6-2. アエンナガル

 ケイエの〈隠れ里〉にどこか似た、山に囲まれたけわしい渓谷が広がっている。人が近づくことのできない高地に滝と水場があり、竜たちにはかっこうの住処となっていた。その、天然の竜の巣の真下に岩棚があり、狭い隙間から、ひとりの青年が周囲を警戒しながら、滑りこむように入っていった。

 入り口の狭さからは想像もつかないほどの広さの洞窟が、目の前に広がっている。


 青年イオはサギめいた仮面を脱ぎ、頭を振って顔にかかる短い金髪をはらった。

 暗闇と湿気、それに静けさが、彼とその種族にとっての安息の地となる。住居区のほうへ歩いていくと、外界の刺激で過敏になっていた感覚がしだいに落ち着いてくるのがわかった。


 亡霊のようにゆっくりと、従者役のデーグルモールが近づいてくる。シッ、シュッ、と蛇のような音を立ててなにごとかをしゃべった。イオはほとんど音に出さずに「わかっている」と答え、マントと仮面をわたす。鍾乳洞のようにところどころが光る洞窟を奥のほうへと進んでいく。彼らは明かりを使うことはめったになかった。音の反響と、皮膚に感じる風の流れで、歩いていくべき方向がわかるからだ。


 その場所は、かつてはイティージエンという大国の領土であった。戦争のたびに名前が変わり、現在では、古くからのアエンナガルという名称で呼ばれることが多い。

 そこに、オンブリアでは〈デーグルモール〉〈半死者しにぞこない〉と呼ばれ、彼ら自身は〈不死者〉と自称する者たちが群居していた。


 彼らの頭領、ダンダリオンの私室はみすぼらしかった。


 まず、ドアがない。かつてはあったのだが、長年の湿気で腐り落ちて、修繕する者がいないのだ。見かねたイオが布を張って目隠しにしている。もっとも、頭領の威厳を気にかけるようなものは彼らの種族のなかにはいないので、まあ、どうでもいいことではあるのだが。

 ――この布も、そろそろ替える必要があるな。


 イオがなかに入ると、頭領がふりむいた。


 青白い肌だが、見た目は往年のまま、竜族の貴公子といってもさしつかえない。イオ同様、体格は小柄で、優美な眉、すっと通った鼻筋、やや薄い唇を持つ。細い金髪は、肩につかないくらいの長さで切りそろえられている。


「ただいま帰着しました」

 頭を下げて堅苦しくあいさつするが、頭領は、「皮膚が焼けているな」と言うと、部屋の隅にある小さなチェストへ近づいた。

「おいで、イオ、軟膏を塗ろう」


「自分でやりますよ。あとで。一人で」イオはため息をついた。

「それより、報告をさせてください……父さん?」

「報告を聞きながらでも塗れるよ」

 有無を言わさず腕を引っ張られ、イオはあきらめて父のやりたいようにさせることにした。


「ガエネイスの狩りに同行しましたが、新兵器は予想以上でした。捕竜銃ボムランスは旧来よりかなり性能が上がっています。捕竜砲ハープーンの飛距離も、目視ですが、二倍近く伸びているように見えました。この分だと、古竜の体内に打ち込んで、爆破させて殺す方法が現実に可能になってきていると思います」


「ガエネイスならやるだろうな」息子の腕にアロエとジベリーの軟膏を塗りつけながら、ダンダリオンがつぶやいた。薬草のツンとくる匂いがあたりにひろがる。

「このままでは、あいつはデーグルモールの軍隊を必要としなくなるでしょう。こちらも危機感を持って臨まねば……。イーゼンテルレは軍備を増強したがっています。アエディクラの拡張を喜ばない点では、手を組める相手かもしれない」

「ガエネイスは配下と同盟国に目を光らせている。イーゼンテルレと再び手を組む動きは王を余計に刺激するかもしれん」


「では、どうしろと?」イオはいらだちを募らせる。「オンブリアとアエディクラがぶつかれば、イティージエンの二の舞だ! 俺たちは、両者の戦いで摩耗し、また流浪やどなしの民になる」

 ダンダリオンは黙ったまま軟膏の壺にふたをし、部屋をわたってそれをチェストにしまった。そして言う。

「次はそうはなるまいよ。おまえの言うとおりなら、今度こそオンブリアが敗ける。竜とその子孫たちは滅び、大陸は人間たちの住む地となる……われわれはオンブリアと手を組むべきか?」整った顔を鳥のように傾げた。


「父さん、実は――」

 イオが口を開きかけると、入り口からシューシューと声がして、会話が中断された。


 不死者たちの王は、歩み寄ってかれらの声に耳をかたむけた。シー、シューッ、と同じ音で答える。

『後で行くから、寝かせておきなさい。頭を動かさないように。柔らかい布で胴をしばって』

 低い感謝のつぶやきが聞こえ、同族たちが去っていく。


「蘇生中の者ですか?」


「ああ」王はふたたびチェストに近づき、薬とおぼしい壺をいくつか取りだした。

「一度蘇生したが、言葉が通じず、暴れだしたので、殺してしまったらしい。もうしばらくしたら息をふきかえすだろう」

「ニエミにやらせればいいのに」

「他のものには他の仕事がある。……それに、ニエミはケガをしている」

「ケガ? なぜ?」

「例の、のために」

 イオが名前をあげたのは、古参のデーグルモールで、王の片腕の役割だった。もっとも、彼やイオのようにまっとうに思考して会話ができるものは多くなく、さらに、その数は減り続けている。それなのに、ダンダリオンが受けたその依頼のために、少なからぬ兵士を命の危機にさらしている。


 半死者しにぞこないの蔑称は、たしかに彼らの種族の一面を正しく言い表している。傷や病気で死ぬことはないが、熱と腐敗と精神の退行がいずれ彼らを塵へと帰さしめる。ほとんどの兵士はただ命令に従い、少しずつ朽ち果てていくだけの生き物でしかない。われわれはゆっくりと滅びつつあるのかもしれない、とイオはときどき思うことがある。頭領の息子である自分は、それをとどめねば。



「もう一つあります」イオの声が熱を帯びた。「オンブリアの新しい王、あれは、デーグルモールだ」


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