第46話 灰の団と冒険者

 王都の目の前に広がる平原。そこには既に、有事の際にも直ぐに出動できる限られた王国騎士と、《灰の団》の姿があった。


「ミシェル! こいつら相手に正面から突っ込むな、かわして背後を狙え!」


 黒い皮のコートに身を包んだ隊長――ローレンは、同じ様式の服装で応戦中のミシェルへ指示を促す。


「分かりました!」


 ミシェルは手の平に灯していた火を収め、一度ローレンと同じ場所まで下がった。周囲では灰の団以外の王国騎士がハンティングウルフと応戦している。


 灰の団は、火属性に優れた魔導師のみで構成された特殊部隊だ。団員は少数であり、それぞれが火属性魔法のエキスパートである。

 遺灰の異名で知られたオリバー・ジョー在籍当時と比べると、その力は年々衰え、今では過去の遺物と揶揄されるほどに立場が弱い。だが当時と変わらず、今でも先陣は彼らが任されることが多く、それは牽制的な役割を担う立場であることもそうだが、彼らが白王騎士の次に実力的に信用されているからだ。


 正面より、雄たけびを上げながら迫るグリズリード。巨体に似合わず速度は凄まじい。地をえぐるその鋭い爪は、人の皮膚など簡単に切り裂いてしまうだろう。


「《火炎の刃ファイア・アギト》!」


 ミシェルは物怖じすることなく、冷静に、右手の剣へ火を纏わせた。そして動きを見切りグリズリードの突進を回避すると、すぐさま背後へ回り込み、後ろ足を狙った。


「ミシェル!」


 だが再度ローレンの声が聞こえた。ミシェルは振り下ろそうとしていた剣を止め、素早くその場から距離を取る。直後、今ミシェルの立っていた場所に別の一頭による鋭い爪が振り下ろされた。


「すみません、後ろへの警戒を怠りました」


 ミシェルは息を切らし、隣にいるローレンへそう言った。


「仕留める必要はない。我々は白王騎士が来るまでの時間稼ぎに過ぎないのだ」


「ですが……」


「ミシェル、体裁など捨て置け。いずれにしろグリズリードごときでは何も変わらん。白王騎士が到着次第、我々は退却する」


 ミシェルの表情は曇るばかりだった。


「単独行動を基本とするグリズリードが群れを成し、さらにお前の背後を狙ったあのグリズリードは、一瞬あちらのグリズリードを守ろうとしたようにも見えた。おそらく前回の精獣に続き、何者かの思惑が絡んでいるのだろう。となれば、もはや我らのような落ち目の出る幕ではない」


 そうこうしている間にも、団員たちへ襲い掛かるグリズリード。束になり応戦するが上手くはいかない。刃は通っているはずだが、弱らせたはずのグリズリードは勢いを失うことなく、応戦する団員の腰から上を食い千切った。

 目の前で上半身を失った仲間の死に動揺する団員たち。だがその背後からもう一頭、別のグリズリードが迫る。


「トム! 後ろだ!」


「え……」


 反応が遅れ振り返った直後、トムの首が飛んだ。

 次々と団員の数が減らされていく。本来であれば、グリズリードは彼らにとってそれほど強敵というわけではない。だが同時に複数を相手にしたことがない団員たちは、上手く立ち回る事ができなくなっていた。


「ミシェル! 高火力だ!」


「分かりました――」


 ローレンの言葉に従い、迫るモンスターへ手を向けるミシェル。


「《螺旋の炎スパイラル・フレア》!」


 一体のグリズリードの足元に赤い魔法陣が出現した。魔法陣はグリズリードの足取りに合わせ移動する。


「今だ!」


「はい!」


 ローレンの合図に応えるように、魔法陣から上空へ火が噴き上げた。グリズリードの姿が消えると目の前には螺旋状に捻じれる炎の柱が現れていた。


「隊長! ヌートケレーンが来ます!」


 その時、一人の団員が叫んだ。


「なんだと!?」


 団員の声に、ローレンは丘より駆け下る精獣の群れの姿を見た。遠目で見て六体はくだらないだろう。


「一体、なにが……」


 ローレンは言葉を失った。

 耳に突き刺さるような奇声。夥しい数の粒子を纏いながら、それはこちらに迫っている。視界の片隅では今しがた炎の柱に呑まれ、死んだはずのグリズリードが動いている。表面の毛皮を焦がす程度の傷を負ってはいるものの、倒せてはいなかった。


「くそ! まだ一匹すら仕留められていないのだぞ!……これでは白王騎士に顔向けできん」


 ローレンは苦しい表情を浮かべながら周囲の様子を窺った。グリズリードを足止めしている団員たち。肉を切られようとも弱る体を支え、踏ん張り、戦っている。だがそれも長くは持たないと、迫るヌートケレーンを遠めにローレンは悟った。


「ミシェル、全団員に退却を命じろ」


「隊長……」


「私が足止めをする」


「むっ、無茶です! 白王騎士を待ちましょう!」


「そのつもりだ。だが彼らが駆け付けた頃には我らは全滅している、今のままではな。団員をまとめ防壁の中まで走れ。援護する」


 ミシェルは震える唇を噛み、ローレンの姿を見た。団員を退却させればローレンは死ぬ。それは明白だったからだ。


「死なないでください……隊長」


「死なんさ。お前を置いて逝けるか……」


 ローレンは笑った。


「全団員へ告ぐ! 直ぐさま退却しろ! 戦闘を止め直ぐに退却するんだ!」


 団員たちは目の前のグリズリードへ注意を向けながら、その指示を疑った。だが一旦、敵から距離を取り声のした方向へ目向けると、そこには号令を出す副隊長ミシェルの姿があった。その悲痛な表情に団員たちは直ぐに理解し、グリズリードを前に後退を始める。

 だがその時だ。退却する団員たちとすれ違うように、平原に冒険者たちの群れが到着した。


「これは……」


 その数にミシェルは言葉を失った。


「ミシェル、これを機に我も退却する。あとは彼らに任せよう」


 ローレンは剣を鞘に納めた。


「し、しかし……」


「七人で挑み部下を二人失った。もう十分だ。遺体を回収し退却する」


「……分かりました」


 ミシェルはローレンの言葉通り、団員へ再度指示を出した。


「おい、ヨーギ! 本当にグリズリードが群れでいやがるぞ!」


一方、冒険者の一人は興奮したようにその光景を眺めていた。


「油断してんじゃねえ、あれを見ろ!」


 ヨーギの冷静な言葉に違和感を抱きつつ、周囲の冒険者たちは丘のある方角へ視線を向けた。


「ヌートケレーンの群れが来やがる。グリズリードなんかに手こずってる場合じゃねえ。さっさとこいつらを仕留めるぞ!」


 正門から溢れ出るように現れる冒険者の群れ。彼らは皆「金だ、金だ」と大声を出しながら、それぞれ剣や斧や槍を掲げ戦場へ向かった。その姿にヨーギも走り出す。


「どけどけどけ! 道を開けろ! 俺が一発かましてやる!」


 周囲の熱気にあてられたヨーギは右拳を構え、グリズリードに向けて迫る。


「みんな道を開けろ! ヨーギが何かやるぞ!」


 お祭り気分の彼らにとって、ヨーギの積極的な参戦は見世物でしかなく、誰もが「いけえ!」と煽るように声を上げていた。


「任せろ!――《剛撃ごうげき》!」


 ヨーギはスキルを発動し、グリズリードの横腹を強打した。グリズリードは衝撃でバランスを崩し横転する。


「流石はヨーギさんだ!」


 低ランクの者は高ランクの者へゴマをする。ヨーギの周りには、彼よりも冒険者ランクの低い者たちが集まっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……久々に使ってみたが、やっぱスキルなんか使うもんじゃねえなあ。体力が持たねえ」


「ヨーギさん! もうヌートケレーンが来てますぜ!」


「ヌートケレーンだあ?……こっちはスキルを使ったばかりでそれどころじゃねえってのに」


 今しがたヨーギがひっくり返したはずのグリズリードは、何事もなかったかのように起き上がっていた。一方で、既にヌートケレーンと応戦を始めている冒険者たちの姿が見える。五体のヌートケレーンは等間隔に分かれ、冒険者たちを投げ飛ばしていた。だがヨーギの呼吸は荒く、顔色も悪い。参戦できるような状態ではなかった。


「なん、だ……体が動か、ねえ」


 ヌートケレーンの奇声により聴覚を侵されたものは、三半規管に負荷がかかり、体が麻痺したような症状に襲われる。冒険者たちのほとんどはその場で痙攣したように足を止め、中には眩暈から吐き気を催す者もいた。ヨーギもその一人である。

 その時、騎士の一人が晒されるように宙へ跳ね上げられ、ヌートケレーンの頭上で血を吐く姿が見えた。それは黒いコートを纏った騎士だ。だがヌートケレーンの角が背中から腹へ貫通し、コートは破れ身動きができない。


「隊長!」


「ローレン隊長!」


 それは先ほど退却したはずの灰の団隊長――ローレン・アイザックであった。

 団員は仲間の遺体を肩に担ぎ、ローレンの名を呼んだ。どうやら遺体の回収をしていたところ、背後を狙われたようだ。ヨーギはその光景に諦めの表情を浮かべ絶句していた。


「ありゃ、ダメだな。ありゃ灰の団の連中だろ?」


「その隊長みたい、ですぜ」


 麻痺した体に苦しそうな表情の二人。


「隊長か……隊長格があの様なんだ、ここはもうダメだ。俺たちの手には負えねえ。ずらかるぞ」


「分かりや、した、えっ! ずらかるんですかい!?」


 ヨーギの突然の退却宣言に、周囲にいた冒険者は困惑した。


「何だヨーギ、もうギブアップか?」


 するとヨーギの背後からそう語り掛ける声が聞こえた。


「……セドリック」


「ヨーギ、これを飲め。カトリーヌ薬だ。そのうち痺れも取れる」


「金は払わねえぞ」


「ふっ、返せとは言わないさ」


 セドリックとは、以前ギルドで政宗に絡み、トアに電撃で返り討ちにされた男である。赤色の絨毯をつなぎ合わせたようなパンツとジャケット。そしてヒラヒラと風になびく青色のマント。どこかの王子様をイメージしたようなその派手な服装は、戦場においてもギルドにおいても異質さを放ち、周囲の者は苦笑いする。

 セドリックは王都のギルド内では最も高レベルの冒険者として知られているが、トアの電撃を受け気絶して以来、その株は地に落ちた。


「なんだセドリック、お前は残るってのか」


 徐々に薬が効いてきたのか、舌だけは回る様子のヨーギ。


「止めとけ、ありゃ俺たちの手に負える相手じぇねえ。下手すりゃ死ぬぞ。俺は死ぬと分かってる冒険はしねぇ主義だ。お前も逃げるなら今のうちだぜ」


「ヨーギ、ここ最近のお前は評判が悪い。なんでもヒーラーの新人に絡んでるそうじゃないか」


「俺のこと言えた義理かよ、お前だってそうだろ。この間のあれ、見てたぞ。あのガキに返り討ちにあってたなあ」


「あれは彼にやられたわけじゃない。その隣にいた女だ」


「なら俺もそうだ。俺はまだあのガキとは一戦も交えてねえ」


「二度目は幼女だっただろ」


「ただの子供じゃねえ、獣人だ。あいつらは肉体的に俺ら人間よりも勝る。子供でも仕方ねえ」


「本当にそう思ってるのか」


「思ってるわけねえだろ。ただ言い訳はできるって言ってんだ」


「だが周囲の者は俺たちの言い訳など聞いてくれない。酒のつまみになる方へ話を広げるだけだ」


「なら俺は酒で流すだけだ。見たくもねえお前の面もな」


「ヨーギ、ここで取り返す気はないか」


「は? 酒代に消えた金のことか」


「評判をだよ。取り戻して元の俺たちに戻ろう。出会った当時は俺もお前も、同じ夢を追いかける冒険者だった。それが今では下僕なんか連れて、まるで山賊みたいだぞ。恥ずかしくないのか」


「だからお前に言えたセリフかよ、まずはその珍妙な姿をどうにかしろ」


 背を向け、その場から立ち去ろうとするヨーギ。


「ヨーギ!」


「何が取り戻すだ。戦場じゃ墓穴を掘る以外にやれることなんてねえだろ」


「……バカ野郎が」立ち去るヨーギの背にそう呟いた。


 ヨーギが振り返ることはなかった。


「お前ら! ここは俺たちで何とかするぞ! 冒険者の意地を見せてやろうじゃないか!」


「セドリックさん、あいつらとはどう戦えば……」


「ヌートケレーンに魔法は効かない。物理攻撃力の高い者で周りを固めろ。それ以外は援護に回れ。それから皆にこれを飲ませろ」


 セドリックはパンパンに膨れ上がった布袋を冒険者へ渡した。


「カトリーヌ薬だ。効き目には個人差があるが、飲まないよりはマシだろう」


「ありがとうございます!」


 冒険者は受け取ると周りへ薬を配った。


 セドリックには立ち回りにおいての知識があるようだ。周囲へ指示を仰ぐと、冒険者たちは攻略法があるのだと安心し、やる気を見せた。だがそう上手くはいかない。

 横たわるローレンの手を握るミシェル。口から血を流すその姿に涙を浮かべていた。


「お父さん!」


「逃、げろ……」


 特化した火属性魔法は効かず、灰の団は手も足も出なかった。その様子に魔術は効果がないと知り、既に剣や槍などで応戦していた冒険者たち。だがヌートケレーンの体は刃を通さなかった。弾力のある筋肉に覆われた表皮は、彼らの刃を容易く弾いたのだ。

 徐々に冒険者の表情が衰え始めた。何とか一体を仕留めたところで、グリズリードの数は複数。加えて迫るヌートケレーンだ。埒が明かず、既に見切りをつけた冒険者たちは避難を始めていた。


「敵へ背を向けるな! まずはグリズリードだ!」


「セドリックさん、俺たちもさっさと逃げましょう! ここはもうダメだ!」


「貴様、王都を捨てるつもりか! 仮にも世話になっている俺たちの故郷だろ!」


「王都より命が大事だ! あんたの根性論は聞き飽きたよ!」


 統率力が失われ始め、冒険者の瞳から戦意が消えていく。だがそこに光明が現れた。


「お前ら、このレイド様が来たからにはもう安心だ! あの獣は俺がぶっ殺してやる!」


 白王騎士が到着した。

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