4.リベンジ・マッチ
「つまりだ」
移動中のバスの中では、ラノスの独演会が始まっていた。
「今のうちの戦力の中で、攻撃と守りを活かせるシステムをつきつめたら、五・三・二が最適だということになったということだ」
ラノスと顔を突き合わせ、良太が難しい顔を向ける。
その周囲を、身を乗り出すようにして他の選手達が取り巻いていた。
益田は最前列の席で、相変わらずにこにこしながら缶ビールをグビグビやっていた。
「もともとうちは、両サイドバックが攻撃の起点となる戦法がオハコだ。そう言えば聞こえはいいが、ようは守ってしのいでの、カウンター一本きりってとこだ。おまえが言っていたとおりにな。だがガミさんはそんじょそこらのサイドバックじゃない。スピード、ブレーキ、テクニック、どれをとっても超一流だ。俺はガミさんをDFとMFの真ん中で使いたかった。果敢にオーバーラップもするが、守るべきところではキチンと守るし、サイドチェンジもできる。両利き足だしな。おまけにムードも変えられる。これだけのサイドバック、現代表にもいないだろうな」ちらりと津上を見上げる。「ただし、四十分で泣き言を言わなければ、だがね」
「トシには勝てんよ」
缶ビールを口にしながら津上が笑った。
「明らかに準備不足だ。情けない」
「無理言うなよ。ラノさんが特別なのさ」
「当然。俺は死ぬまで現役だからな」
「ぞっとしないね」
どっと笑う。
良太を除いて。
「それにしても、急すぎたんじゃないのか、ラノさん」
「俺は信じてたよ。このチームならそれくらい問題なくこなせるって」
「だったら、なんで三・五・二にしねえんだ」良太が怪訝そうに言う。「どうせスリーバックみたいなもんなら、そっちのがハッタリきいててカッコいいのによ」
その意見に、ラノスが少しだけ眉を寄せて津上を眺めた。
「ガミさんがサイドバックじゃなきゃやらないって言うからさ」
「……」不思議そうに顔をゆがめる良太。「なんか違うのか」
「おまえにはわかんねえよ」
すぐそばのヘッドレストの上に津上の顔があった。
良太も津上を見上げる。
すでにできあがっていた。
「俺にもくれ」
「駄目だ、おまえはまだ未成年だろうが」
津上から受け取った缶ビールをラノスが取り上げた。
「かてーな、おっさん」
「あたりまえだ。こんなところを写真に撮られでもしてみろ。J2の全チームが喜んでおまえをバッシングするぞ」
「あー、コーラがうめえっ!」やけくそだった。
ふっとラノスが笑った。
「いきなりスリーバックは無理だ。だがこのスタイルに慣れていけば、必ず機能してくる。それまではスリーバックの不安をルイスがカバーする。ルイスは中盤の底を支えられるだけじゃなく、リズムが悪くなってきた時に攻撃の起点となってチームを動かせる力を持っている。本当の意味でのボランチができる数少ない選手だ。ガミさんと同じ両利き足で、ストライカーとしての嗅覚はJ1でも充分通用する。同等の選手をヨーロッパから引っ張ってこようと思ったら、それだけでうちは破産するだろうな」
「ほんとかよ……」
「今日見たとおりだ。ルイスがいれば中盤は大丈夫だ。それにタツもいるしな。タツとの連携がうまくいくようになれば、バックも徐々に安定してくるだろう。それから良太」
良太が缶ジュースを口にしたまま、視線だけをラノスに向けた。
「おまえを下げた理由、聞きたいか」
「……」目をそらさず、ゆっくりと缶を下ろした。「聞きてえな」
にやりと笑うラノス。
「もったいないからだ」
「?」
「おまえをポストに使って前線で遊ばせておくほど、うちは余裕があるチームじゃない。体力の有り余っているおまえには、時間目一杯走り回ってもらう。敵をうまく引きつけ、チャンスがあれば飛び込め。チャンスがなかったら一人で切り込んで作り出せ。どんな小さな穴だって、ひびが入れば大穴になる。FWをうまく使って、最前線から俺達のいる真ん中まで支配してみせろ。早い話が柔軟な三・四・二・一の形だと思え。当然一はおまえだ。おまえと俺とルイスで縦のラインを完全に作り上げる。あとはガミさんが適当にチャンスを見繕ってくれる」
「三十七歳にそんなに仕事させるなよ、ラノさん」
津上とラノスが楽しそうに笑い合った。
良太はラノスの言葉をうまく咀嚼できずに、しばらく呆然とするだけだった。
やがて求められるものとその期待の大きさに気づき、体を震わせる。
武者ぶるいだった。
それを見てラノスは、遠くを見つめるように笑ってみせたのだった。
「この布陣が完成した時、J1のどのチームだって、俺達の敵じゃなくなる……」
第二十節。
J2実力ナンバーワンの函館と、今や人気ナンバーワンのマッハ・エーティーエイト北尾が、三度、あいまみえることとなった。
昇格するためにはこれ以上の負けが許されない北尾にとって、この試合は中盤の山場とも言えた。
函館は一度だけ横須賀と引き分けた以外は開幕からすべて勝利しており、この試合に勝てば二十試合連続の無敗記録ともなる。内容も、延長Vゴール勝ちの多い横須賀に比べ、きっちり九十分以内で勝ちきる強さを持っていた。
その実力はリーグではもはや別格であり、一部でも優勝争いができるだろうと囁かれるほどだった。
北尾は函館と今シーズン二度対戦し、初戦を七対〇という屈辱的なスコアで大敗、二戦目は良太がフル出場していながら四対一で敗れている。
当時とは比べものにならないほどに成長した北尾が雪辱をかけて挑むという意味でも、興味深い対戦だった。
そんな要因もあってか、平均観客動員数約一万人を誇る函館総合多目的グラウンドには、ウイークデーのナイトゲームだというのに、ほぼ満員の一万八千七百人がつめかけていた。
これはJ2新記録であり、そこから一万八千人を引くと、昨シーズンのマッハ・エーティーエイト北尾の平均観客動員数とほぼ同じになる。
「すげえな。今日び、一部でも、なかなかこれだけの人数は集められんぞ」ざっとスタンドを見渡して、眩しそうに津上が目を細める。「俺の引退試合の時には、三千二百しか入らなかったってのに……」
「まったくだ。アウェーなのにたいしたものだ」淡々とラノスも言う。「彼らの平均が一万人だから、俺達は敵地で八千七百人の客を集めたことになる」
表情もなくラノスを見つめる津上。
「……ま、そういうことにしとこうか」
「いいですか!」
いつになく力のこもる益田。
「横須賀との勝ち点差は依然として十三のまま、函館とは十九あります。残り十七試合でこの差を縮めるには、少なくともこの二チームとの四試合には負けは許されないのですよ!」
顔は笑ったままだった。
「確かにそのとおりだな」
呟く津上に顔を向ける、ラノスと良太。
「俺達が全勝しても、横須賀が函館以外の残り全部に勝てば、結局勝ち点で一つ届かないことになる。最低この二チームには勝たないと二位以内は苦しい。もし横須賀が全勝でもしちまった日にゃ、俺達は絶望だ。まず確実に勝ち点を三もらうことが前提だな。この際、延長や引き分けは一切考えない方がいい」
「んなもん、はなっから考えてねえよ!」
鼻息をあらげ燃え上がる良太を、ラノスが眉間に皺を寄せながら眺めていた。
「一点や二点、勝ち点もらったところで仕方がねえ。全部九十分以内に勝つんだ」
「良太」
「ん?」
「いつから金髪になった」
良太の逆立つ髪は、すべてて金色に光り輝いていた。
キリッといい顔でラノスと向き合う良太。
「今日、朝一で染めてきた。俺の役割は相手の気を引いて、うまく自分達のペースを作り上げることだからな。それにこれなら、おっさん達が遠くからでもわかるだろうしな」
顔を背けるラノスと津上。
「さすがだ。そういうポジティブな発想と年長者への配慮こそが、一流サッカー選手には必要なんだ」
ぼそりと言い、追い払うように手を振るラノス。
「だろ、だろ」
嬉しそうに良太が笑った。
「ポジティブねえ……」
首を捻る津上の顔を、良太は不思議そうに眺めた。
「行くぞっ!」
ラノスの号令に呼応する北尾イレブン。
一万人以上のブーイングの中、ひるむことなく敵地の芝を踏み締めて進む。
「なんか、ブーイング、俺だけに集中してねえか?」
「それだけおまえが人気者だってことだ」
良太の金髪を眺め、淡々とラノスは言った。
ホームを背にした函館のパフォーマンスは圧倒的だった。
最前部から最終ラインまでをコンパクトにまとめた布陣は攻守の切り替えが素早く、ボールを奪われても早め早めのプレスを仕掛けてくる。
お家芸のオフサイド・トラップも機能し、序盤は完全に函館がゲームを支配する展開となっていた。
決して力任せの雑なサッカーをすることもなく、最後尾からの押し上げで確実にプレッシャーをかけてくる函館に対し、浮き足立った北尾はザルのごとくパス回しをされるありさまだった。
「来るぞ!」
ラストパスが通る場所に走り込んだ選手は、良太と得点王争いを繰り広げる、J1から流れてきた外国人選手だった。
前節も開始早々彼に得点を奪われ、あとはズルズルといかれてしまったのだ。
鋼のように強靭な肉体は、高く跳び上がると鞭のごとくしなり、一直線にターゲットに襲いかかっていった。
がしかし、黒き獣はすんでのところで横から獲物を奪われ、尻餅をついて空を見上げることとなった。
自分以上の巨体をものともせずに弾き飛ばしゴール前にそびえる偉丈夫こそ、マッハ・エーティーエイトの新たなる守護神、光永達次だった。
「ナイス、タツ」
「ガミさん!」
光永のスローを胸で受けた津上が、すぐにラノスにボールを渡す。
「行くぞ!」
ラノスの咆哮を契機に、一斉に駆け上がる北尾イレブン。
サムライ達の反撃が始まった。
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