1-4. マグノリアの木の下で
岩壁にへばりつくカサガイのような城だから、庭園の規模もごくささやかなものだ。住人たちは竜に乗って近くの森に
まず遠目に見ると、城から張り出した小さなシュガーポットのような建物だ。これがパゴダで、そこにいくつかのサブガーデンが付属しているさまは、むしろ陶製のストロベリーポットのほうに似ているかもしれない。そのすべてのポケットが、2~3人で楽しめる小さな植え込みの庭になっているのだ。
メインポットに当たる部分でも、一度に十人も入れば手狭に感じるような大きさの庭である。そしてどこから見ても足もとに空を感じる。いわゆる
小さいながらもイチイの生け垣があり、あらゆるグラデーションのバラがあり、クレマチスがあった。竜族の愛する小さくて可憐な野花はもっと多く、ネモフィラに毛布花、マリゴールドなどがたっぷりと植わっていた。壁にはシダとコケが模様を作り、その合間を水がしたたり落ちている。
四、五人も座ればいっぱいになるパゴダに、明るい色のドレスを身にまとった貴婦人たちがいる。中央にいるのが竜王リアナだ。注意深く化粧をしていたから、粘土のような顔色は隠せていると思いたい。
「……それで、ハリデイ卿はそのお菓子を目当てにあなたの家に通っていらっしゃってたの?」黄色いドレスの婦人が言った。
「まあ、いったいどんな方法を使ったのかと思ったら! 抜け目のない人ね」
「信じられないくらいおいしいのよ。うちのお菓子職人はイーゼンテルレの宮廷で修行したことがあるんですもの。それは見事な砂糖細工を作りますわ。でも一番おいしいのは糖蜜パイね」
「ぜひ、あなたを
「あら、うちではアエディクラ産の取り扱いが増えてきたわよ。イーゼンテルレで精製したものにはかないませんけどね……」
砂糖菓子そのもののような会話にはうんざりするが、そんななかにもさりげなく権謀術数が紛れこんでくるのが女性の会話というものだ。オンブリアでは王と五公とはほぼ対等の権限があり、竜騎手議会と合わせてこの三つの権力が互いにバランスを保ちながら国政を動かしている。だからこそ社交には手が抜けない。
リアナは、自分を取り戻すべく大きく深呼吸をした。
「あら、あそこを歩いておられるのはメドロート公じゃなくて? それに、デイミオン卿も」
狩人に見つかった鹿のように、リアナの心臓が跳ねた。せっかく取り戻しかかっていた意識が、するりと手のあいだから落ちていってしまう気がする。吹き抜けの回廊を背の高い二人の男が歩いている。それはたしかに、メドロートとデイミオンだった。昨晩のことを思いだすと直視できなくて、リアナは気づかれないように横を向く。
「なにをお話ししておられるのかしら?」
「まじめなお顔をされてるわ。政治のお話かしら」
リアナの様子に気がつくことなく、貴婦人たちは楽し気に笑いさざめいている。
「メドロート公も美丈夫でいらっしゃったそうよ。……母が娘の時分、どうにか自分の屋敷においでいただこうとして、骨折りしたものだと聞きました」
「そういえば、どこかデイミオン卿に似ておられるわね。お背が高くて、厳しくて」
「まあ、甥がお恥ずかしい」
燃えるような赤毛を引きたてる緑のドレス姿のグウィナ卿が言った。「きっと、竜のことか、くだらない狩りの話かなにかだと思いますけれど」
「そんなはずがありませんわ!」
「デイミオン卿といえば
「婚資はいくらくらいお持ちなのかしら。テキエリス家は裕福でいらっしゃるのね」
「あら、あそこの当主は〈
「あなたほど賢い女性って、なかなかいませんわね、リュノ」
話が下世話な方向に行きかけると、グウィナが穏やかにさえぎった。そして、間をおいて続けた。
「だいぶん長い間、陛下をお引きとめしてしまったようですわ。そう思いませんこと? たしかこの時間は、テヌー卿の授業だったと思いますわ」
「あ」
リアナは思わず声を出してしまい、慌てて口もとを押さえた。グウィナの気づかいに気づくのが遅れたのだ。
「その……そうでした。皆とのおしゃべりがとても楽しくて。忘れていました」
「そうでしょうね」グウィナがうなずく。
その声と表情で、なんだかんだ面倒見のいい女性なのだな、と気がつく。メドロートのように過保護ではないが、彼女なりのやり方でリアナに便宜を図ってくれているのだろう。露台からいきなり突き落すのが、竜族流の愛情あふれる子育てなのかはわからないが。
これ以上失態をおかす前に退出できるのはありがたい。そそくさと立ち上がりかけたリアナに、グウィナがそっと耳打ちした。
「どうか、裏庭のほうにいらして。西の通用門のところに、マグノリアが咲きはじめていますから」
♢♦♢
夜、眠れないせいで、昼でも頭のどこかが目覚めきっていないような気がする。リアナはよく考えもしないまま、グウィナの言うとおりの場所にたどり着いた。薔薇園とは違い、クローバーやタイムが自生する雑然とした緑のなかに、控えめな通用門が見えた。門の脇に言葉どおりのマグノリアが一本だけ植わっていて、緑に覆われた地面に白とモーブの花を視界に落としている。……が、門の横の人影は、見間ちがえようもない。
旅装のように見えた。
「――フィル!」
声をあげ、駆け寄って、抱きついた。
「フィル、フィル、フィル」
広い胸にしがみつくと、涙が出てきた。自分でもよくわからないうちに、いろいろとため込んでしまっていたらしい。
護衛の青年はしっかりと抱きしめ返してくれた。デイミオンとは違う匂い、彼よりわずかに低い身長、でも同じくらい熱い、とリアナは思った。男性は巨大な熱の塊のよう。
「リアナ」耳に心地いい低い声が返ってくる。
「半月もいなかったわ! どうしてなの、ひどいよ、理由も言わないで」
理不尽な子どもっぽいことを言っていると思ったけれど、顔を見たら、止まらなかった。フィルはデイミオンとは違い、〈
「ちょっと休暇を取っていただけですよ。……でも、すみません」
軽い調子で言い、腕を緩めてリアナの足が地面に着くようにすると、フィルはあらためて主の顔を見つめた。たぶん、ひどい顔をしているだろうと思ったけれど、フィルは笑んだままで何も言わない。せっぱつまった様子に気がついていたとしても、それをまったく顔に出すことはない。
「腕の模様は大丈夫ですか?」
フィルは声を低めて、ささやいた。「あれから、変化は?」
リアナは笑みをつくって首を振った。「大丈夫」
フィルが口にしているのは、二人だけの間の秘密だった。彼がそうするようにと頼んだからだ。火の手があがるケイエに舞い戻ったとき、子どもたちを連れ去ろうとしているデーグルモールと対決した。おそらく故郷を焼いたのも同じデーグルモールたちで、彼女にとっては許しがたい仇だった。しかしそのうちの一人の
たぶん、フィルが一緒に考えてくれるだろう、と思った。それは楽観的すぎる考えかもしれない。でも、彼女は王で、内憂外患のほかに自分の身体に起こる不可思議な現象まで抱え込む余裕はなかった。
フィルバートが微笑んでこう言った。
「じつは、魚釣りに行きたくて、うずうずしてるんですよ。つき合ってもらえませんか?」
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