3-6. 花火と半死者

 リアナは、自分の目と、竜の目のふたつで世界を見ていた。竜の目は河の暗い流れを見下ろし、そこに映る花火の影を興味深く観察している。


 はじける花火に、ガエネイス王のボートが明るく照らされ、ほんの一瞬だけなにかが見えた気がした。王と取りまきの貴族、近衛兵、とてもたくさんの侍従たち。

 そして、王のすぐ隣にいる人影に、二つの心臓が止まるかと思った。


 竜の意識のなかで感覚が研ぎ澄まされ、直接目の奥に飛びこんできたようなその姿は、フィルバートによく似ていた。

 まさかそんな、という思いと、でも、もしかしたら、という思いが入り混じる。強い緊張が身体を支配し、水でできた竜がその意志に応じるように激しく旋舞した。


〔陛下。そろそろ十分だろう〕

 エサルの声が直接届き、タイミングを伝えてくる。リアナははっと我に返ると、同調し、それに合わせて水で形作った竜を勢いよく散らした。エサルがその水に大量の光をまとわせ、乱反射する光のなかのガラス細工のように、激しくきらめかせた。

 緊張がほどかれると同時に、急にぐったりと疲れ、水がリアナを引きずりこもうとするのを感じた。疲労感には奇妙な高揚感も混じっていた。

 わき上がる歓声。手を打って賞賛をおくる者たちもいる。

 疲労でふらつく身体をエサルがそれとなく支えた。そして、ありがたいことに、舟を河岸に寄せるようにと命じた。


 竜の力を使っているときの自分は、普段の自分の意識とは違う、とリアナは気づいていた。良くも悪くも自制が取り払われ、力を使い、力と一体になりたいという欲望が強くなる。言語にできない深い部分で竜という原始の生き物とつながっているせいだろうか。

(もっと自分を保てるようにならないと)

 頭を振って、現実の世界に意識を戻そうと努めた。そして、はっと思い出す。フィル。


(フィル……確かめたい、どうしても)


「陛下!?」


 よろめきながら舟を下り、周囲の制止を振りきって走りだした。どうやって、は頭から抜け落ちている。河岸は諸侯たちの天幕と、随行や使用人、兵士たちが入り混じっていた。障害物としか思えないそれらを避け、ときにはぶつかって罵声を浴びながら、リアナは走った。

 はあ、はあ、と荒く息をつきながら……

 悲しいのか、腹立たしいのか、わからなかった。吐き気もおさまらず、単に生理的な不快感のせいだけかもしれない。片腹に鈍い痛みを感じて、走っているせいだと気がつく。


 どれくらい走ったのかもわからなかったが、しばらく走って、結局は立ち止まることになった。膝を手でつかんではぁはぁと荒く息をつく。目指しているはしけにはアエディクラ軍の兵士たちがずらりと整列していた。クリーム色に赤のラインが入った、目立つ軍服の列。そこにはとても近づけないだろう。野外で明かりが乏しいうえに、王も諸侯たちも、芥子粒の大きさにしか見えない。仮に彼がいたとしても、確認のしようなどなかった。


 ――そんなこと、走る前からわかっていてもよかったのに。


 いらだちと不安が頂点に達し、履いていた靴をつかんで地面に投げつけた。花火に目を奪われていた廷臣たちの一団が、ぎょっとして振り返った。


「駄々っ子みたいな姿だな」


 悪意あるひやかしの声に、リアナははっとした。すぐ近くに人の背ほどもある巨大な花瓶が置かれ、大量のラーレが活けられていた。城にあったものとは違い、夜闇に映えるユリのような白色だ。そこから聞こえるようだったが、もちろんそうではなく、花瓶の影になるような場所に男が立っている。


「飴を買ってもらえなかったのか? みっともない恰好だな。髪はぼさぼさ、化粧はどろどろ、靴は片方なし」

 そういって、冷やかすように片手を振った。自分やファニーとそう年は変わらないように見える。首や腰の細さが、まだ成長の途中であると思わせる体格。袖のないぴったりした黒の上衣から白くて細い二の腕がのぞいている。くしゃっとした短い金髪。下働きの少年にしては、ふてぶてしい出で立ちだ。


 リアナはじろじろと観察してから、「誰?」とつっけんどんに尋ねた。


 青年――少年? は笑みを浮かべたまま、何も言わずにラーレの花を一本取った。二人が見つめるなか、みるみるうちに凍っていく。まっすぐな茎に支えられた大きな花弁がはらりと落ち、かすかに乾いた音を立てる。その白い腕に、絡みつくように黒い紋が浮かび上がった。


 


「……あ……」

 驚きのあまり言葉にならない。青年の目は発光物質のように輝いている。

「俺は立って歩く死さ。あんたとおんなじ」

 リアナは力なく首を振った。「……ちがう……わたしは……」


 小柄な体格と声、あざけるような話し口調には聞き覚えがあった。ケイエで出会い、戦ったデーグルモールの兵士は、彼ではなかったか。みな一様に同じ嘴のついた仮面と防護服。目の前の男とは違いすぎる。でも、彼らは普段、日光を遮断する服を着ている。夜はその装備をつけていないとしても不思議はなかった。

 だが、その姿はあまりにも――竜族に似すぎている。死者を食らうまがまがしい半死者しにぞこないとは、とても思えない。

 

「あなたは、デーグルモールの兵士なの? もしそうなら……」

 捕まえなければ、という言葉は喉で呑みこむ。意識して背後を気にしないように努める。すぐ近くに、護衛の誰かがいても不思議ではない。

 うまく時間を稼げば、この男を捕まえられるかもしれない。


「もしそうなら、なんだと言うんだ? あんたの国じゃ罪人かもしれないが、ここは人間の国だぜ。何を根拠に捕まえる?」


「子どもたちをさらったわ! ケイエの街を燃やして!」

 時間を稼ぐつもりだったのに、我慢できず、リアナは激昂した。「誰の命令なの!? あなたたちの頭領はだれ!?」


 青年はふと冷笑を消した。「そういうあんたは誰なんだ?」

 

「ケイエで、あんたは〈霜の火〉を使った。あんたの腕に〈生命の紋〉が浮かびあがっていた。どちらも、にはできない所業だ」

「黙りなさい!」

「体温は正常か? 食事は? 周りに不審がられてるんじゃないか? 俺たちはヒトと違うからな、はは」


「黙れと言ったのよ――」


 リアナが叫ぼうとすると、突然、思ってもみなかったことが起きた。ピシッ、という固い音がいくつか続いたあと、河岸に並んだ花瓶がいっせいに割れだしたのだ。彼女に近い位置からいっせいに、まるで遠くの投石器から狙い打たれたかのように、真ん中から粉々に。だが、自分のなかに竜の力を感じなかった。


「傑作だな! 花瓶の中身を凍らせて、破裂させたのか。使」デーグルモールはおかしくてたまらないというふうに笑った。


?」

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