深紅き斜塔のリズ

さる☆たま

第1話 深いまどろみの中で……

 わたしは彷徨さまよい続けていました。

 意識はもうろうとしていて、ただ忘れていた何かを探し求めるように。

 不意を打つように、眩い光が眼前に広がっていきました。わたしは眩しさの余り、一瞬だけ眼を瞑ります。

 ややあって、光に目が慣れてくると、そこには――



 窓から差し込む日の光は暖かく、わたしにはとても心地好いものに思えました。

 あまりに気持ち良いものですから、ついまた夢の中へと召喚されそうになります。

 あぶない、あぶない。

 気がつけば、もう朝が始まっていたのですね。いやはや、驚きです。

 日差しの角度からして、現在時刻は「火熾ひおこしが風のとき」かあ……と言っても解りませんよね?

 わたし達の住む大陸では、一日を大まかに四つの「とき」に分けます。早朝から正午までを「風のとき」、夕方過ぎまでを「火のとき」、真夜中までを「土のとき」、そこから早朝までの深夜帯を「水のとき」といいまして、その中で更に「風」、「火」、「土」、「水」にまつわることばでその時間帯を表します。

 つまり「火熾しが風の刻」とは、火にまつわる詞で表された「風の刻」というわけです……て、やっぱり解りませんか。えっと、要するに朝ってことですよ。ちなみに、この時間になると、どこの家でも朝ごはんの煙がモクモクと立ち昇り、美味しそうな匂いを運んできます。

 ああ、今朝はスモークサーモンとワカメスープかな。

 サーモンの芳ばしい香りが、わたしの鼻先を掠めていくのです。これは堪りません。

 まだ若干寝ぼけて思考が覚束おぼつかないところもありますが、わたしは取りあえず重い布団を押し上げて上体を起こします。どうも朝は不得手なものでして、しばらく頭を整理してようやくベッドから脚を出し、重い腰を上げることができました。淋しいですが、ぬっくぬくのおベッドとはしばらくお別れです。

 わたしはクローゼットの引出しを開けると、純白のブラウスと赤と黒のチェックのスカートを取り出します。それから引出しの上、観音開きになっている方を開け、中に掛けてある紺の法衣ブレザーを出します。襟元に金糸の刺繍、左胸にも都市魔学者の紋章である『額に六芒星が刻まれたドラゴンの頭を模した印』が縫ってあり、着ているだけで「ちょっと偉くなった気分」が味わえる格調高い感じの服。それらをベッドの上に放ってお着替えです。

 あ、乙女の着替えを想像なんてしたらいけませんよ?



 着替えてから、わたしは法衣を腕に抱えて視線を辺りに巡らせ……

「あった、あった」と手を伸ばしたのは、法衣の上に羽織る深紅のマント。

 襟首のところがフードになっていて、リボンで結んであって可愛いのですよ。

 いつもは部屋の入口にあるマント掛けにかけているのですが、昨夜は遅くまで調べ物をしていて、机の椅子に掛けっ放しだったのでした。

 いや、昨日は寒かったものですから。



 階段を下りると、ダイニングの方から美味しそうな香りが一層強く漂ってきます。匂いに釣られながらアーチを潜ると、そこには予想通りのメニューの他、トーストにベーコンエッグとサラダまで並んでいて、思った以上に豪華な朝食でした。

 じゅるり。

 おっと、いけない。

 わたしは慌てて口元を拭い、それから左右を確認。

 おっし、母さんは台所で父さんはまだ寝ているのか、ここにはいない……と。

 一息ついてから、わたしは何食わぬ顔で席に着こうとして、

「あら、起きてたの。リズ?」

「はひゃっ!」

 突然の母の声に、全身が奮い立ちました。

 ちなみに、リズというのはわたしのミドルネーム。ファーストネームは……ないしょ。

「どうしたの、変な声出して?」

 問われて振り替えると、そこにはわたしと同じ亜麻色の髪を後ろに束ねた母の姿。

「い、いやあ、何でもないよ、何でも。あははは……」

「あらそう、それなら良いけど。それより、何か言うことは?」

「え、言うこと……ですか?」

 一寸何かの不安を覚えつつ訊き返すわたしを、母は怖い顔でにっこりと見つめると、

「リズちゃん、おはよう」

 ズズズと迫る母の顔に気おされて、わたしも反射的にご挨拶。

「お、オハヨウゴザイマス。母上様……」

 こうして、わたしのいつもの一日が始まるのでした。

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