7-5. イオ

 ナイルが飛竜で飛びこみ、メドロートと白竜シーリアがいるはずの小ドーム。リアナはそこを目ざして走っている。地上から見たときには、崩れた水道橋のようなものが点々と一直線になっていた。だから、まっすぐに進めばいいはずだ。地下ではところどころが分岐していたが、レーデルルのグリッドの力を使って正しい方向に進むことができた。いたるところに水が、暗渠あんきょの気配があり、その水のざわめきが竜を通じて流れこんでくる。


 ルルの怒りと不安の波長を感じる。上空でせわしなく旋回しながら、自分の力を使って勝手をする無鉄砲な主人ライダーを非難していた。


 ――あなたは無分別がすぎる。


 再会したフィルバートは、そう言って彼女を責めたのだった。そのことも思い出す。

 本当に、無謀なことばかりしている。

 その自覚はあるので、デイミオンやフィルにも申し訳なく思う。でも、いまはナイルを助けに行かなければ。信じたくはないが、メドロート卿が死に、領主権も、古竜のシーリアの所有権も甥である彼に移っているのだ。その強い〈ばい〉の力が、ナイルを人間たちのもとへ引きこんでいる。


 ――どうして、いつもいつも、間に合わないのだろう……


 今度もまた、あと少しのところで、大切なものが手からすべり落ちそうな、そんな暗い予感がする。最近では、予感も、悪夢も、おそろしいほどに的中する。白竜の力のせいなのだろうか。

 きれぎれの思考に振りまわされていると、前方に複数の気配を感じた。ヒトの心臓がなく、〈竜の心臓〉だけが動く、奇妙な生体反応。デーグルモールだ。


 彼らに遭遇しないよう、リアナは用心して細い通路に入りこんだ。グリッドで見ると、この道からもドームにはたどり着く。途中に開けた場所を通ることがわずかに気にかかったが、結局、そちらに向かった。


  ♢♦♢


 地下に大聖堂があり、そこに迷いこんだのかと思った。

 リアナが一瞬そう錯覚するくらい、荘厳さを感じるほどに巨大な空間だった。アーチ形の天井が高くそびえ、円柱が整然と並んでいる。薄暗いために奥まではわからないが、両端だけではなく、数メートルおきに列があり、まるで巨人の軍隊が号令を前に動きをやめてしまったかのようにも見える。どの柱にも照明がそなえてあり、オレンジ色のあわい光を投げかけていた。


 柱列の理由はすぐにわかった。ここは遺跡のなかにある貯水槽なのだ。リアナが立っているのは円柱のあいだの木造の通路で、その通路をのぞいてはすべてが水で満たされていた。白竜の力に呼応して、目ざめきっていない巨大な動物のような貯水槽の気配を感じた。通路を歩くごとに、両脇の水面から踊るような水滴が跳ねた。白竜の主人である彼女の目には、それはスローモーションではっきりととらえることができた。使役される水の粒子たちの、歓迎のあいさつのようなものだ。足元の水のなかには大きな鯉や金魚が泳いでいる。


 上階の騒然とした音は厚い煉瓦で遮られているようで、聞こえるのは天井から貯水槽にしたたりおちる滴の音だけだった。


(こんな場所があったなんて……)


 亡国イティージエンの進んだ建築技術や治水術については、ファニーから教わっていたが、これほどのものとは考えもしなかった。ここに貯められていた水は遠く離れた都まで送られ、彼らの宮殿を潤していたはずだ。紅竜の力も使うことなく、いったいどれほどの時間と労力をかけて、こんな巨大な貯水槽を作ったのだろう。


(いえ、竜の力の有無にかかわらず……というより、竜がいないからこそ、これを作る必要があったんだわ。彼らには白竜がいない。水脈を読み雨雲を呼ぶ〈乗り手〉もいない。こうやって水を貯えるしか……)

 だが、その技の積み重ねが、今のアエディクラの発達した科学技術につながっている。竜族が竜の力を借りることで成し遂げたことを、自分たちだけの力で行わなければならなかったからこそ、イティージエンはオンブリアの及びもつかない科学国家となったのだ。

(それを考えると――)


 つい物思いにふけりそうになったリアナの耳が、小さな足音をとらえた。

 空気の流れは一か所で人の通れる幅に分かれている。が、足音の主は隠れているつもりはないらしく、影からするりと姿を現した。

「まったく、なんだってこんなでかい水槽を作らなきゃならなかったんだろうな? 白竜がいればこんなもん要らないのに。人間っていうのはかわいそうな生き物だよな、なぁ?」

 小柄な体躯、短く刈った金髪、灰色の瞳。身体にフィットした黒の胴着は袖がなく、細く筋肉質な腕がむき出しになっている。青年はこんこんと柱を叩いて、にやっと笑った。


「よぉ、また会ったな、白竜の王さま」

「……イオ」


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