7-6. 地下水道の激突

 知ったばかりの名前を呼ぶ。返ってきたのは、あいさつではなく、攻撃だった。


 デーグルモールが右手に持った短剣を頭上でぐるりと回転させたかと思うと、勢いよく振り下ろした。ナイフは手のなかに持ったまま、炎の稲妻がこちらをめがけて飛んでくる。リアナはかろうじてそれをよけ、炎が肩先をかすって、服の繊維が焦げるじゅっという音を立てた。

 あまりにも素早い攻撃で、なぜ避けられたのかわからないほどだった。


「同胞を逃がすまえに、あんたを片づけておかなきゃな。……しかし、あのでっかいアルファメイルの気配はなんだ? 黒竜大公の竜か? 親父は大丈夫だろうな?」

 イオのつぶやきで、デイミオンが、デーグルモールの頭領と相対していることが知れた。彼は大丈夫だろうか。ナイルのことも気にかかるが――〈ばい〉の絆は、どちらもまだ無事であることを伝えてくる。


 全身が緊張し、警戒の信号を発している。毛穴が開いて毛が逆立つような感覚があった。

 自分の無鉄砲を後悔するべきときがあるとしたら、今だろう。もともとの戦闘能力や経験の差を考慮にいれなくても、目の前のデーグルモールは、黒竜のライダーで、自分は白竜のライダー。


 つまり、相手は炎によって自分を攻撃でき、そして自分には、相手を攻撃する竜術が使えない。武器になるものといえば、護身用に持たされた短剣程度。文字通りの絶体絶命だった。


〔レーデルル! 『フェイルセーフを解除』して!〕

 リアナは叫んだ。ついさっき、ナイル・カールゼンデンが古竜シーリアに命令したのを、〈ばい〉の絆のなかで知ったばかりだ。言葉も意味もわからないが、それは、ヒトを害する可能性のある術を使えない古竜が、その例外である黒竜と同じように攻撃可能となる呪文のように聞こえた。


 だが、古竜からは鋭い拒否が帰ってきた。

〔いいえ! いいえ!〕

〔ルル!――〕

〔いいえ! いいえ! いいえ!〕

 〈ばい〉を通じて命じようとしても、わんわんと否定の声が鳴り響くだけで、ナイルのような術は使えなかった。呪文に間違いがあるか、それとも特別な条件下でないと、作動しないのか。


(しょうがないわ)

 

 あの術なら、目の前の青年を一気に窒息に追い込むこともできるのに。ほかの方法を探すしかない。しかも、同じことを相手にされないように防御しながら、だ。

 ふつうの竜術なら、なんとか使えそうだ。さいわい水だけは大量にある。リアナは水を注意深くんで周囲にらせん状の壁を作った。水が移動するザーッという音が、貯水槽全体に響きわたっていく。


 炎の矢が壁につぎつぎと突入して、ジュッと燃え尽きた。

 

 だがこの方法では、防戦一手になってしまう。

 オンブリアでは、黒竜と白竜の竜騎手ライダー同士が戦うときは竜術を封じて剣のみの試合とするか、あるいは互いに竜術の技を披露しあって第三者に判定を委ねる。つまり、竜術そのもので戦うことはない。黒竜からの炎の攻撃は水で容易に消し去られてしまうし、逆に白竜のほうからも有効な攻撃を繰り出すことはできない。水流を操って相手をおぼれさせるようなことは竜術の原則上、不可能だからだ。そのため、竜術だけでは勝負がつかないと考えるのが一般的だ。

 だから、イオはおそらく――武器を使った攻撃にうつるはずだ。

 

 予想は残念ながら当たった。


 炎に気を取られている隙に、イオは柱のあいだを縫うように走って、一気に距離をつめてきた。逃げるか、それとも防御壁を維持するために留まるか、一瞬の判断の遅れが生じた。イオは柱を蹴るように跳躍し、天井近くから降ってくるように跳んだ。その常人ばなれした動きは、おそらくは竜術を移動の補助に使ってのもの。そして、水流のない頭上近くからの攻撃。武器は背中ほどの長さの短めの剣。一本だけを抜いているが、二本を同時に使うことは前に見て知っていた。

 リアナのほうは、護身用の短剣が一本だけ――しかも、その扱いはお世辞にも長けているとはいえない。


 ガキッ、と重い音がして、かろうじて一太刀目を受けた。剣の重さによろめき、押される一方で次の攻撃への準備ができずに焦る。イオがわずかに身体を引き、安堵しかけたのもつかの間――彼の手が動いたかと思うと、身体に強い風圧を感じ、背後に弾きとばされた。

 

 、その意味に気がついたときには、もう衝撃が襲っていた。最初は、背中がなにかにぶつかったのだと思った。だが、衝撃は背中だけではなく、腹部にも来た。驚くほど間近に、イオの笑みが見え、そして彼の剣が、自分の腹を貫いている。


「うそ……」


 痛みよりも、圧倒的な異物感が先に来た。それから、熱と痛みとが爆発して、全身が支配される。全身が痛みと熱になる。

「う、ぐっ」

(痛い、痛い、痛い)


「安心しろよ」リアナの腹にずっぷりと剣を差しいれたまま、イオがささやいた。「俺はデーグルモールの殺し方を知ってる。を長くは苦しませない」


(痛い、痛い、痛い、痛い)


 なにひとつ考えることができず、見開いた目に映ったものも信じられなかった。自分の腹部から、銀色の二本の刃がのぞいている。貫かれたその二本の剣によって、円柱の高い位置に縫いとめられている。柱の下部、緑色に変色した土台のあたりに石造りの顔がうち棄てられ、横向きになっているのが見えた。


〔危険! 危険! 危険!〕

 どこかすぐ近くで、そう警告する竜の声が聴こえる。でも、もう遅い。


 自分の手が、なにかをつかむように空中をさまよう。熱いものが喉にせりあがってくる。だが、誰の名前を呼ぶこともできない。なにひとつ、頭に浮かんでこない。いつのまにか〈ばい〉は遠のいていて、祭りの日に遠くで聞こえる楽隊の音ほどにかすかだった。いま感じられるのは痛みと熱、痛みと熱だけだ。


 夜のとばりが下りるように自然に、目の前が暗くなっていく。肺から空気が漏れ、心臓がどくどくと鳴っている。竜とヒト、どちらの心臓かはわからない。


 竜はなお、頭のなかで警告を叫び、リアナには理解できない竜の言葉でなにかを伝えようとしてきたが、もはや彼女はそれを理解できなかったし、聞こえてもいなかった。痛みと熱がしだいに遠のきはじめ、太陽にあてた羽根毛布のように優しく温かく、死が彼女をおおいはじめた。

 

 心臓が止まった。



 

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