6-7. 継承

 リアナは必死に、切れぎれに叫んだ。

「『領主権』よ、デイ、新しい〈ばい〉が――」

 デイミオンからのものとは違う、ナイルからの〈ばい〉が、まるで千の鐘のようにリアナの頭のなかで鳴り響いている。


「おまえは『後継者』だったのか」デイミオンが呆然と呟いた。「北の領主の、ナイルの次の――そうだ。当然、そう考えるべきだった」

「どういうこと?」

「そもそも、メドロートの次の領主権は竜王エリサが持っていた。彼女が死んで甥のナイルに移ったんだから、おまえにも領主権があっておかしくない」


「ナイル、やめて、落ち着いて!」


 だが、ナイル・カールゼンデンはぐんぐんと飛竜を駆って飛んでいく。弓から放たれたばかりの矢のように、一直線に、彼のものである白竜のもとへと引き寄せられているのだ。


「危険だ!」

 デイミオンが二人に警告した。

「領主権が移ったということは、メドロート公がということだ。もう公を助けることはんだ。どういう状況下であれ、安全が確認されるまで近づくな!」


「無理よ! ナイル卿を止められないわ!」

 ――そして、自分とレーデルルは、ナイルの〈ばい〉に引きずり込まれる。

 ぱたぱたっ、と横殴りの雨がリアナに降りかかった。レーデルルが、のたうちまわるように身体をくねらせる。リアナはバランスを崩した。


「きゃあ……!」

 手をつこうとしたところが雨で滑り、身体が斜めに傾いだかと思うと、そのまま真下に落下した。引っ張られるかのように落ちながら、はるか真下の地面が目に飛び込んできて――

 

 ――落ちる!

 

 が、黒い影が地面をさえぎった。アーダルの巨大な硬い鱗の上に、腰から落ち、したたかに打ちつけながら転がっていくところで、長い腕がリアナをキャッチした。言葉も出ないほどの驚きで、リアナはそのままデイミオンの腕のなかで息が整うのを待った。

 

 ナイルの咆哮に応えるように、遠くで稲妻が光った。


〔この悪天候……もしかして、白竜の仕業なのか?〕

〔そうよ。シーリアが苦しんでいる……ナイルが呼ばれているの、逆らえないわ、彼は〈継承者〉だから……〕

〔――では、なおのこと行かせられん……!〕

 デイミオンの警告の〈ばい〉が、リアナを強く引っ張った。アーダルさえ制御することができる男の精神力が、ハーネスのようにリアナを拘束した。そして、彼女を通じてレーデルルも制御を受ける。ナイルに引きずられかけていたルルが、目隠しをされたように落ち着いて、静かになった。それは、まるで命綱のような心強さだ。


〔あ……ありがとう……〕

〔ナイルを呼び戻したい。おまえの〈ばい〉を使うが、いいか〕

〔わかったわ〕

〔かなり強く引くことになる。どうしても耐えられないときだけ、言え〕

〔ええ〕

 応えるが早いか、デイミオンはナイルを強く呼んだ。リアナは目をぎゅっと閉じて衝撃に耐えたが、その瞬間に襲ってきた巨大な割れ鐘のような音に思わず悲鳴をあげた。


!! !!! !! !!!!〕

 〈ばい〉の力は、領主権を持つものと継承者の両方に左右するが、その流れのおおもとは領主側にある。継承者の側からのあまりにも強い呼びかけは、巨大な河を力づくで逆流させているようなものだ。頭が心臓になったかのように締めつけられ、どくどくと脈打って流れてくる。


 ――……


 強い命令の波長が絶え間なく彼女を襲う。


 声にも〈ばい〉にも出さないように必死で耐えるが、こみ上げてくる吐き気が抑えられそうにない。だめだ、彼の力は強すぎる。耐えなくては。制御しなくては。いいえ、無理よ。

(やめて、やめて、デイミオン……!)

(いったい、わたしの母はどうやってこれを制御していたの? お願い、もう……)


 と、そのとき、嵐のような〈ばい〉が途切れた。ついにナイルが呼びかけに屈したのかと、そう思ったが、デイミオンの様子がおかしい。


〔アーダル!!〕


 デイミオンは、ナイルではなく、自分の竜を呼んでいた。見上げたプルシアンブルーの瞳が驚きに見開かれている。〔アーダル、だめだ!〕


〔なにが――〕

〔アーダル、戻れ! 戻れ! 戻れ!〕


 〈ばい〉の強い引きが消え、リアナはようやく息を吐きだした。いったいどうしたことだろう。デイミオンはナイルではなく、なぜかアーダルを呼んでいる。彼が制御を失っているのだろうか?


〔デイミオン――〕


〔アーダルが遺跡に突っ込もうとしている!〕デイミオンが叫んだ。

〔そこに、ほかのオスがいるんだ! 別のアルファメイルが。クソッ、アーダルめ、こんなときにどうしたんだ!?――〕


 どういうことなのかリアナが尋ねるよりも早く、巨大な黒竜はその主人ごと、円天井の屋根へと突っ込んでいく。


「デイミオン! アーダル!」リアナは叫んだ。


  ♢♦♢


 避難する同胞たちの先頭を進んできたダンダリオンは、最後の狭い通路をくぐって、礼拝堂へ出た。通路の狭さや薄暗さから解放されて、一瞬、目がくらむ。明るいのは、ドーム型の天井がなかば崩落しているせいもあったし、また、ドーム内部のすばらしいモザイク画の色合いのせいでもあった。ちらりと見ただけだが、イティージエンの民が信仰していた男神とその使徒たちが描かれているということは以前に見て知っていた。ところどころに金が用いられていたが、あまりにも天井が高いので、はがして盗む者もいないのだろう。空は荒れていたが、半死者デーグルモールたちにとっては晴天でないほうがありがたい。


「ここなら、崩落しても生き埋めになる危険はないだろう」

 副官ニエミがしんがりからやってきたのを確認すると、ダンダリオンは口を開いた。

「ここに負傷者用の簡易寝台を置こう。終わったら、私と余力のある数人で、内部の状態を確認しに――」


 だが、言い終えることはできなかった。

 突然、火山が爆発したのではないかと思うほど激しい音、そして地割れのような揺れが彼らを襲った。衝撃で、近くにいたものたちが吹き飛ばされ、床に散らばって横転した。ぱらぱらっと破片が落ちる音。ダンダリオンはよろめいたものの、踏みとどまって顔をあげた。「――なにが……」


 そこに、雷がつんざくような巨大な鳴き声が降ってきた。

「――黒竜!」ダンダリオンは叫んだ。「あの大きさ……音に聞く〈黒竜大公〉の竜か!?」


 目視で確認するやいなや、ダンダリオンは背中の捕竜銃ボムランスを抜いて、黒竜めがけて発射した。耳をつんざく発射音があり、反動で大きくよろめく。放たれた弾丸は黒竜の前腕に命中したが、竜はいらだたし気な叫び声をあげて身体を左右に震わせただけだった。

 それでも、ひるむことなく続け、捕竜銃ボムランスの矢が尽きるまで撃った。煙幕があたりを包み込んだ。

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