3-10.届かない声

 空が燃えていた。


 曇天どんてんに火の粉が舞う。男の、女の、子どもの悲鳴と泣き声。近くからも遠くからも、四方を取り囲まれているよう。建物が焼け落ちるミシミシ、バキバキという轟音。

 意識のどこかでは夢だとわかっている。映像はだんだんと鮮明になっていく。本来はその場にいなくて、目にすることはなかったはずの光景。自分が生み出す、脳が補って見せる地獄絵図。その景色のなかに、ハゲタカのように旋回しながらデーグルモールが降りてくる。不気味な仮面から突き出た、鋭いくちばしでつつくようにして、里人たちの生死を確認するもの。ぞろりとしたマントを引きずらせ、死体から臓物をつかみあげてすすり上げるもの。生まれてまもない赤子をぶら下げて持っているもの。


(やめて! もう殺さないで! 連れていかないで!)


 精いっぱい叫ぼうとするが、声にならない。

 一人のデーグルモールがマスクを外した。頭を振って長い巻き毛を払うと、そこに自分の顔があらわれた。


 リアナは今度こそ叫び続けた。



 ドンドンドンッ、と激しく扉を叩く音がして、はっと目を開けた。ふたつの心臓が早鐘を打っている。悪夢と目ざめの混乱で、一瞬、〈隠れ里〉の自分の部屋にいるのではないかと思った。寝過ごしてしまった自分を、養父のイニが起こしにきたのではと。だがそれは一瞬だけの夢想に終わった。ここはイーゼンテルレの仮住まいで、外遊中で、自分はライダーに憧れる少女ではなく、王だった。


「リアナさま!」

「陛下!」


 ドアを叩きながら呼びかけるのは侍女のルーイと、ハダルクの声だった。リアナも負けずに叫び返す。

「大丈夫よ!」

「ですが、お声が――」

「なにもないわ! 放っておいて!」


 身体を起こして、膝を抱える。上ずった自分の声は、まるでヒステリーを起こした女のようだ。

 扉の向こうではまだ安否を気遣う声が響いていたが、リアナは耳をふさいで自分の膝に顔をうずめた。


(なんて夢なの……!)


 『?』


 あのデーグルモールとの遭遇以来、悪夢は続いている。


 何ひとつ自分の思うようにならず、誰もかれもが彼女を傷つけたがっているとしか思えなかった。故郷はデーグルモールに滅ぼされ、養い親は行方不明で、デイミオンは自分以外の女性と寝ていて、フィルバートは自分のもとを黙って去り、そして自分は恐ろしい半死者しにぞこないかもしれないのだ。


 あまりに多くのことが重なりすぎていた。もう無理よ、と何度も思う。もうこれ以上は耐えられない。脳の片隅では、今日の公務の予定を冷静に数え上げている自分がいるのがわかった。だが、構うものか。


 タマリスを出てから張りつめていたものが切れ、もうこらえることはできなかった。声をあげて泣き、はばかることなくしゃくりあげた。


 燃えあがるケイエで見た、不気味なデーグルモールのなりそこない……球形にふくれあがり、樹木めいた黒い模様が全身を這いまわり、最後には燃えながら腐り落ちていった。自分は彼らの仲間なのだろうか?

 いつかは自分も、あんなふうになってしまうのだろうか?


 それは、震えあがるほど恐ろしい想像だった。こんなことは誰にも言えないという思いと、誰かに助けてほしいという強い願いが、波のように交互に襲ってくる。

 ……そして、彼に助けを求めた。あのデーグルモールに遭遇したときと同じように。


〔デイミオン、デイ〕

〔お願い、こたえて〕


 そこには確かに〈ばい〉の絆を感じるのに、やはり応答はなかった。それでもリアナは、手の甲で涙をぬぐいながら、必死で呼びかけを続けた。

 だってデイミオンは何度もそうしろと言ったのだ。手遅れになる前に自分を呼べと。

『おまえが苦しんでいるときにそばに行くこともできないなら、〈ばい〉など何の意味もない』

 あの日確かに、息ができなくなるほどきつく自分を抱きしめて、そう言ったのに。


〔怖いの、不安なの。助けて、デイミオン〕

〔どうしてこたえてくれないの……〕 

 


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