銃と剣 36
事の始まりは、一カ月程前に遡る。
名成大付属高等学校一年六組に通う黒川潤一は、その日いつもの様に所属する野球部の部室に練習で使った用具を片付けに向かっていた。
学生たちは長い休みを終えて、天高く馬肥ゆる秋の訪れを、一日、また一日と肌で感じる九月のはじめ。まだまだ、真夏の暑さを引きずる夕暮れ時。
夏の選抜高校野球では、良くも悪くもなく、名成大学付属高等学校、略して名成は地区予選二回戦敗退である。相手は、隣高。全国にも名高い野球の名門私立高校だった。
案の定、彼らは名成を下し、そのまま甲子園への切符をトントン拍子に手に入れていった。それはもう、実に分かり切った事だった。
夏の青空の下、響いたバットの音で、名成野球部の夏は終わったのだ。
大会で負けても泣く選手は誰も居なかった。
それはそうだと、誰もが諦めていたからだ。
そもそも、野球がとにかくやりたい野球馬鹿など、ここの部活にいるはずがない。本当に真剣に野球がしたかったら、ここら辺では、名成を破った名門私立校か、他の野球有名校を誰もが選ぶ。
確かにそうかもしれないが、黒川潤一と言う少年は違った。
名門ではなくても、折角野球部に入ったのだ。
負ける前提の勝負なんておかしい。
負けても勝っても全力でやらなければ、自分にも、相手にも、仲間にも、全てにおいて失礼だと彼は思う。
そう、彼はとてもまじめな性格の持ち主だった。
しかしながら、彼と同じ志を持つ仲間はここには少ない。
一年生も二年生も、夏の大会で引退する三年生の先輩でさえ、あの試合負けて仕方がないものだと笑って言うのだ。
実力の差を考えれば確かにそうかもしれないが、ヘラヘラと笑う先輩達を見て、一人潤一だけが強く手を握りしめた。
一年でありながらも、レギュラーの座を渡してくれた先輩や、譲ってくれた先輩の為に頑張りたかったのに。
せめて、来年は。
だからこそ、大会が終わったばかりのグラウンドに一人練習をしているのだ。
誰も彼に付き合う者はいなかった。
それでもいいと、彼は思う。
自分の決めた事は、自分がやり通せばいい。他人に強要する事ではない事を彼はよく知っている。
野球部の部室前で足を止めると、中から声が聞こえてくる。
誰もいないはずなのに。
今日は野球部の練習はない。その為、彼は一人で練習をしていたのだから。
笑い声に混じって、テレビでよく耳にする音楽が聞こえてくる。
ああ、そう言えば、三年生の先輩が、彼女が好きなアーティストの曲だと大きな声で言っていたけっな。
潤一は思わず手を止め、大きなため息を吐いた。
中にいる人物たちの事を考えれば、自然と眉間に皺が寄るのは仕方がない。
きっと、中にいるのは引退したはずの三年の先輩達だろう。
試合に負けてもヘラヘラと笑っていた彼らだろう。
潤一が一人で練習をしている事実を知れば、必要以上にからかってくるに決まっている。自分が勝手に一人で練習していたのだ。その事実を笑われるだけならば、彼は何とも思わない。
少し腹が立ちはするだろうが、自分への恥ずかしさとは無縁の事である。
しかし、彼らはそれだけで終わらない。
一度彼らに、元部員の親友と二人で部活のない日に練習していた所を見られたことがある。
その時、彼らは笑った挙句、勝手に練習をした罰と題して、他の一年生全員に無茶苦茶なトレーニングに雑用を一か月無理やり強要させられたのだ。
教師に言っても見て見ぬふり。
運動部である以上、年上の言葉は絶対である習慣が少なからずとも、あるのは分かる。しかし、彼らは些かやり過ぎなのだ。
友人はその事で先輩に殴りかかり退部。この野球部を去って行った。
一人残った潤一も、また、彼らの事は苦手である。
夏の大会が終われば彼らだって、いなくなる。そう思っていたのに。しかし、そんな事はなく、あの大会が終わった後でも、彼らはこうして我が物顔して部室に居座っているのだ。
用具は明日片付けよう。
用心して、教室で着替えたのは正解だった。鞄も教室のロッカーの中だ。
まるでこれでは逃げている様だと、潤一は思う。
しかしながら、自分の意地で他の一年をまた巻き込むわけにはいかない。
心の中で自分を終えて、潤一が部室のドアに背を向けたその時。
部室の向こう側から、彼の親友の名前が聞こえた。
「志賀なんてどう?」
「志賀って一年の?」
「そう。志賀、何だっけ?」
「確か、颯太じゃなかったか? 志賀颯太」
潤一の顔は再びドアに向く。それは確かに、、彼の親友の名前であった。
「ああ、それそれ。あいつで良くない?」
「あいつ最近調子乗ってるよな」
「この前廊下であいつ、半田ちゃんと喋ってた所見たわ」
「はあ? 一年の癖に生意気だろ」
「だよなー。だから、アイツが良くない?」
「いいじゃん、志賀呼び出そうぜ」
一体なんの話だろうか?
まさか今更……? 思い出すのは、部室の中にいる三年に殴り掛かろうとした颯太の姿。穏やかではない事が脳裏によぎる。
「あいつ泣くかな?」
「泣くんじゃね? その様子写メで撮ってあげようぜ。あ、でも、まず俺があいつ倒すわ。殴られそうになった事あるし」
「先にお前がやんのかよ。いいけど、クラン戦ヤバいんじゃないか?」
クラン戦? ゲームの話だろうか?
急に聞きなれない言葉に、潤一は眉を上げる。
「はあ? 最初からクランに入れるわけねぇし。野良でやらせて、取ったアイテムだけ巻き上げればいいだろ。アイツなんか入れたら俺達の最強クラン・『REDSPEAR』の輝かしい戦歴が穢れるだろ」
「ついでに野良なら、あいつを俺達が倒せば、俺達のクラン成績上がるし」
「名案じゃん。これで俺達もキングクランの仲間入りってか?」
「正直、もうあの痛い奴やだもんな。代わりに、アイツが一人ボコられててくれれば、俺達はあの死ぬ程痛い目を見なくて済むわけだし」
「その変わり、あいつが死ぬ程、俺達の分まで、あの死ぬ程の痛みを味わうわけだけどな」
「俺達の為に? あいつ、意外に先輩思いじゃね?」
ゲラゲラと笑い声が響く。
ゲームの話だよな?
なのに、何故痛いやら現実的な感覚が出てくるんだ? ごくりと、潤一は喉を鳴らす。
「じゃ、決定。俺達の変わりは、先輩思いの志賀君になりましたー」
もし、これがゲームではなかったら?
純粋に、そのままの話だとしたら?
もう一度大切な事を、再度ここで言おうと思う。
黒川潤一はとてもまじめな性格をしている。
責任感が強く、また、それに比例して正義感も強いのかもしれない。
もし、親友に何かあったら。また、彼が先輩を殴りかかったら。
彼は実に真面目であり、尚且つ親友思いでもある。
だからこそ、彼は部室のドアを開けたのだ。
彼は責任感が強く、正義感もある。少しばかり、彼の親友がこの部活を去ってしまった事を止められなかった負い目がないかと言われれば、嘘になる。
親友が殴り掛かったのは、自分を庇う為だったのだから。
潤一に向かって先輩達が一斉に目を向けた。
お前、まだ一人で練習かと、誰かが口を開く前に、彼は口を開く。
「それ、俺にやらせてください。アイツより先輩達の役に立ちますよ」
これが彼に取っての恩返しか否かと聞かれれば、彼なりの誠意の見せ方かもしれないが、それは少し違うかもしれない。
きっと、彼に負い目がなくても、彼は同じ選択をしただろう。
それも、きっと、迷いもなく。
まるで何処かのヒーローの様に、自分を犠牲にし、人を助ける。
黒川潤一は、そう言う男なのである。
これが、志賀颯太が『SSS』の世界へ飛び込む一カ月程の前の話である。
あの世界に黒川潤一が辻斬りとして初めて飛び込んだ日でもあった。
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