4-4. わが剣が、わが言葉
彼の言葉で、自分の首に当たっているのがなにか分かった。相変わらず、いったいいつ剣を抜いたのだろうと思う。
「それ以上近づくな。意味はわかるだろう?」フィルはリアナを引き寄せたまま、うしろ向きに窓際へと近づいている。
〔ハダルク!〕
リアナは念話で呼びかけた。〔はったりよ。フィルはわたしを傷つけたりしない。はやく捕まえて!〕
〔わかっています!〕
このために、〈
だが、剣を構えたハダルクがためらうのが伝わってきた。
フィルはこれを予想して、図書室という舞台を用意していたのかもしれない。黒のライダーは五種の竜のなかで唯一、ヒトへの攻撃を妨げられない。つまりどんな対象にも攻撃できるのだが、その主な運用は炎を使った遠隔攻撃と、逆に空気を遮断して炎を消すなどといった災害対応寄りのものになる。どちらも、神ならぬ身には余るほどの力ではあるが、近接戦闘においてはどうしても分の悪さがある。
他国の王の財産である貴重な図書を燃やす可能性を考えると、炎の術は使いにくい。そして、空気の組成を変えて火を消す力――言い換えれば、ヒトが呼吸するための空気を遮断する力――のほうは、リアナがあまりにも彼の近くにいるために、やはり使えない。
フィルにはそれがわかっているのだろう。背後から彼女を羽交い絞めにしたまま、じりじりと窓に近づこうとしている男には。
だが、フィルバート・スターバウにもわかっていないことはあった。
リアナがどれほど無分別になれるか、ということだ。
〔ハダルク! やって!〕
リアナが命じると、ハダルクはすぐさま古竜とのつながりを開き、フィルの周囲の空気を遮断しはじめた。彼の瞳の色が、緑から発光するようなレモンイエローへと変わる。そして、それを見ているリアナはしだいに自分の呼吸が浅く、脈が早まっていくのを感じた。それに続くのは頭痛とめまいと吐き気。空気が薄くなったときに起きる症状で、空気の組成を変えて炎を操る黒のライダーにとっては慣れたものだという。
人体に与える危険が大きいために、あのケイエの火災のような危機的状況でなければ、目にすることもほとんどない竜術だ。
足に力が入らなくなり、視界が暗くなっていく。それはフィルも同じのはずで――
ハダルクの背後から、ノウサギのように跳びだしていく小柄な人影が、ちらりと見えた。リアナからはほとんど目視できなかったが、壁際の本棚の、その棚板を掴みながら四つ足の獣のように駆け、空中から二人めがけて降ってきた。落下にともなって広がるスカートの動きが、目の裏に残る。
飛びかかった! そう思った瞬間、吹きとばされるように跳ねて床の上を転がる。キン、という固い金属音がそれに続く。それは〈ハートレス〉の少女だった。
「ミヤミ!」
リアナは思わず叫んだが、少女はごろごろと転がって衝撃を逃がすと、また同じように壁を利用してすばやく飛びかかる。両手に短剣を構えているのが見えた。また、金属が打ち合う音。
「派手な動きだな。俺に目くらましは無駄だぞ、ミヤミ」
驚くほど冷静な、フィルの声が降ってきた。リアナのほうは今にも気を失いそうになっているというのに、さすがに鍛え方が違うというべきなのか。
ミヤミは言った。「わが剣がわが言葉」
そして、今度は姿勢を低く保ち、驚くほどすばやく二人の目前に現れた。
たとえ自分が人質となっていても、気にせずフィルの確保を優先して――ミヤミには頼んでいたが、そうはいってもリアナの存在が戦闘の邪魔になっているのは間違いない。剣術におけるもともとの能力や経験値、体格の差にくわえてのハンデだ。
フィルバートも、そのことは十分に理解しているだろう。
剣の柄近くでやすやすと二本の短剣を打ち払ったかと思うと、ミヤミを思いきり足蹴にした。容赦のない一蹴りで、体重の軽い少女はほとんど空中を吹っ飛ばされる。壁に激突し、本がばらばらと彼女の上に降りかかった。
「――ミヤミ!」
リアナの叫びと、再びの金属音が重なった。ミヤミが離れた瞬間を狙って、ハダルクが打ちかかったのだ。
が、その後が続かない。リアナはすぐに気がついた。剣が彼女に近すぎるのだ。
フィルバートは、明らかに戦闘の駆け引きにリアナの安全というカードを使っている。そして、それを無視できないハダルクは、上段から剣を打ち下ろす以外の攻撃方法がない。
戦略が失敗したことにリアナが気がついた瞬間、押し返されたハダルクがぱっと身を引いた。
背中が急に強く押され、リアナはたたらを踏んでよろめいた。声を上げる間もなく、すぐにハダルクに抱きとめられる。
「――フィルバート卿!」
ハダルクが叫ぶが、リアナが振りかえったときにはすでに窓から飛び降りたあとだった。ミヤミがその後を追う。少女は両手で窓枠をつかみ、空中でくるりと前転して、階下へと落ちていった。
♢♦♢
薄い空気のためにふらついた意識がしっかりと回復するのに、しばらく時間が必要だった。ハダルクの腕ごしに、床に散乱する本が見える。
まだ竜術の影響が残っているのか、あの本は誰が片づけるのだろうなどと、どうでもいいことをぼんやりと思った。
「なぜ、あんなにフィルバート卿を信頼しておられるのです!」
ハダルクは、彼女の肩をつかんだまま、強い口調で言った。この竜騎手が怒っているのを見るのは、これがはじめてかもしれない。
「この作戦は、一歩間違えばあなたに致命的な被害が及びかねなかった。勅命と思えばこそ従いましたが、私の判断が間違っていた」
「ハダルク卿……」
「――陛下、なぜこんな危険なことを? 仮に彼を捕縛できたとして、結局はガエネイス王の配下であるなら、手出しはできますまい」
リアナは、彼が身を躍らせたであろう窓のほうを見た。「わからないわ」
レーデルルの
ハダルクの苦言はもっともだった。フィルバートに接触できたとしても、外国の王の庇護下にあるのなら、無理やり連れて帰ることもできない。
それでもリアナは、ただ、顔を見て話したかった。胸をつかんで揺さぶって、どういうつもりなのと問いただしたかっただけだ。
そして、会いたかった。自分は、フィルに会いたかったのだ。
「フィルのことはなにひとつ信じられない、でもフィルは絶対にわたしを傷つけたりはしないってわかるの。これっておかしい?」
「陛下、それは、矛盾しています。あなたを絶対に傷つけない男などこの世に存在しません。お若いあなたには、まだお分かりにならないのだと思うが」
ハダルクは諭すような父親の口ぶりになった。「このことは、私の胸のうちに収めておきます。デイミオン殿下には――」
「報告するべきだわ、ハダルク卿」リアナはさえぎるように言った。
「あなた、ケイエであのとき見たものを、デイミオンに報告してないんでしょう? わたしの腕に見えた、あの紋様のこと」
ハダルクは言葉に詰まったように見えた。普段の彼は、そういう職務怠慢とは無縁だから、指摘されると困るのだろう。もちろん保身のために黙っている男でもなく、リアナのために胸に秘していたのだろうと彼女は思った。
だが、ハダルクが口に出したのは違う理由だった。
「愛する者が異形であるというのは、男には受け入れがたいものなのです、陛下」
なるほど、デイミオンのためか。怒るべきところなのかもしれなかったが、リアナは妙に納得してしまう。「いつかは彼にも知られる。いつまでも秘密にはしておけないのよ」
ハダルクは詰めていた息を吐いた。本当に、驚くほど長く沈黙していたが、やがて言った。
「……あなたは本当にエリサ王に似ておられる。……心の奥底までのぞきこんで、真の忠誠とはなにか、問うようなところが」
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