7-2. ドーム下の邂逅

 シーリアはまばたきをしない竜の目で、新たな主人を見下ろした。彼らだけに通じる何らかの命令があり、そして命令は受け取られた。


 ナイルが片腕を横にかまえ、横に向かって薙ぎはらうようなしぐさをすると、そよ風のようなやわらかい動きが周囲に広がった。野分のような強風を予想して腕で頭をかばっていた兵士たちが、一瞬とまどうような顔をみせたが、すぐにその表情は恐怖に変わった。あちこちで、首を絞められた家畜のような悲鳴が響く。口を大きく開き、手はなにかを求めてもがくように動いている。しだいに痙攣しはじめ、ばたばたと倒れていく。


「ほら、できた」ナイルは暗い微笑みを浮かべた。


〔ナイル! もう十分よ!〕


 リアナの声に、はっとしたように青年が振り返った。だが、そこには誰もいない。少女の声が、なぜ、どこから聞こえるのか、ナイルには一瞬わからなかった。


〔〈ばい〉、そうか、あなたは僕のつぎの継承者なんだ〕

〔ナイル、自分を取り戻して〕

〔陛下――〕

〔彼の死の恐怖と絶望に、わたしたちまで囚われちゃだめ!〕

 泡が弾けるように竜の魔法が消え、地面に転がったままの兵士たちが咳き込み、荒く息をつく。だが、半数ほどは息絶えてしまったようにみえる。


 ナイルの目を通して見たその光景に、リアナは違和感を覚えた。

(……酸欠? ……まさか)


 周囲の空気を遮断して、広範な火災を鎮めたり、あるいは多数の兵士たちの息を止めたりするのは、黒竜のライダーだけが使うことのできる、文字通り必殺の魔術だ。

 ――ヒトを害する可能性のある竜術は使えない……を除いては。

 

 それが、竜術の大原則のはずだ。

「そうではなかったの?……」リアナはぼうぜんとして呟いた。


  ♢♦♢


 レーデルルがリアナを乗せたまま、大ドームの上から飛び去った直後。

「行くな、リア!」

 デイミオンは叫び、〈ばい〉の遠さにいら立ちを隠しきれなかった。


 北部領の領主権が移動したせいで、リアナの上流にさらにナイルの〈ばい〉が発生してしまった。王権ほど強い力ではないはずだが、ライダーとして未熟な彼女は力の流入をうまくコントロールできないでいるのだろう。


 もっとも、制御に苦労しているのは自分も同じだった。

 王を守るべく続こうとするが、アーダルの制御がままならず、動けない。敵対的なほかのオスの気配に、アルファメイルの本能が戦闘モードに入ってしまったのだろう。繁殖期でもこれほど手に負えなかったことはないのに、いったいどうしたことか。

「畜生!」悪態をついたところが、さらに銃弾が向かってきた。運よくそれたが、頬をかすって血が流れる。


 アーダルが後ろ足で立ちあがり、ひときわ高く咆哮した。結果、主人ライダーは竜から振り落とされる。空中へ放り投げられたデイミオンは垂直方向に空気を押し出し、体の向きを変えてまっすぐに着地した。着地の瞬間を狙って打ち出されるマスケット銃の乾いた音。横転しながら避け、柱の影に身を隠した。


「アーダル! 正気に戻れ!」

 アーダルは応答しなかったが、目の前の障害物――つまり、デーグルモールたち――に向かって炎を吐いた。視界があかあかと燃え、逃げきれなかったデーグルモールたちが身をよじって倒れた。

 ――オオオオオオ……

 彼らの悲鳴は、まるで谷間を抜ける不吉な冬のつむじ風のように響いた。



 ドーム下の黒竜アーダルを挟み、デイミオンとちょうど逆側に、不死者の王ダンダリオンがいる。

 彼はマスケット銃と捕竜銃ボムランスを投げ捨てた。がらんがらんと音を立てて床に落ちるにまかせる。

 黒竜は咆哮しながら首をめぐらせ、何かを探しているように見えた。狂暴で、おそろしく気が立っているようだ。


「シュノーを探している」思わずつぶやいた。


 古竜は概して賢く、おとなしい性質の生き物だが、黒竜だけは例外だ。特に繁殖期のオスは手が付けられないほど粗暴になることがある。黒竜の主人であるダンダリオンにはもちろん経験があるが、しかし目の前にいるのはそれをはるかに超える個体だ。

 竜族の寿命をすでに生ききっているダンダリオンでさえ、これほどまでに巨大な黒竜を見たことはない。


「なんというおおきな……」


 周囲を見回すが、確認するまでもなく、負傷者ばかりの集まりだ。ニエミはライダーだが、それ以外に戦力になりそうな者はほとんどいない。ダンダリオンの能力で、黒竜シュノーに挑発させれば、この場から黒竜を追い払うことはできるだろう。しかし、本隊のことを考えると、この巨大な黒竜にシュノーを殺させるわけにはいかない。

 却下だ、と彼は思った。

 とすると、ほかにできることは、ほんのわずかしかない。ここで黒竜とその主人を足止めし、本隊が脱出する時間を稼ぐのだ。そのための計画を、わずかな時間でごく冷静に考える。

 

 が、彼はその先を続けることはできなかった。

 黒竜が血走った目で周囲を睥睨へいげいし、目当てのオスがいないことを確認すると、ぐっと沈み込んで飛び立つ姿勢になったのだ。

(まずい)

「行くな!」奇妙なことに、二人の男が竜を仰いで同時に叫んだ。

 だが、主人の呼びかけにも応えることなく、黒竜は一声叫ぶと、野分のような風を起こして飛び去った。その爆風が、彼らの衣服をばたばたとはためかせる。

 

 計画は変更せざるを得ない。

 目の前には、黒竜の主人にしてオンブリアの王太子、デイミオン・エクハリトスが立っている。

 自分の背後には、信頼できる部下が一人と、わずかな戦力としての兵士四、五人、それに負傷者と『変容』中の半死人が十体ほど。

 そしてはるか後方の地下道には、次の指導者となるべき青年と、数百名の同胞がいる。

 

 長剣をすらりと抜き、この男を殺さねば、とダンダリオンは思った。たとえここで自分が死ぬとしても。

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