5-6. 睦ぶ


 丸屋根とガラスの壁を持つ温室は、壁際にいれば外からのぞき見られてしまう。デイミオンはリアナを軽々と抱きあげて、温室の奥へと進んでいった。


 熱帯の植物が多い主温室と比べると、こちらはこぢんまりして狭かった。とはいえ細いプールが導く先には小さいながらも噴水があり、壁沿いに植えられたオレンジの木々の枝は、びっしりと白い花をつけている。その花びらがテラコッタの床に雪のように散り、また水面にも浮かんでいた。 

 

 抱えられたまま木の幹に背を押しつけられ、デイミオンの片手が急くようにドレスのボタンをまさぐった。一度地面に下ろせばいいのに、中断されるのが嫌なのか、罪のないボタンを罵りながらもどかしく外していく。リアナはそれを手伝い、それから彼の長衣ルクヴァに手を伸ばした。ドレスと変わらないほどたくさんのボタンがついていて、それを脱がすと、今度は絹のシャツにも同じくらいの数のボタンが現れた。


「竜族の服はボタンが多すぎるわ」リアナが悪態をつく。

「同感だ……」デイミオンは荒く息をついている。「めずらしく意見の一致を見たな」


 シャツを破かず、ボタンも壊さずに互いの服を脱がせ終えるのは難しそうで、二人ははだけられた服のままで睦みあった。リアナは手を彼の肩に、足を彼の腰にまわして、抱えあげられるような格好だ。デイミオンの手がドレスの隙間から入ってきて、肌に触れる。リアナが彼の顔をはさんで上向かせ、口づける。


 オレンジの花の甘く濃厚な香りと、水の流れる音、それにどこかから聞こえてくる鳥のさえずりが、この温室を外界から離れたものにしていた。


 彼が入ってきた瞬間、奇妙な感覚がリアナを襲った。

 さしつらぬかれる圧迫感と同時に、肉杭が包まれる快感がある。もっとゆっくり入ってきてほしいのに、さきをく男の欲望もリアナのなかに同時にあった。


「……〈呼ばい〉だわ。こんな……」

「……ああ。こんなことが起こるのか」

 彼女の首すじに顔をうずめ、デイミオンも荒い息でつぶやいた。「たまらないな、これは」

 体重をあずけた木がかわいそうになるほど、彼に強く揺さぶられている。身体の奥に直接デイミオンを感じられるのは素敵だった――それに、襲いくるような興奮の波に眉をひそめて耐える顔も色気があって、魅力的だ。でも、こんな格好で、いつブーツを脱げるのだろうということが気にかかったし、なにより、自分の体重のせいで彼の貫くものとその動きから逃れられなかった。


「……この……体勢は……不利、だわ」

 リアナはあえぎながら言った。

 クレームを受けた男は、リアナの首もとから顔をあげた。

 挑発するような青い目に星がきらめいて見える。「ほかの体勢なら、俺を打ち負かせると?」

「……もしかしたら、……たぶん」


 〈ばい〉の奥まで余裕たっぷりの男が笑った。 

「試してみるといい」


 リアナは言われたとおりにした。


  ♢♦♢


 ふたりは脱ぎ捨てた互いの服の上で絡みあっていた。重なる服の下はやわらかい苔がむしている。

「お腹がすいたわ」

 リアナがぼんやりとつぶやく。デイミオンは裸のままで、それを気にしたふうもなく立ちあがってどこかに消え、しばらくすると戻ってきた。手に編み籠を下げている。中身はワイン、パン、チーズと簡素なものだったが、小瓶に入った蜂蜜が添えられていた。


「オレンジの蜂蜜だな」


 彼が指についた新鮮な蜂蜜を舐めとるのを、リアナはうっとりと眺めた。長い指が蜂蜜をすくい、寝ころんだままのリアナの口もとに垂らされる。口を開くとオレンジ特有の苦味があり、甘味がそれに続いた。彼女の唇と顎に落ちた蜜を、デイミオンが上半身をかがめて舐めとった。ふたりとも空腹だったのに、食事はいったんおあずけになった。



 しばらく経つと、雨が降り出したらしかった。デイミオンが目を覚ますと、温室内は灰色の光で満たされ、雨が丸天井のガラス窓を叩いてつたい落ちていた。リアナは頬を彼の肩にぴったりつけて、片方の腕を胸にまわしている。身体をなるべく動かさないように苦労したすえにどうにか周囲を探って、夕方近くだろうと見当をつけた。身動きしたせいなのか、身体にまわされたリアナの腕がぴくっと動く。目が開いて、彼の首のくぼみにキスをすると、いたずらな顔のままふたたび眠りに落ちていく。


 はるかな上空で、二柱の古竜が呼応しあって飛んでいた。たそがれの色を反射し、風に舞うリボンのように軽やかな虹色の竜。鱗を鋭くきらめかせる巨大な漆黒の竜。そのろうろうとした歓喜の〈ばい〉を、デイミオンは感じ取った。……


 鉄の骨とガラスでできた丸天井には、その高さまで伸びた木々がもうひとつの天蓋を作っていた。鳥は鳴きやんで、昼のあいだ閉じていた白い蕾が開きだしている。

 夜に咲く花を目にするのも、誰かの寝顔をこれほど長く眺めているのも、はじめてのことだと彼は気がついた。


  ♢♦♢


 ……なにかに呼ばれているような気がして、リアナは目を開いた。


 デイミオンの肩の上に頭を乗せていたので、まるで暖炉の上に寝ているようだった。男の人って不思議、と彼女は思う。この、喉に入ったボールみたいなものも。触っていると大きな手がのびてきて指を掴まれ、動かせないでいる。


〔うれしい?〕

 レーデルルの声が聞こえてきた。〔あなた、うれしい。息、心臓、新しい血の王子さま。うれしい〕


〔そうね。うれしいわ〕リアナはこたえた。


〔もう熱くない、もう冷たくない。もう悲しくない。小麦、たくさんの小麦。みんなうれしい〕

 ルルの〈ばい〉は歓喜にあふれていた。言葉の意味はよくわからないが、喜ばしいことのたとえなのだろうか。竜の言葉は、ヒトと違うから、わからない。

 

〔たくさん話したいのね。いいわよ〕

 気だるさに包まれながら、リアナは優しく言う。

 ルルは跳ねまわるように喜んだ。

 

〔大きい大きい黒い竜。イカ、おいしい、イカ〕

〔アーダルにイカをもらったの? よかったわね〕

 レーデルルのなかで、好物のイカと黒竜アーダルとが結びついてしまったらしい。ひとしきり「大きい大きい黒い竜」について語るので、リアナは心配になった。

〔ルル、女の子はもっと慎重にならなくちゃいけないのよ〕

 自分のことは棚に上げて、母親の口調になる。


〔イカ、大きい大きい竜。黒い〕

〔だーめ〕

 優しい声でとどめる。〔贈り物をもらったからって、そんなに簡単に好きになっちゃだめよ〕

 

求愛行動ディスプレイか〕リアナの鼻のつけねに口づけながら、デイミオンが呟いた。

〔抜け目のない奴だな、アーダルめ〕


〔竜と白鳥。炎と氷。物語と伝承。新しい血の王子さま〕

 ルルは喜んでしゃべりつづけている。

 

〔よくしゃべるようになったわ〕

〔うらやましいな。アーダルは昔から、しゃべったことがないんだ〕

〔そうなの?〕

〔ああ。あいつはプライドが高いから、たぶん俺の言うとおりにしたくないんだろう〕

〔アーダルらしいわね〕

〔最近、どうも〈ばい〉が遠くてな。手綱を取るのに苦労している〕

〔あれだけの雄竜だもの――制御するのは、大変だと思うわ〕

〔ああ。だが――〕


〔大きい大きい竜。問題と解決。命令装置は正常ですか?〕

 いきなり話しかけられて、デイミオンは面食らった。

〔? なんだそれは?〕

 レーデルルから、なにかを問いかけられたような気がする。しかし、相変わらず竜の言葉づかいなので、リアナたちにはよくわからない。

 夜闇のなかから、ふたたびの声。

〔フローチェイサーからファイアブリンガーへ。フェイルセーフが作動しています。解除しますか?〕

〔ルル?〕

〔おい、レーデルル……〕


 だが、それからいくらデイとリアナが呼びかけても、レーデルルはイカと黒竜の話しかしようとしなかった。

 謎かけのような会話に二人が顔を見合わせていると、それは唐突に破られる。ばたばたっという複数の足音が、あわただしく扉の前まで駆けつけた。


「陛下! 閣下!」

 大声で呼ばわるのは近衛と竜騎手たち。デイミオンが入室の許可を出して、彼らがこの奥の温室に入るまでのわずかな時間に、簡単に身支度を整える。


「ご報告申し上げます!」


 苔むした地面のうえに間近に座る、乱れた服装の王と王太子を見れば、なにがあったかは火を見るより明らかだろうが、近衛兵は幸いにもそれどころではなかったらしい。

「北部領の後継者、ジェンナイル卿がご到来。――火急の御用にて、すぐに陛下にご面会したいとのことです」

「わかったわ。卿はどこに?」

「竜舎です。過度のご疲労と〈ばい〉病みのご様子でして、青の〈癒し手ヒーラー〉も手配済です」

 そんなになるほどの状態をおして、領主筋がここに来るとは、ただごとではない。リアナは嫌な予感がした。最近では、この種の予感は、残念なことによく当たる。

 

 そして――

 王と王太子が竜舎に駆けつけると、そこにはナイル・カールゼンデンと思われる青年が、いまにも息絶えそうな様子で飛竜のわきに座りこんでいた。彼がデイミオンの顔を見て、そしてリアナを見ると、その目はゼンデン家のスミレ色。たとえメドロートとは似ても似つかぬ小柄で細身の男性といえど、二人のあいだの血縁関係を、なによりも色濃く示すものだった。


 苦しそうに脂汗がにじむ顔で、青年は驚くべきことを告げた。


「大叔父が、北部領主メドロート・カールゼンデンが、――人間の国アエディクラに囚われているのです」

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