7 発現

7-1. 解き放たれて

「デイミオン! アーダル!」


 青いモザイク飾りの、なかば崩落しかかった丸天井を、さらに黒竜アーダルが破壊しつくしながら降下していく。雨とともに落ちる、まさに生きた嵐のような巨大な姿。リアナは衝動的に彼らを追っていこうとしたが、はっと思いなおした。シーリアの力に引かれていったナイルを止めなければ。


 新しい〈ばい〉の絆が、彼の位置を伝えてくる。アーダルたちが落ちたドームと似ているが、より小さく、完全な形の丸天井の上で、勢いあまってぐるぐると周囲を回転している。その真下に、シーリアがいる。そして、メドロートを殺した人間たちもいるに違いない。


〔ナイル!〕リアナは呼んだ。〔行ってはだめ! ナイル!〕


 だが、呼びかけは無視された。飛竜は一度、高く天空に飛びあがってから、川に向かって流れ落ちる滝のようにまっすぐに、円天井に向かって飛びこんでいった。


 驚くほど鮮明に、そのイメージが目に浮かんでくる。

 薔薇窓ステンドグラスが、まるで雪解けの朝の霜のようにやすやすと割れ、その音楽的な響きが広間を満たす。


 ガラスの破片が、光を反射して輝きながら舞い散った。兵士たちは頭上をかばいながら逃げまどう。そのきらきらした、奇妙に絵画的な光景のなかを、小柄な竜が踊るように舞い降りてくる。その背中には、亜麻色の髪の青年がまたがっている。

 驚きと恐怖に見開かれた兵士たちの目さえ、リアナは見ることができた。


〔行かなくちゃ、ナイルを止めないと。あのままでは人間たちに捕まってしまう!〕

 目に入ってくる雨を手で防ぎながら言う。しかし、呼びかけた古竜は強い拒否の波長を返した。〔ダメ!〕

 

〔どうして!? ルル!〕

〔コマンダーの安全はつねにもっとも優先されます〕

〔ライダーの命令なのよ!〕

〔いいえ。いいえ。いいえ〕

〔なんて子なの! じゃあ、いいわよ! 一人で行くから〕

 古竜はシューッと威嚇の音を出して警告した。〔いいえ! いいえ! いいえ!〕

 そして細い首をめぐらせて向きを変え、流れるようにするりと逆方向に飛びはじめた。


〔ルル! やめなさい! 戻って!〕

 アーダルを制御するデイミオンのように、自分も〈ばい〉の力を使ってレーデルルに命令を聞かせようと試みるが、できない。これまでは、ほとんどリアナの意志に共調してきたから、こんなふうに命令を聞かせる必要がなかった。もっと早くから訓練していれば、違ったかもしれないのに。

 

 後悔しても、もう遅い。制止の効果もなく、レーデルルは迷いなく遺跡を逆向きに飛び、その始点のあたりで止まった。横殴りの雨のなか、用心深く周囲をうかがっている気配が伝わってくる。リアナの目からは、ところどころに残る水道橋が、アーダルが飛びこんでいった大きなドームまでを指示しているように見える。そしてそこからやや手前に離れて、ナイルと飛竜が引き寄せられていった小ドーム。自分たちの位置からは、一キロ以上離れているように見える。


(どうしたらいいの)

 デイミオンを待つべきだろう、と思う。こんな風に分散してしまってはダメだ。彼と合流して、ナイルとシーリアを救出する。どんな敵がいるかもわからない以上、高い攻撃能力を持つアーダルが必要なはず。なぜなら、白竜には人間に対する攻撃能力がないからだ。

 

(でも、待っていたら、ナイルが……)


 メドロートの死が罠で、シーリアを使ってナイルをおびき寄せているのだとしたら。首を振って恐ろしい考えを脇に押しやった。たとえナイルがどれほどの危機的な状態にあったとしても、自分は王で、軽率な行動は全員をより大きな危険にさらすことになりかねない。


 それでも、自分が助けられるかもしれない者が傷つくことには、どうしても耐えられない。炎のなかで殺されていった里人たち。ケイエまで助けに行ったのに、あと一歩で連れ去られてしまった子どもたち。見知った人を失いたくないという思いは、彼女にとって、ほとんど背筋を凍らせる恐怖に等しかった。 

 勇気と義憤からというよりは、その恐怖から逃れるために、リアナは竜の背から飛び降りた。

 

〔ダメ!〕ルルが叫ぶ声が、直接頭にひびく。

 続いて、ばたばたとうるさいほどに服と髪をなぶっていく雨と風。こんなに強い力なのに、これだけでは落下をとどめることができない。額にぐっと集中して、手を前に出し空気の層に作用する。雨粒の一滴一滴までも見え、落下の勢いは弱まり、地面がどんどんと頭上に近づく。そう、頭から落ちている。

 姿勢を変えようとじたばた動いてみるが、頭というのは思ったよりも重いらしい。まるでリボンのついた飴の包み紙のように、重みのある部分がまっさきに落ちていく。空気の層を分厚くしているせいで身体ががたがたと揺れ、頭から落ちているせいでめまいがしてきた。落下。そして、地面まで――

 

 ――着地!

 体勢を変えることはできなかったが、かろうじて接地の瞬間に横向きに転がることに成功した。ごろごろとみっともなく転がり、この様子をデイミオンやグウィナに見られていなくてよかったと心底思った。空気とその流れをつかさどる白竜のライダーがこのありさまでは、死ぬほど笑われるだろう。

 泥にまみれて、リアナは立ちあがった。


 さあ、走ろう。行かなくては。


〔ナイル!〕


   ♢♦♢



 ナイルは飛竜にまたがったまま、荒く息をついていた。


 周囲からいっせいにパイク三叉戟トライデントを突きだされ、身動きが取れなくなっていた。飛竜はシューッと威嚇しながらも、じりじりと壁際に追い詰められていく。人間たちは飛竜と主人を取り囲みながらも、興奮して「もっと寄せろ!」「近づきすぎるな!」と矛盾しあうことを口々に叫んでいた。メドロートとシーリアを捕らえたのはガエネイス王の特殊な部隊であり、いまアエディクラに残っているのはほとんどが研究員と一般兵だけだった。彼らは竜に相対することが少ないので、どうやって捕縛するのかという知識も薄いのだ。


 竜を取り囲んでいる武器のなかから、「どけ、どけ」とかきわけるようにして頭をあらわした男がいた。アエディクラの研究者、キャンピオンだ。

「なんとしたことか」

 揉み手をしながら竜に近づこうとするのを、兵士の一人が止めた。「おやめください、危険です、キャンピオンさま」


「危険、危険、おお、危険でない竜などになんの意味があろうか?」キャンピオンはもつれた髪をかきまぜた。機嫌のいいときの笑みが口端に浮かんでいる。

「これはこれは、ナイル・カールゼンデン卿ではありませんかな? いや、確信はないが。なにしろお顔を拝見したことがない」


 ナイルは答えないが、キャンピオンはまったく気にした様子もなく続ける。

「だが、メドロート公の次の後継者はあなたと聞いていますからな。この白竜に呼ばれてきたなら、おそらくそうでしょう。髪は亜麻色、目はスミレ色、痩身長躯、と。お聞きした特徴にも合致している」

 その言葉を聞いて、ナイルがぴくっと身体を動かした。乱れた髪でなかば隠されていた目が、ようやく焦点を結ぶ。そして、「大叔父を殺したのはおまえか」とささやき声で言った。


「殺したとは! これは何たる!」

 キャンピオンは仰々しく両手を掲げてみせた。「まさか、ナイル卿、そのようなことは。われわれはできるかぎり丁重に、領主にふさわしい待遇でお迎えしたつもりですよ。ただ、ご理解いただきたいのですが、生物相手の実験というのはどうしても数を重ねますと被験者に負担がかかるのは否めないものでして」


「愚かな」

 ナイルはかすれた声で呟いた。「卑小な人間ふぜいが、白竜のあるじ、〈種守〉を殺すとは。その報いは、おまえたちの土地が引き受けることになるだろう。おまえたちの子孫七代にいたるまで、芽吹かぬ土地に血と汗を撒き散らし、種の一粒、赤子の一人とて育つことなく死ぬがいい」


 呪いそのもののような台詞に、兵士たちのなかには後ずさるものがあった。だがキャンピオンは首を傾げただけでひるまなかった。

「メドロート公は死んでしまったが、後継者が私の手の内に飛びこんできた。私の日ごろの行いを神もご照覧になり、祝福してくださっているのだろう」


 その言葉を合図にするように、青年はゆっくりと顔をあげた。リアナと同じ、スミレ色の瞳が焦点を合わせる。長い腕が前方に向かって伸びた。手のひらに水蒸気が集まり、小さな雲のように渦を巻いている。集まってきた風に長い髪をはげしくはためかせて、ナイルは命じた。


「滅びろ」


 言葉と同時につむじ風が起こり、兵士たちの足元をうねるように通り過ぎた。兵士たちはたたらを踏み、声をあげて後ろに退却していく。


「ひるむな! 直接は当たらない!」キャンピオンが背後の兵士たちを振り返って命じた。「ナイル卿を捕獲しろ!」

「当たるとも」ナイルは低い声で言う。


「〈フローチェイサー〉よりシーリアへ。フェイルセーフを解除」


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