2.ウイニング・タッチ

 開幕戦、マッハ・エーティーエイト北尾は、アウェーで昨年三位のモンデミロ秋田に惨敗。

 続く第二節には、ホームで大本命サボンドール函館に七対〇で完敗した。

 この時点で早くも北尾イレブンの戦意は著しく低下しており、すでに息の根を止められたも同然だった。


 迎えた第三節。

 ついに良太の怒りが爆発した。

「なんで俺がスタメンじゃねえんだ!」

 ベンチから立ち上がって良太が益田に食ってかかる。

 しかし胸倉をつかまれても益田は笑顔を崩すことなく、穏やかに良太を諭すだけだった。

「わかっていますよ。いくら三十六試合あるといっても開幕二連敗は痛いですからね。でもね、私は信じたかったんです。彼らのスピリッツを……」

 フィールドに目をやると、数こそ少ないものの熱狂的なサポーター達に後押しされた相手チームが生き生きとプレーし続けるのが目に映った。

 やる気のない自軍の中、孤軍奮闘し孤立するラノスの姿も。

「しかし腹は決まりました」

 筋のような益田の目がキラリと光った。


 ハーフタイム。

 二点のビハインドを負い、北尾イレブンはすごすごと、いやさばさばとした表情で引き上げてきた。

「あいつら強くなったなあ」

「三年くらい前まではうちの方が上だったのにな」

「下克上だな」

「この世界じゃ、よくあることだ」

 まるで人ごとのように楽しそうに笑い合う。

 そこにはプロとしてのプライドは微塵も見あたらなかった。

「くそっ!」

 スポーツドリンクのボトルを思い切り蹴り上げ、累積二枚目のイエローカードを受け取ったばかりのラノス・甲斐がタオルで頭を掻きむしる。

 その表情は苦悩にまみれていた。

「ラノさん」

 益田に呼ばれてラノスが顔を向ける。

 すると益田は何かを含むような笑顔をみせた。

「後半から神林君を投入します。好きなように使ってみて下さい」

 にやりと笑う益田。

 何も言わず、ラノスはその顔を見つめていた。


「やっとデビューかよ」

 フィールド全体を見渡し、腰に両手をあて良太が踏ん反り返る。

 その姿を認めた途端、観客席からは惜しみないブーイングの嵐が巻き起こった。

「今日の観客は五千人だそうだ」

 振り返るとラノスがいた。

 スポーツドリンクを飲みながら続ける。

「つい最近までアマチュアチームだったというのに、たいした人気だな。ホームであることを割り引いても、うちよりだんぜん支持されている。高校時代のライバルだった小沢は、J1の開幕戦で初得点をあげたそうだな」

 ジロリと目を向ける良太にもまるで表情を変えることなく、ラノスは少しだけおもしろそうに笑ってみせた。

「ブーイングだらけのアウェーの二部リーグでデビューする気分はどうだ?」

「言うことねえな」ぶすっと言い放つ。「敵地で相手を完膚無きまでに叩きのめすのが、サッカーの醍醐味だ」

「おまえの、だろ」

 にやりと笑う。

 顔を見合わせ、二人そろって。

「テクノ恩田は函館、横須賀の二強に続く第二勢力だ。終盤には必ず優勝争いにからんでくるだろう。今のうちに叩いておきたいところだが……」

「息の根止めてやらあ!」


 会場全体を切り裂くようなホイッスルが高く鳴り響き、セカンドハーフが開始された。

 そして、まもなく五千人の恩田サポーターは静粛の中に身を閉ざすことになる。

 前半からは想像だにしていなかった悪夢の展開に絶望して。

「うがあっ!」

 百八十センチ、八十キロの良太のドリブルは、簡単には止められない。

 当たれば弾かれ、追えばそのスピードに置き去りにされるからだ。

 良太が引っ掻き回した後のスペースを、Jリーグ随一のテクニシャン、ラノスが支配するのはたやすいことだった。

「卑怯なやっちゃな」

 ボールを踏みつけラノスが呟く。

 前線で三人の相手DFに囲まれる良太の姿が見えた。

 オープンスペースに山なりのパスを放り込むラノス。

 すると包囲網をかい潜り、良太がボールを奪い取ろうと飛び出した。

 急激な反転で複数のマークを完全に振り切り、走り込んだラノスへちらりと目をやった。

 スライディングタックルをジャンプでかわし、滞空中に横向きのパスを出す良太。

 それはゴール前のラノスに合わせる、正確なセンタリングとなった。

「身体能力だけでもアフリカ人クラスなのに、テクニックまで南米選手並みなんだから、なっ!」

 ハーフボレーをゴール右隅に蹴り込む。

 慌てて飛び出したGKは、仰向けに転倒するだけだった。

 ゴール内のボールを拾い上げ、ラノスが祝福のキスをした。

 イレブンの手荒い歓迎を受け、揉みくちゃになるラノス。

 彼らの表情は四十五分前のそれからは考えられないほど光り輝いていた。

 無理もない。

 タイムアップ寸前の逆転劇を目の当たりにしてしまったのだから。

 恩田陣営はサポーターともども、完全に沈黙してしまっていた。

 わずかなロスタイムの後に会場全体を貫いた高らかなホイッスルは、マッハ・エーティーエイト北尾に待望の初勝利をもたらした。

 それは前年度から数えて、実に十二試合振りの勝利でもあった。

「ナイス、おっさん」

 ラノスが振り返ると、良太のギラついた笑顔があった。

「すまんな。おまえのハット取っちまった」

「るせーよ。ハットトリックぐらいいつでもやってやらあ」

 互いの顔を見てにやりと笑う。

「おまえみたいなバカは初めてだ」

「おっさんほどじゃねえよ」

 平手と平手をバチッと合わせる二人。

 今、堕落した集団が、隆起し始めた。


 第四節。

 前試合の情報は瞬く間に広がり、当然のことながら、良太はガチガチのマークに悩まされることとなった。

「野郎、やっぱり神林ケズりにきやがったな」

 ラノスの目に映ったのは、熱く燃えたぎる味方選手の勇姿だった。

 かつてラノスの前で酒屋になることを高らかに宣言した男である。

 ゴール左、二十メートルの距離からのフリーキックに臨むラノス。

 予想どおり、良太の周囲には相手チームの厚い壁が立ち塞がることとなった。

 複雑な表情で良太に目をやる。

 ホームにあぐらをかいた反則まがいのタックルを容赦なく浴び、さしもの良太にも消耗が見て取れる。

 その時ラノスの瞳がキラリと光った。

 それは大きく巻き込むような弧を描いて、ゴール右隅の最上部に突き刺さっていった。

「誰が蹴ると思ってるんだ」

 あきれたように笑うラノス。

 良太のマークにかまけて肝心のゴールがすきだらけだったのを見逃すほど、彼はアマチュアではない。

「すげえぞ、おっさん!」

 興奮し、鼻息を荒げながら抱きついてくる良太を、ラノスが迷惑そうに引き剥がした。

「わかった、わかった……」

「すげえ、すげえぞ!」

「もういい!」

 その数分後。

「うんがっ!」

 ラノスのラストパスを、良太がゴールの中央に豪快に蹴り込む。

 タイムアップと同時に、良太とラノスのハイ・タッチが、荒野のようなアウェースタジアムに木霊した。

 四戦目にして二シーズン振りの連勝を手に、また、勝率を実に数年ぶりに五分に戻して、北尾イレブンはホームに凱旋した。


 そしてマッハ・エーティーエイト北尾の快進撃は始まった。


 第五節。

 冬眠から目覚めたおおよそ四千人のサポーター達の前で、彼らは相手チームを完膚無きまでに叩きのめす。

 瞬く間に良太はリーグの得点王へとのぼりつめ、ラノスとのウイニング・タッチを見るために集まった観客達は、確実にスタンドの空席を減らしていった。

 ホームでの試合開催時には、単線の北尾駅が急遽駅員を増員し対応しなければならないほどごった返す始末だった。

 かくして町は活気づき、マッハ・エーティーエイト北尾も順調にJ1への階段を上り始めた。


 かに思えたのだが……。


「ちょっと待てよ! なんであれがファウルなんだ!」

 倒れた相手選手のそばで、味方に羽交い締めされながら良太がジャッジに食ってかかる。

 イエローカードを差し出され、さらに激高した。

「何! うばっうが……」

 ラノスに口を押さえ込まれ、引きずられるように退いていく。

 ようやく解放されるや、開口一番、良太はラノスへと矛先を向けた。

「なんでだ! おかしいじゃねえか! なんであれが!」

「バカたれ!」

「……」

 ラノスに一括され、良太の勢いがやや失速する。

「ただでさえ目をつけられてるのに、わざわざ自分から立場が悪くなるようなことをしてどうするんだ!」

「だってよ!」

「だってもくそもない! 標的にされてるのがおまえ自身だってことは、わかっているはずだろうが。奴ら、おまえを怒らせて自滅するのを待っている。そんな挑発にのったら、それこそケロンパスのスットコビッチの二の舞だぞ」

「あんたが人のこと言えるのかよ……」

「黙れ!」

 むぐう、と口をつぐむ良太。

「バカたれが。累積で次の試合は欠場だな」

「……」

 良太を引きずってきた選手が、青ざめた表情でラノスを見上げる。

「でもラノさん、次の試合って……」

「わかっている!」

 口髭に手を当てて考え込むその表情は苦悩だった。


 第十八節。

 セカンドクールのラストマッチにして、前半戦最後の相手は、サボンドール函館に続く一部昇格の有力候補、横須賀コマンターレだった。

 前節、二対一で惜敗した相手に北尾は良太抜きで挑み、そして、四対〇で完敗した。


 十八節を終え、マッハ・エーティーエイト北尾は、対戦成績十勝五敗三引き分けのリーグ第四位で前半を折り返した。

 すでに前年度を上回る勝利数をもぎ取っている。

 しかし二位の横須賀に勝ち数で六つ、勝ち点で十三差をつけられていた。

 これが楽観すべき数字ではないことを、彼らは痛切に感じていた。

「神林が欠場している試合は全部負けだ」

「やっぱり俺達は良太がいないと駄目なのかな」

 勝つことに慣れていない者達が当然にして突き当たった壁。そこに自分達の存在が感じられないと気づいた時、彼らは再び負け犬根性を取り戻そうとしていた。


 北尾のミーティングルームに良太の姿はなかった。

 良太とラノスはオールスターのメンバーにも選出されたが、チーム状態同様に精彩を欠き、つめかけた観客の期待に応えることはできなかった。

「神林がいなくても勝てるくらいにならないと、最初っからJ1なんて無理なのかなあ……」

「そんなことはない」

 そこにいた全員がラノスに注目する。

 するとラノスは笑いながら言った。

「ボウヤがいなくても勝てるようになるさ。これからはな」


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