3-5. デモンストレーション


 南の国の夕暮れは早い。壮麗な城が日の名残を受けてしばらくのあいだ輝き、そして暗く沈んでいった。新郎新婦、イーゼンテルレの大公夫妻、そして来賓の王と諸侯たちは、郊外に用意された天幕へと移動した。ソーン河の対岸から、祝言の花火を打ち上げるとのことだった。


 ガエネイス王が自らと諸王たちのために建設したという豪奢なボートが、幾艘も河に浮かび、それぞれの燈火ともしびが幾百もの明かりを水面に投げかける。楽士たちを載せた舟があり、優雅な響きがはじまった。

 

 ゆれる舟が波を送って、岸をひたひたと打つ。水の音に混じって、貴族たちの笑い声がのぼる。音楽がやんだかと思うと、最初の花火が轟音とともに天にはじけた。あたりは一瞬静まりかえり、ふたたび音楽が流れ、侍従たちがわっと歓声をあげた。オンブリアでは、花火はとても珍しいものなのだ。

 リアナの目は花火を追ったが、長くは続かなかった。座椅子に腕をもたれて、周囲に聞かれないようにそっとため息をつく。たぶん、楽しい気持ちになるべきなのだろうが、気分が沈んでしまうのを止められない。


「船酔いかい? 具合がよくなさそうだね」

 隣で夜空を見上げていたはずのファニーが、そうささやいた。目ざといというか、常にその場の全体を見ているようなところが、この少年にはある。

「そうかも」リアナも小さな声で返した。


「宴席でも、あまり食べていなかったみたいだけど……大丈夫?」

「うん、なんだか……移動して疲れたのかな。あんまり食欲がなくて……」

 食欲がないのは今日に限った話ではない、ということをファニーに相談するべきかどうか、リアナは悩んだ。繁殖期シーズンに入る前後から、食欲が落ちることが気になっていた。体重や体格には変動はないようだし、体調が悪いということはないので、ストレスからだろうと軽く考えていたのだが。


 味覚の変化も気になっていた。宴席では、砂を噛むような味の食べ物が多いなか、火がほとんど通っていない生の竜肉だけを、とてもおいしく感じた。里にいたころは、好んで食べなかったものだ。

 成長期にある嗜好の変化と言ってしまえばそれだけなのだが……。



 舟に乗り込んでいたイーゼンテルレの廷臣が、そろそろご準備をいただきたい、と丁重に告げた。リアナはうなずく。

「竜の水芸なんて……」内容を聞いたファニーは不満顔だ。

「王に余興をさせるなんて、どういうつもりかな?」


「花火は友好と和平の象徴でもある。竜もまたしかりさ。建前上はな」

 エサルが含みのある口調で言う。「その実、国力と威信を示すことも欠かせない。……花火は火薬を扱う技術力の証でもある。お返しに、こちらも竜の威力を見せておく必要があるのさ」

 オンブリアの五公は、軍人で、かつ外交官でもある。そのあたりの事情はよくわかっているのだろう。

 ファニーは鼻を鳴らした。「僕は気に入らない」


「いいのよ」リアナは立ちあがって、手袋をはずし、侍従にわたした。「これで無駄な衝突が防げるのなら、安いものだわ」

 エサルも同じように準備をはじめている。「では、打ち合わせ通りにお願いします、陛下」と堅苦しく言った。


 レーデルルがぴょんと跳ね、その動きで舟が揺れた。白い古竜はふわりと羽ばたいて、そのまま螺旋を描くように河の上空へと躍り出ていく。


 それを見送ったリアナは、自分のなかにある水を探しはじめた……

 

 ここには、あまりにも水が多い。当たり前のことだが、白竜の力を使いはじめて間がないリアナには、まず集中することが第一の壁になる。そろそろと内部に手を伸ばしていくが、河はまるで大音量の音楽のように騒がしく、自分のなかの水をかき消してしまう。


(集中、もっと集中して……)


 舟にひたひたと打ち寄せる水が静まりはじめ、風を失って帆先の紋章旗がしおれた。河の力は、リアナのなかの力よりもはるかに大きいように思えた。引っ張られ、水に引きずり込まれていくような感覚があり、気を抜くと河と自分が一体化してしまいそうになる。

(あまり深くへ潜っちゃいけない)

 はっと気がつき、浅いほうへ浅いほうへと自分を引きあげていく。自分が引きずり込まれるだけではなく、河の奥から水を引きだせば、その威力で舟が沈んでしまうかもしれないからだ。

 枝の先についた小さな芽を芽吹かせるように、遠く小さな力で――そのイメージがうまくいった。水面から水が跳ね、ぴちゃんと落ちる。下流から呼び起こした水が、ある一点で集結した。うねりながら、雌の成竜をイメージした優美な形に集まっていく。エサルが腕を振って、音も熱もない閃光を放った。

 それは花火よりはるかに鮮やかな色をしていた。

 空のように澄んだブルー、熟れたカボチャのオレンジ、まばゆく光る緋色、暖かみのある白、きらきらした黄色……。


「私はどんな色の幻影も作れます。金属と熱と加工は紅竜の領域ですからな」

 みとれるリアナに気がついたように、エサルが小声で言った。「だが、どうやるのかはまったくわからない。そこが人間たちと違う」

 警戒のこもった声だった。

「エサル公」

 ファニーが見あげる領主の顔はけわしい。


「やつらの花火には色がないが、どんな色だろうが火薬には違いない。詠唱もなしで使えるマスケット銃。城塞を砕く可動式の大砲……これが危機と言わずして、なんと言う?」

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