4-6. 義務と衝動

「そうも言っておられるまい。婚資がもらえないうえに、こちらから違約金を払うことになれば財政面でもキツいぞ」


 アマトウがゴブレットを運んでくると、ヒュダリオンは中身を見もせずに一気に飲み干した。

「それでなくても、兄上の子はおまえ一人だろう?」

「フィルバートがいますが」

「あれは〈ハートレス〉じゃないか」

 無論、そういう返答がかえってくることは分かりきっている。一応は生物学的な兄として、口に出さずにいられなかっただけだ。


「昨年のシーズンは東部領の若い衆もさっぱりだったからな。サンディしかり、ロールしかり、おまえしかり」

 ヒューはデイミオンそっくりのしぐさで眉間をおさえた。


 デイミオンはわきあがる虚しさをこらえ、嘆息した。叔父の言うことは、一般的には「親族のよけいなおせっかい」の域を出るものではない。しかし、エクハリトス家が昨今、子どもが誕生するという喜ばしいニュースから遠ざかっていることは事実だ。そして、この叔父もまた繁殖期シーズンの務めに苦労している噂も聞いていたので、苦言を呈する心理もわからないではなかった。


「グウィナ卿のように、もう授からないと思われていたところに子が生まれることもあるわけですから」

 慰労をこめて言うと、ヒューも嘆息した。「難しいものだ、繁殖期シーズンというのは」

 空のゴブレットに注ぎ足そうとするアマトウを制して、手酌で飲みはじめる。エクハリトス家の男はウワバミなので、デイミオンはとくにとがめなかった。

 給仕などせずに自分の仕事に戻ってよい、と目で伝える。アマトウはかすかにうなずいて書類仕事に戻った。


「酒場のやつらからは、『ご領主さまはたくさんの女が持てていいですな』なんてはやしたてられるが、領主家の男女にとっては義務でしかない。俺の帰りを待つ妻を見るのも、かわいそうでなあ」

 ごくり。ヒューはしみじみとワインを飲みくだす。

「それでも、戦禍で女を喪った西部の領民たみたちを思えば、自分だけ義務を果たさないわけにもいくまい」

 聞き役に徹していたデイミオンもうなずく。「……わかっています」


「昔は違ったんだがなぁ。第二子、三子を竜騎手ライダー団に入れたりしていたんだ。王都タマリスでの発言力も増すし、お互いに利益があった。今じゃ、貴重な嫡子を取られるって言うので、団も嫌われるからな」

 ヒューの指摘は、ちょうどアマトウと話していた部分とも重なっており、もっともだった。デイミオンはうなった。


「おまえのことだから、家のことも考えているというのはわかっている。だが、エクハリトス家の男はに強い愛着を示しがちだからな。自戒を込めて、というところだ」

 ヒュダリオンは、いかにもエクハリトス家の男らしく、自分の用件だけを述べると足音も高くさっさと退室していった。去り際にしみじみとそんなことを言い残して。


 ♢♦♢


 アマトウが団の業務のために退室したあとも、デイミオンは一人、執務室で思案を続けていた。考えるときの癖で、机を離れて部屋のなかを大股に歩きまわり、ときおり立ち止まる。


 シーズンのことは、ある程度は金銭で解決がつく。だが、務めを保留することは結局は一時しのぎにしかならない。いつかは決着をつけなければいけないし、そして、彼女は政治的にはほぼ最悪の相手といってよい。王と王太子、北部の領主筋と東部の現領主。五公十家はこの結びつきを警戒するだろう。南部や西部との分断をさらに強めることになりかねない。

 それに……エンガス卿の動向が、やはり気にかかる。自分より広範で密な情報網を持っているということくらいは承知していたが、フィルバートの動きを把握していたのには驚かされた。その点、間諜についていえばフィルよりもよほどエンガスのほうが近しい距離を持っているはずだ。それに、家から逆徒を出しておいて、どうやっていまだに五公十家への影響力を保持しつづけているのだろう?


 だが、シーズンのことも、王都の陰謀のことも、考えだすと結局はひとつのことに行き着く。リアナ。来年には、彼のつがいの相手となるはずだった少女。


「デイミオン卿。本当にリアナ陛下を、戴くに足る主君と思うかね? 


 ――?」


 エンガスはそう言ったのだった。


(デーグルモールだと? まさか)


 一笑に付すのが普通だろう。いくらリアナの父親が誰とも知れない状態とはいえ、あまりにも常軌を逸している。

 やつらは日光を避け、太陽光をさえぎる防護服と鳥のような奇妙な仮面を身につけ、ぎこちなく動き、切っても刺しても死なず、致命傷を負ってもよみがえり、腐臭がして、竜や竜族の死体を食らう。

 彼女にあてはまるものはひとつもない。そもそも、あの里の襲撃をのぞいては生死の危機に陥ったことだって、ないはずだ。


 だが、それでもいくつかの点がデイミオンのなかでひっかかっていた。

 それは政治的危機にあるはずのエンガスのはったりとしては、あまりに突拍子がなさすぎるということ。そして、もうひとつ――最近、リアナとの〈ばい〉に、奇妙な断絶を感じることだった。

(思えば、あの嵐の夜の前後からだ)


 あの夜、〈ばい〉は途切れがちで、それも彼女の居場所をすぐにつかめなかった理由だった。通信手シグナラーがいる場所なのだろうと推測したのだ。

 結果として、それは王都近くの人気のない湖であり、古竜レーデルルもすぐ近くにおり、〈ばい〉が阻害されるような要素はひとつもなかった。身体感覚の共有を容易に遮断できないのは、すでにリアナのほうが身をもって体験している。怒りのあまり詳細を思い出さないようにしていたが、奇妙なことではあった。


(だが、そうだとしても、デーグルモールとは無関係の現象のはずだ)

 すぐに、そう思いなおす。


 デーグルモールは立って歩く死人しびと同胞どうほう殺しの腐肉喰らいだ。


 彼女にあてはまるものなど、ひとつもない。だが、わけもなく不安になり、叔父の残したゴブレットを床に叩きつけたくなる衝動を抑える。

 感情を抑えなくては。自分は黒竜を制御するライダーなのだ。

 『さざ波なき水面の心に竜は従う』?……そんなことを思い出すなんて、馬鹿らしい、まるで成人したての未熟な訓練生のようじゃないか?



 リアナはよく動き、よく笑って素直に驚き、ちょっとしたことで怒ったかと思えば菓子のひとつで機嫌を直すようなどこにでもいる少女で、


(……違う)


 故郷を焼き払われたという過去や、デーグルモールの脅威におびやかされながらも、ケイエの民や子どもたちを守るために飛びだしていく強さと勇気を持ち、それは周囲のものたちにとってもまばゆいほどの、


(彼女のはずがない)


 ……泡だったミルクティーのような巻き毛の金髪で、目はゼンデン家のスミレ色で、腹立たしいほど口が達者なくせに泣き虫で、竜肉の煮込みが嫌いで、苺と桃と甘いクリームが好きで、タマリスに来てはじめて飲んだ炭酸水を気に入っていて、あのときケイエでずっと彼を呼んでいて、


 ――


 突然、なにか自分でも理解できない激情に駆られ、デイミオンは自分の執務机を蹴り倒した。樫の頑丈な一枚板を使った机が音をたてて倒れると、それをさらにもう一度蹴りつけた。書類がそこら中になだれて落ち、封蠟やペンやインク壺があたりに散らばった。

「閣下!」

 音を聞きつけたらしいアマトウがあわてて駆けつける。「何ごとですか、閣下」


 だがデイミオンはそれを意に介すことなく、インク壺を踏んで潰し、かしゃんというはかない音とともに壺から黒い液体が染み出てくるのを、拳を震わせながらにらみつけているだけだった。

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