4-3. 再会 

 肩に金色のモールのついた、黒い騎兵服。その後ろ姿を追っていたのを、見失ってしまった。

 グリッドを使おうとしてみたが、館のなかにはあまりの人間がいて、それは網のなかでは〈ハートレス〉と判別がつかない。


 この先で見つからないなら、来た道を戻ってみようかと迷いながら足を急がせる。行きかう召使たちの数が少なくなり、西側の翼棟に続く通路の手前まで来たところで、その姿を見つけた。


(――フィル!)


 逃げられないよう、そっと後をついていく。小走りになって最後の角を曲がったとき、誰かの手がのびてきて、彼女をつかまえた。そのまま廊下を引っぱられていって部屋に連れこまれ、彼が扉を閉めて隙間から外を確認したときには、リアナはおびえてすっかり息を切らしていた。


「――な、なにをしているの、フィル?」


 ハシバミヘーゼルの目が、非難がましく見下ろしてくる。「それはこちらのセリフですね。なにをしているんですか? おれの後をけてきたりして。護衛はどこです?」

 彼の目の動きで、観察されていることがわかった。にらみつけてやるつもりだったのに、その目に見下ろされるとつい目をそらしてしまう。部屋は、四方の壁を本棚が埋めつくし、至るところに机や書き物机ライティングビューローが置かれていた。それで、図書室とわかった。


 護衛に告げずに抜け出してきたことは明白だった。フィルは扉へ向きなおった。「エサル公を呼ばせます」 

「護衛なんてどうでもいいわ!」リアナは叫んだ。「どうして、タマリスからいなくなったの? どうしてここに、イーゼンテルレにいるの? どうして、ガエネイス王に――」

 リアナが詰め寄っても、フィルは動じたそぶりも見せない。


「あなたには関係のないことです」

「フィル、みんな心配して探してたのよ。お願い、ちゃんと説明して。どうして――」

 軍服のジャケットを掴むが、やんわりと手を外されてしまう。ため息がふってきた。

「説明しなければいけませんか? この格好を見れば明白では?」

「そんなものわからないわ。なぜアエディクラの服を?」


 フィルはリアナの肩をつかんで、さりげなく自分との間に距離を置いた。

 黒と紫のドレスは、この男とふたりきりの場では大胆すぎるような気がした。竜族の服のほうがよかった、と思ったが、今さらどうしようもない。案の定、フィルの目は首飾りもないむきだしの首や鎖骨をじろじろと眺めおろしている。


「わざわざ口に出したくはありませんが。……リクルートされたんですよ。今はアエディクラの軍の顧問をしています」

「アエディクラ軍!? オンブリアの敵じゃないの!」

「今は休戦中ですよ」

「どうして? でも――」

「ガエネイス王は実力を重んじる人です。人間の世界には〈竜の心臓〉も竜騎手ライダーもない。おれのような者ハートレスにとって、悪くない条件だと思いますが」

「あなたの国はオンブリアなのよ!」

 リアナは思わず叫ぶ。フィルの目は憎たらしいほど落ち着いていた。

「もう違います」


「……どうしてなの? 全然わからないよ。わたしが何者でも、そばを離れないって……だって、あの小屋で、わたしたち――」


 リアナが必死に言いつのるうち、青年は自分から離した距離をみずからなくし、彼女を壁際に追いつめてその脇に腕をついた。そして耳もとまで頭を下げ、嘲りをこめた声でささやいた。

「その続きを、デイミオンに聞かせたいですか? おれにはそんな趣味はないけど」

「フィル……」

 顔をなかば掴まれ、両方の頬に彼の指が食い込むのを感じる。フィルの顔が近づき、ハシバミ色ヘーゼルの目の、下だけが緑がかった色が見えた。

「あなたは無分別がすぎる。おれがあなたを傷つけないと思っているなら、間違いですよ」

 冷たく、怒りをはらんでいるのに、クリームのようになめらかなフィルの声。体の熱さが感じられるほど近い。彼は砂と太陽と丁子クローブの香りがした。その熱と匂いに、混乱とともにめまいがするほどの欲求がわきあがる。そんな自分の反応に、リアナは衝撃を受けずにいられなかった。


 しばらく、ふたりは声もなく見つめあった。お互いの目がお互いの顔を、目を、唇を探り、そしてまた、見つめる。身体の奥に、甘いしびれが広がっていく。

 フィルバートの固い指が、耳の近くの髪に差しこまれた。一瞬の緊張と探りあい。そして二人とも用心深く目を開いたまま、いまにも唇が重なろうとした瞬間、彼がびくりと身体を引いた。


「……これは」

 自分の指に、きらきら光る霜の粒がついているのを、青年は愕然と確認する。「そんな、嘘だ。……

 それは、口に出すつもりのなかった言葉のように、感情というものが抜け落ちていた。

「もう遅いの、フィル」

 彼女が何を知っているのか、それに気がついたように、フィルが苦渋の声をあげた。「まだ間に合う……!」


「いいえ、もう遅い」リアナは静かに繰り返した。

「もう、竜たちの王ではいられない。だから、戻ってきて。わたしを助けて、フィル――わたしを愛してるなら」

 フィルの目に動揺が走った。少なくとも、リアナにはそう見えるなにかの感情が。だが、結局その動揺はすぐにかき消えてしまった。


「おれたちは違う道を行く」低い声が決然と言った。

「ですが、護衛として最後に忠告を。……イーサー公子を利用してください。イーゼンテルレはアエディクラに併合されたくない。オンブリアに力を貸したがっているはずです」


「フィル、待って――」

 リアナがあわてて言うのと、オーク材の扉が開いたのはほぼ同時だった。そして、首筋にあたる冷たい感触も。

 


「陛下から離れろ!」鬼の形相で走ってきたのは、ハダルクだった。「剣を放せ!」

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