2-12.だから今は、離ればなれ

〔あの……デイミオン〕

 返答は早かった。〔なんだ?〕


 どうやらまだ仕事中らしい。二人のあいだにある〈ばい〉の表層を滑るように、書類の内容らしい文言が通りぬけていった。返答しながら、書類を読み流しているのだろう。


〔……ルーイとミヤミのこと、ありがとう〕

 考えるような、わずかな間が空いた。

〔――昼にも言ったが、おまえの安全は私の管轄だ。礼を言われる筋合いのことではない〕


〔随行団の編成は……どうなったの〕

 彼が遅くまで働いていた理由だろうと思うことを、リアナは尋ねた。単純に気になっているせいでもあったのだが。

 

 デイミオンは、〔明日報告させるから、もう眠れ〕と静かに答えた。


  ♢♦♢


 使用人から宮殿住まいの貴族、守備隊の兵士まで、城じゅうの人々が見送りに出てきていた。美装した竜騎手ライダーたちと、飛竜にまたがった〈呼び手コーラー〉たち。竜の鱗と、騎手たちの鎧が、陽光を受けて輝いている。

 一番先頭を行くのは、竜騎手ライダー団の副長を務めるハダルク卿をのせた黒竜だ。そのあとにさらに竜騎手が数騎と、王の従者と食料を載せた別の飛竜が続く。〈ハートレス〉の兵たちは影のようにひっそりとつき従う。


 王は最後尾、ひときわ白く美しい古竜とともに出発する。タマリスの民たちは壮麗な王の竜に目を奪われるだろう。もっとも、飛行をはじめたばかりのレーデルルはまだ人を乗せて飛ぶことはできないので、実際に王が騎乗するのはすっかりおなじみになった飛竜のピーウィだ。



 王太子デイミオンと、その叔母グウィナ、そしてダブレイン=エンガスの三人が、正門を見下ろすバルコニーに立っていた。エンガス卿は例によって、型押しされた仮面のように柔和な顔つきをしており、何を考えているのかはわからない。グウィナはしいて笑顔を見せようとしてくれていた。デイミオンは表情を取りつくろうこともなく、いぶかしげに目を細め、奥歯をぎゅっとかみしめて腕組みをしている。リアナと離れたくないと思っているのかもしれない。


 あるいは、そうであってほしいという、自分のバカな願望かもしれない。


「黒竜大公はすごい形相だねぇ」

 のんびりした声が、リアナのほろ苦い空想をうち破る。

「ファニー」

 ピーウィの背、自分の後ろに乗っているのは、侍女だった。少なくとも、格好だけは。

 白いドレスにラベンダー色の上衣を合わせた王の姿を引きたてるよう、プラム色のブラウスと黒のスカートという地味な恰好。頭には白いスカーフを巻いている。侍女そのものに見えるが、〈御座所〉で出会った少年、ファニーだった。


「ファニー、あなた、こんなところに来ちゃいけなかったのに」


 リアナが即位したのとほぼ同じころ、〈御座所〉の副神官長という役職に就任したこの少年は、王としての経験が浅いリアナの教師兼相談役のようなポジションにある。


「僕だってたまには外遊したいよ。せっかく権力者になったっていうのに、毎日毎日研究とお祈りじゃあね」肩をすくめる。「それに、アエディクラの名高い学術都市にも行ってみたいし」

「物見遊山じゃないのよ」

「わかってるって」


「王と未来の大神官が同じドラゴンに……」リアナがぼやく。「デイが知ったら、激怒するわね」

「『貴重な卵はひとつの籠に入れるな』、かい?」ファニーは冷やかすように言う。

「つまり、王と継承者は、万一の事態にそなえて別の場所に離しておくべきだということ。正しいね。彼はいまでもそれを忠実に守っている」

「ええ。彼は竜族の王太子だもの。わたしよりずっと経験も長いし」

「でも今ごろ、それを後悔しているかもね」

「どうして?」

「愛する女性を、近くで守れない」

「え?」リアナは一瞬きょとんとしてから、意味が分かって、赤面した。「まさか」

「竜族の男の見本みたいな人なのよ。質実剛健、子孫繁栄」

「でも、男には違いない。だろ?」にっと笑って、続ける。

「声はうるさいし、イビキはでかいし、いつでもどんなときでも、男同士でくだらない序列争いにしのぎをけずり、どんな小さなことでも負けるのは我慢がならない」

「デイはまあ、そうだろうけど。フィルは違うわよ」

「フィルだってそうです

 ファニーは面白くてたまらないように笑った。


「誰でも知ってる真理をご高説みたいに言うのは、黄の賢者としてはばかられるけどね。リアナ」

 ファニーの声がすこし優しくなる。「男が女を守るのは、神話の時代からの本能だよ。男は子どもを産めないんだ。だから、自分の子を産んでくれる女性を命がけで守る。デイミオン卿は今だって、きみのことを側で守りたくて、そうできなくて、歯噛みしているはずさ」


(……そうなのかな)


 リアナが旅先でなにか危険な目に遭ったとき、後継者であるデイミオンはそれを〈ばい〉の力で感じながら、そばで守ることができないというジレンマを抱えることになる。それは、人一倍プライドが高く庇護欲にあふれた男にとって大いなる苦痛であるに違いない。

 竜の王族たちに、この奇妙な力をさずけた竜祖は、このことを知っていたのだろうか? それとも、王と王太子が恋に落ちるなどといった事態は想定されていなかったのだろうか。

〔不安にさせて、ごめんなさい〕

 リアナは胸中でそっと彼に謝った。


〔きっと、あなたの弟を探しだしてみせるから〕


 だから今は、そう決意することしかできない。





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