1-8. 夢には永遠の雨が降る
……雨が降っていた。
戦場にいつも雨が降るのはなんのせいなのだろうか。爆発のせいで雨雲ができるからというやつもいたが、本当かどうか彼にはわからない。ただ事実として、ぬかるみだらけの
フィルバート・スターバウはそのころ、連隊の指揮官だった。
古竜と
行軍はびしょ濡れで力つきかけようとしている。兵士はみな若者のはずなのに、老人のように身をかがめている。生きているのかも、死んでいるのかもわからず、ただ歩き続ける満身創痍の小隊は、まるで生きながら
稲妻が走り、一瞬、古竜の応援かと期待した。つかのまの雷が、錆びついた剣と盾、痩せた
フィルは号令を叫んだ。死んだような状態の兵士たちが動き出す。ふたたび
――迎撃がはじまった。先陣を切っていた兵士たちがさらに一歩前進しようとしたとき、爆発がかれらを襲った。轟音。迫撃砲と手榴弾によって、文字通り兵士たちの手足がちぎれ、首がもげて飛び散る。榴散弾は内蔵を吹き飛ばすから、悲鳴を上げる間もなかった。抱えていた剣が泥の中に落ち、やわらかな泥に死体が降り積もる。
それは、すべてフィルバートの部下たちだった。
いくつもの叫び声が響く。隊列がくずれる。兵士たちは武器をかまえて突進する。さらに多くの兵士が白熱する炎に呑みこまれて死んだ。
「散開しろ!」
大声で命令したとたん、隣の部下の首が弾け飛んだ。あとには血まみれの切断面だけが残る。口のなかに血が飛んできて、フィルバートは死を味わう。
……
けれど意識の片隅が、これを夢だと告げている。
恐怖に満ちた、浅い眠りだ。早く目を覚ましたい。あるいは、もう永遠に眠ってしまいたい。この際、二度と目を覚まさないというのでもいいんだ。
神聖なる古竜をかつて殺した。勲功をたてるため、自分の連隊をむざむざと死地に連れていった。いくつもの罪が、罰を下されないままになっている。
死。処刑。裏切りの罰としての。痛いだろうか?
目覚めが近いことを示すように、夢の中で彼は思考していた。あるいは、思考しているつもりになっていた。
どれほどの苦痛の果てに殺されようと、かまうものか。いずれは終わるのだ。終わって、そして死ぬ。安らかな眠り。死。ああ、ネズミを忘れちゃいけないな。満腹のネズミ。あいつらは兵士の目と肝臓が好物だった。俺の部下たちの。
――死は救い。そうか?
声は、扉を次々と開くように、過去の自分を呼び覚ましていく。
――いいえお母さま、僕には竜の声が聞こえないんです。
――竜祖と祖国を守るため……勝って、忠誠を証明しよう……竜王のほかに王はなし! われらは
――俺はやり遂げねばならない。誓いを果たさなければならない。
――ああ、誰か。
夢の混沌のなかで、フィルは助けを求め、うめいた。
♢♦♢
少し眠れたので、翌日の気分は晴れやかだった。ありがたいことに
「ヴィク! 止まりなさい、ヴィク!」
慌ててそのあとを追ってきた女性を見て、リアナは思わず目をぱちくりさせた。それはグウィナ卿だった。アップにした赤毛が乱れて、肩に垂れかかっている。ここのところ毎日彼女に会うが、そういえば城内に滞在しているのだったか?
「どうしたんですか、グウィナ卿? すごい騒ぎ」
「申し訳ありません、陛下」その王を露台から突き落としたときでさえ優美だった女性が、あわてて腰を折った。「息子が――」
だが、最後まで言うことはできなかった。「ぼくがとび跳ねるところ見たい?」とアマガエルがジャンプしはじめ、いきおい余ってリアナにぶつかってきたからだ。
「きゃあ!」
「ねぇ見て! ぼくがとび跳ねるところ見たいでしょ!?」
アマガエルのフードの下は、十歳にもならない年少の子どもの顔をしている。
「ヴィクトリオン、おやめなさい! 陛下の
というか、その陛下のスカートに全力でしがみついているのだが。リアナは笑った。
「小さなアマガエルくん、とっても上手にジャンプできたわよ」
ヴィクトリオンと呼ばれた子どもは王の称賛に礼を言うでもなく、さらにけたたましく笑いながらくるりと向きを変え、廊下を走っていった。そのあとを、女官たちが大慌てで駆けていく。ちょっとした台風みたいだ。
「竜神祭の仮装ですか?」
「ええ、そうですの」いくぶんぐったりした様子を見せて、グウィナがうなずく。「はじめてお目にかけますのに、あんな姿で、申し訳ありませんわ……お城に来たので興奮しすぎてしまったみたいで」
「いいえ。元気で、とってもかわいいです」
リアナの言葉はあながちお世辞でもなかった。竜と人間とが共存して暮らす〈隠れ里〉では、子だくさんな家が多かったからだ。もっとも、後で知ることになったが、それは人間の多産さのおかげであるらしい。竜族の一家では、子どもたちのにぎやかな笑い声というのは珍しく、ありがたいものだった。
「叔母上! 早く戻ってきてくれ!」
悲鳴のような男の声に、グウィナは我にかえった。「いけない」
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