5.大爆発!

 左右に展開するウイングを従えるように、ピッチの中央を一直線に良太が疾走していく。

 追いすがるマークを圧倒的な加速力で振り切り、ドリフトのような左右の切り返しで相手DF陣を自在に翻弄していた。

 その注目度の高さからか、ボールをキープするラノスより、良太一人に函館の注意が向けられているようにも思えた。

「金髪効果だね」

 ぼそりと呟くラノス。

 ハーフウェイ・ラインとペナルティ・エリアの中間付近では、前後からラノスを挟み撃ちにすべく相手選手が迫りつつあった。

 両サイドに味方の姿を確認するラノス。

 函館GKは良太を警戒し、ほんのわずかな動きにも過剰な反応を示すようになっていた。

 それが決定的なスペースを作り出すきっかけとなった。

 ラノスが二人のマーカーを引き連れ、良太とは反対のサイドに向かってダッシュする。

 ボールを置き去りにしたままで。

 最初に異変に気づいた函館のゲームメーカーの表情が豹変した。

 彼は縦横無尽に走り回る津上のマークにかかりきりだったため、ラノスの一瞬のひらめきに即座に対応できなかったのである。

「キーパー! 戻れ!」

「え?」

 味方の絶叫に、良太とラノスに意識を振られていたGKが返り見る。

 が、北尾陣内から猛スピードで駆け上がる小さな影は、タイムラグ・ゼロでラノスと入れ替わるようにその場所へと到達し、一片の躊躇もなく全身全霊を右足の甲から放出したのだった。

 北尾守備陣の要にして、第三のストライカー、ルイス・ネグラテだった。

 破壊的な力で叩きつけられたボールはインパクトの瞬間いびつにひしゃげ、おおよそ三十メートルのフラットな弾道を描いて、ゴール右隅へと吸い込まれていく。

 それを追うように左手を上げながら高くのけ反った函館GKが、尻餅をついて大地へと叩きつけられた。

 観客の大歓声とともにゴールを確認したネグラテが、両手を大きく拡げ、歓喜の雄叫びをあげながら走り出す。サポーター達の前で立ち止まると、膝をつき、胸の辺りで両手を組んで神に祈りを捧げた。

 小さな大ストライカーの身体に、次々と覆い被さっていくチームメイト達。

「やったぜ、ルイス!」

「やった! やった!」

「函館から先取点取っちまったぜ!」

 その輪を遠くから眺め、ラノスが満足げに笑った。

「すげえな。キック力だけなら坊主と変わんねえな」

 津上の声に顔を向ける。

「咄嗟の状況判断はボウヤよりはるかに上だ」

「かもしんねえな」津上がため息をつく。「あれで俺より三つも年上だってんだからな……」

「ヘイ、ラノース!」

 ラノスを見つけ駆け寄るネグラテ。

 互いに最高の笑顔で抱擁を交わした。

「ハッハアー!」

 沸き上がる函館総合多目的グラウンド。

 その大半がブーイングであったとしても、満員のスタジアムの中で北尾が先取点を奪ったことこそが、大きな意味を持つ。

 この試合の流れと、今後のチームへの影響においても。


 それから試合はしばらく膠着状態に入ることとなった。

 両チームとも責め続けながら、決定機まで持ち込むことができない。

 函館の攻撃の芽は早い段階でネグラテが摘み取り、ゴール前では光永が大きく立ち塞がった。

 一方の北尾もラノスと良太が徹底的なマークに合い、他選手とのラインをことごとく分断されていた。

 自軍ペナルティ・エリア前で、カットしたボールを津上とのワンツーで戻すネグラテ。そのまま攻め上がろうとし、ラノスの方をちらと見やった。

 ラノスは函館のタイトなマークを振り切れずに四苦八苦している様子だった。

 パスコースに窮し、もう一度津上の動きを目で追うネグラテ。

 函館のプレスが迫ろうとしたその時、自分を呼ぶ声に反応した。

「ルイス!」

 良太だった。

 良太は自陣の奥深くまで戻っており、自らパスを受け取りにやって来ていた。

 良太の叫び声に、鋭く光るネグラテの目。フェイントでマークを振り切り、相手のスライディングタックルに合わせるようにパスを出した。

「リョーター!」

「まかせろ!」

 難易度の高いハーフバウンドをこともなげにジャンプで受け止め、次のステップで縦のドリブルへと入る。

 良太の十八番だった。

 嵐のようなドリブル。

 かつてそれに触れようとした者は、圧倒的な力によってねじ伏せられてきた。

 が、それは高校レベルまでの話である。

 J2最強軍団をたった一人でどうこうしようなどとは、いくら良太でも考えていないはずだった。

 ピッチのど真ん中を切り裂くように爆進し、チャンスを求めて函館陣内に楔を打ち込んでいく良太。

 ほころび始めた鉄壁の集団から、ラノスが飛び出すのが見えた。

 その瞳の意図に気づき、パス出しの後、良太がラノスのファーサイド目がけて走り出した。

 それと平行して、サイドチェンジをしていた津上がオーバーラップして行く。

 良太からのパスを、ダイレクトに左側の津上へと送るラノス。

 良太とラノス、そして第三の男ネグラテの存在に隠れていたため、津上は函館のマークを完全にはずした状態となっていた。

「坊主! 入れろっ!」

 右足の内側で巻き込むように蹴りつける津上のラストパス。

 すでにペナルティ・エリア内に進入していた良太のシュートコースを塞ぐべく、相手DFとGKが立ちはだかってきた。

 二人のDFの間隙をぬって飛び込む高精度の職人技に、懸命に突き出したDFの足もボールに触れられない。

 それに合わせるべく、右からゴール中央目がけて強引に突進する良太が、何とかボールとGKの間に滑り込むことに成功した。

 ハーフバウンドを一度止めてから蹴り込むタイミングは残されていない。

 加えて、津上の強烈なセンタリングに直接合わせるには、相当のテクニックが必要だった。

 眼前に立ち塞がるGKに、良太がちらと目をやった。

「ちっ!」

 ボールに対して良太の体が開いた状態になる。

 バランスを崩したまま右足を繰り出すが、センタリングは良太の踵の後ろを抜けていくこととなった。

 良太と接触しかけた相手GKが、空振りにほっとしたような顔になる。

 すれ違いざま良太の顔を見て、挑発するようににやっと笑った。

 一瞬後、その顔は衝撃に凍りつく。

 津上のセンタリングは、その足を離れた直後から、少しずつ内側に巻き込むような軌跡を描き始めていた。

 良太がスルーした後、ボールは右のゴールポストの手前をわずかに抜け、サイドネットを揺らしたのである。

 そしてそれは函館の勢いに歯止めをかける楔となった。

 前半四十二分。

 電光掲示版に、マッハ・エーティーエイトの二得点目と、津上の名前が浮き上がる。

 函館総合多目的グラウンドを席巻したのは、絶叫と大いなる歓声だった。

 イレブンのモチベーションは最高潮にまで達していた。

「やったな、ガミさん」

 ラノスに背中を叩かれ、津上がやや自嘲気味に笑う。

「あの坊主、味な真似しやがって。……ゴールなんざ四年ぶりだぜ」

「結果オーライだ。ボウヤのボレーは小学生レベルだからな」

 笑い合う二人。

 無論、ボレーシュートが良太の最も得意とするところだと知っての上でである。

「おっさん、まだいけんのかよ」

 後半開始早々に良太が津上に憎まれ口を叩く。

「おう、今日は体の調子がいいんでな。それによ」にやり。「今引っ込めるかよ」

 活気みなぎる津上を表情もなく眺め、良太がぼそりと言う。

「目覚めちまったかな……」


 後半四十三分。

 味方FWの三点目に続き、ラノスが駄目押しの四点目を函館ゴールに叩き込む。

「良太」挑戦的な笑顔で良太を見据えるラノス。「おまえ、とどめを刺してきな」

 口をへの字に曲げ、それに良太が頷く。

 この試合、まだ良太の得点はなかった。

 すでに函館サイドからは戦意が消えかけていた。

 勝利も無敗記録もほぼなくなった。

 今節の一敗を潔く受け入れた、抜け殻となった彼らに残るのは、ホームでの惰性的なプライドだけだったからである。

「行けっ、良太ー!」

 センターライン付近から、ラノスが槍のようなパスを通す。

 すぐさま二人のマークが良太へと群がってきた。

 当然ケズりにきていた。

 勝敗はほぼ決っしても、良太に対するチェックだけは緩くはならない。

 元日本代表になら百歩譲ったとしても、高卒のルーキーにまで自陣内をわがもの顔で走られたのではあまりにも情けない。

 仮にも最強軍団の称号を持ち、首位を独走するトップチームなのだから。

 それを冷静に見据え、良太がタイミングを見極めようと模索する。

 相手が飛び込んでくるよりも、パスの到着の方が数瞬早いと判断した。

 そこに躊躇などは微塵もなかった。

「どああっ!」

 強烈なロングパスの勢いを胸で殺すや、間髪入れずに身体を捻る良太。

 仰向けにゴールを睨みつけたまま、大空を思い切り蹴り上げた。

「でっ!」

 良太が背中から派手に転げ落ちる。

 その直後、二十メートルのほぼ直線の弾道は、伸び上がった函館GKの指先をかすめて、ゴールネットの一番深いところに突き刺さっていった。

 一瞬、すべてが動きを止めたように思われた。

 後に巻き起こる、うねるような大歓声。

「ラノさん、バイシクルだってよ……」ラノスの横で津上がぽかんと口を開けて立ちつくす。「もう少し、相手に情けとかかけてやれねえのかね、あいつは」

「確かにとどめを刺してこいとは言ったが……」喜び跳ねまわる良太を、ラノスも呆然となりながら見つめていた。「ありゃ残酷だろ」

「ナイッシューッ! ナイッシュー、リョーター!」

「やめろって、ルイスー」抱き着いてキスをしようとするネグラテを、嫌そうに引きはがす良太。「マジでやめろって!」

 良太の放ったバイシクル・シュートは、サボンドール函館の息の根を完全に止めた。

 それからタイムアップまでに起きたことを、彼らは何も覚えていないはずである。

「おっさーんっ!」

「ウオオッシャー!」

 ラノスと良太のウイニング・タッチが函館総合多目的グラウンドに木霊した。


 その日、三位のテクノ恩田が格下のチームに敗れ、かわりにマッハ・エーティーエイト北尾が三位へと浮上した。

 次節以降も北尾が快勝し順調に勝ち点三をあげていったのに対し、函館に敗れたほか一度延長にもつれ込んだ横須賀は、思うように勝ち点を伸ばせずにいた。

 迎えた第二十七節、マッハ・エーティーエイト北尾は、三度目の対決で初めて横須賀から勝利をもぎ取る。

 勢いに乗りまくった北尾は、前節の大敗から何とか立ち直った函館をホームで撃破。

 後半戦開始から負けなしの十一連勝で球団新記録を樹立するとともに、二位との勝ち点差を二まで縮めた。

 ここにきて初めて、マッハ・エーティーエイト北尾に、自力での二位以内の可能性が生まれたのである。

 しかしその勢いは北尾にとって思わぬ弊害を生むこととなった。


「神林君」

 いつも以上に上機嫌の益田が、軽やかに良太に近づいてくる。

 怪訝そうに顔を向ける良太。

 すると益田は、頑張った子供にご褒美を与える時のような口調になって言った。

「やりましたね。日本代表に選ばれましたよ」


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