのが、益田のおっさんに出した条件だからな」

「確かに名前だけは入れてあったが……」

「てっきり、お守り的なモンかと……」

 ラノスと津上が恨めしそうな顔を向け合う。

「ったくよ、俺がいねえだけできっちり勝つこともできねえじゃねえか。ほれ見ろ、言わんこっちゃねえ。だからあんたらにはまかせられねえんだよ」

「あのな……」

「そんなことよりよ、これ見ろって」

 言葉も出ない仲間達を気にもかけずに、良太は得意げに緑色の頭を指さした。

「どうだこれ。緑のユニフォームに緑の頭。これで芝と同化して、敵の目ぇ、くらませられんだろ? ドイツと試合やってる時に、ぱっとひらめいたんだぜ。名づけて、忍法カメレオン……、やっぱ名前はどうでもいいけどな」

「なんてポジティブな奴だ……」津上の顔に表情はない。「こんなのに二点も取られたなんて、ドイツ人もびっくりだな」

「忍法カメレオンだからな……」

「いや、それは勢いでよ……」

 気を取り直す北尾イレブンと良太。

 一万五千の大観衆が彼らの勇姿を待ち望んでいた。

 コンセントレーションを保つのももどかしく、興奮しっぱなしの良太が、わくわくそわそわと勇み足を出しかける。

「行くぜ、おっさんども! もたもたすんなよ!」

「うるせえぞ坊主!」

「黙ってろ、おまえは!」

「リョーター、ナンデスカアー?」

「んだよ、俺はな……」

「行くぞ!」

 闘将ラノスの号令のもと、円陣を組んだイレブンが大気炎を大空へ噴き上げる。

 かくして、マッハ・エーティーエイト北尾のラスト・チャレンジは幕を開けた。



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