4-7. 敵地のフィル 

 人間の国、アエディクラのガエネイス王の仮宮殿は、大国にふさわしい贅沢な迎賓館だった。


 フィルバート・スターバウが王の間に姿を現わすと、近衛兵の一人が長柄の斧を横に倒し、行く手をふさいだ。柄の長さはほとんどフィルの背丈ほどもある。その兵士は獲物にふさわしい巨体の持ち主で、夜のように黒い肌をしていた。十人の兵士を相手にしてもものともしない怪力で、忠誠心厚く、王のお気に入りの兵士だ。


「犬の匂いがするな」兵士が言った。「裏切者の匂いが」

「ジュレンディ」フィルは兵士の名を呼んだ。「陛下に呼ばれているんだ。通してくれ」

「〈竜殺し〉は王を裏切る」巨人は歯がゆそうに言い捨て、フィルを通した。


(裏切り者の犬か)、と皮肉げに思う。

(おれの不名誉な名前は増えていく一方だな)


 ガエネイス王は寵姫たちと一緒だった。色とりどりのドレスにくわえ、地面にも反物が転がっているので、絵巻物のように華やかだ。

「この織物を見よ」

 布地を手に取った王が寵姫の一人にそれを見せている。「イーゼンテルレの錦だ。これで陣羽織を仕立てさせようかと思う」

「ぜったいに、お似合いになると思いますわ」

「紅の地に金糸が映えて。戦場に降り立った陛下は、きっと戦神のように見えますわね」寵姫たちは少女のように笑いさざめいている。


「おお、フィルバート。こちらへ」

 新しい参謀に気がついた王は彼を近くへ呼んだ。「おまえはどう思う?」

「素晴らしい柄ですね」と微笑む。


「おまえももう少し服を持たねばな。いつもいつもお仕着せだ。言っておくが、おまえの髪色にその軍服はまったく似合わんぞ」

「衣服にはうといもので、陛下のお心をわずらわせまして申し訳ありません」

「フィルバート様には、やっぱり、長衣ルクヴァをお召しになっていただいては?」青いドレス姿の寵姫が言った。「なんといっても、竜族の殿方には長衣ルクヴァが一番ですわ。そうでしょう?」

「竜族の殿方はちょっと、怖いくらいにお美しいですけれど。あの長衣は素敵ですわね。襟も袖も詰まっているところが、禁欲的で」


「そちらは長衣ルクヴァが好きなのか?」王が面白そうに言う。「では、余もひとつ仕立てさせてみるとするか。おまえはどうだ?」

「陛下はきっとお似合いになるでしょうが、俺はどうでしょうね。〈ハートレス〉は長衣ルクヴァを着てはいけないという不文律があるので」

「生まれながらの階級が、能力以上に強い掟を持っている。竜族とは実に興味深いことだ」王が言う。


「騎兵隊の軍服ではなく、近衛のものになさっては? お背が高くていらっしゃるし、黒もお似合いになると思いますわ」

 とりわけ王の覚えがめでたい、サーレンという女性が静かに言った。寵姫にしては慎ましい灰色のデイドレスを着ている。いつも王の近くに侍り、実用的な意見を述べる。聡明な女性なので、フィルは彼女には特に注意を払っていた。

「近衛の服をベースにして、肩章は別に立派なものをお付けになって、マントには薄墨のような銀糸の縫い取りを入れましたら……」

 サーレンがフィルの近くに立ち、肩幅をはかるように腕を広げた。香水にまぎれて、かすかにおぼえのある花の香りがする。


「うむ」王が満足げに言う。

「せっかく〈竜殺しスレイヤー〉を余の宮廷に招いたのだから、目立つような服がいいかと思ったが、近衛の服というのも品があってよい」

「恐れいります」

「では、サーレン。形についてはおまえが考えておいておくれ。紙に書いてな」そう言うと、王は寵姫たちを下がらせた。


「どうかね、余の花は? どれも美しかろう」

「まばゆいばかりです」

「気に入った者がいれば、おまえにやるぞ」

「ありがたいお言葉ですが、陛下……見ての通りの不調法者ですので」


「女を軽んじるものではない」ガエネイスは機嫌よく笑った。

「きれいな顔で綿菓子のような話ばかりしているように見えるが、頭の良い女は凡百の男よりもはるかに恐ろしいものだぞ。余は父の後宮でそれを学んだ。……〈竜殺しスレイヤー〉をそばに置くよう余に進言したのは、サーレンなのだ」


「それは……知りませんでした」

「男はすぐに序列を作りたがり、自分の優位を示したがる。型にはまった考えばかりをしてつまらん。賢い女は実に面白い、それほど多くはないのが残念だがな……竜族の女はどうだ?」

 フィルは思案した。「竜族では、雌雄の役割が人間ほど明確ではありません。王や領主は、女性と男性が半々でしょう。ですから……考え方にはあまり大きな差はないような気がします」

 ガエネイスは興味をそそられた顔をした。

「白竜の王は賢い女かね? 」


「おれの知る限りは」フィルバートは慎重に言った。「為政者としての正規の教育は受けておられませんが、聡明な女性だと思います」


「陛下」

 そのとき、侍従がひとり駆け寄ってきて、王の耳元でなにかをささやいた。

巨花虫ワームが出た?」


「……これは面白い。アエディクラ公と王たちに知らせてまわれ。

 狩りができるぞ。ついてまいれ、フィルバート」


 ♢♦♢


 王と随行たちは、竜の皮革を加工して作った特殊な防御服を着て、害獣が出たと報告された岩場へ向かった。アエディクラの騎兵隊を示すクリーム色の軍服が並ぶ。光る鋼の兜をかぶった騎兵が、それぞれ見事な走り竜ストライダーに乗って王に随行している。見たことのない武器のいくつかをフィルは認めた。

 岩地といっても、市街地からさほど離れていない。資材置き場のような簡素な塔が見えた。木材を切ったあとの崩れやすい斜面に巨大な穴があき、掻きだされた砂がもうもうと舞いあがっている。その中にうごめいている獣を見て、フィルは声をあげた。

花虫竜フルードラク!」


「余たちは単に、巨花虫ワームと呼ぶがな」王が答える。「オンブリアのものより小型と聞くが、どうだ?」

「あれは四千ゼナンくらいの目方ですので、オンブリアで見るものより大きいくらいですね。ただ、年齢によって個体差が大きい生き物なので……」

「ふむ」王は興味深そうにうなずく。


「して、あれをどのように殺す?」


花虫竜フルードラク狩りでは、銛矢を使います。飛竜で追い込み、弱らせてから、熟練した弓兵が撃つのが一般的です」

「古竜を使わぬのはなぜだ?」

「古竜を使い、火炎で殲滅させる方法もありますが、それは最後の手段です。フルードラクと古竜は近縁種なので、戦闘でお互いを興奮させすぎてしまうので」


「実に興味深いことだ」王は息を吐き、空をあおいだ。「……おお、あれを見よ」

「竜だ」家臣の一人が呟いた。「黒竜と紅竜……小さい白色のやつも。あんなに高いところを飛んでいやがる」


(リアナとエサル公、それにハダルクか)フィルは胸中で呟いた。

(飛竜も一頭……いや、イーサー公子のか?)

 花虫竜フルードラク狩りと聞いて、加勢しに来たのか、それともガエネイスがあえて呼んだのか。続く王の言葉に、フィルは計画の匂いを嗅ぎとった。


「竜の王たちに、面白いものを見せてやろう」

 ガエネイスは家臣に合図をした。「用意を」


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