第45話 数時間前――。

 政宗が王都へ帰国するより数時間前――。


 王都ラズハウセンの正門より防壁の外へ出ると、それより先にはしばらく、平原が続いていた。生い茂る草木も数を減らし、徐々に平らなだけの大地となる。

 そこに丘が見えてきた。ラズハウセンの防壁と王城のみを眺めることのできる、小高い丘だ。気持ちの良い青空が広がる今朝、そこに三人の姿はあった。


「とうとうこの日がやってきました。この一歩は我々にとっては大きな一歩ですが、帝国にとってはさらに大きな一歩となるでしょう」


 ギドは王都を感慨深そうに眺めながら不敵な笑みを浮かべていた。ユンは醜悪だとでも言わんばかりに、そんなギドへ嫌悪感を示していた。


「マダム・フラン、頼んでおいた物は用意して頂けましたか」


「もちろんですわ、ギド様。これを――」


 フランは懐から小瓶を取り出すとギドへ渡した。


「ヌートケレーンが十数体ほど。私にはそれが限界でしたわ」


「十分です。むしろ私が思っていたよりも多くて助かります。ありがとうございました」


「そう言って頂けてわたくし、感激ですわ」


「まずはAランク以下を昇華します。前菜として彼らに提供しましょう。ところで、ユンに調べさせていたのですが、どうやら前回の頭のおかしな冒険者は王都を離れてしまったようなのです」


「それは好機ですわね」


「ええ。天候にも恵まれお日柄も良く、まさに絶好の襲撃日和ですよ。天が味方していますねえ」


 ギドはまずフランから事前に受け取っていた大きな瓶を開けた。中はドス黒い液体だ。地面に垂らすと液状だったものが一つ二つ三つと、次々に分裂していく。分かれた物から蠢き、形を変え肥大していくと、それらは徐々にモンスターへと姿を変えた。


「実に見事な魔法ですねえ」


 現れたのは灰色の体毛に覆われた大きな熊――グリズリード。そして黒みがかった灰色の狼――ハンティングウルフだ。だが動きがなく、それぞれの瞳はまるで生きていないかのように色がない。


「問題は白王騎士です。まずはハンティングウルフとグリズリードで様子を見ましょう。彼らがアホでなければ直ぐに出てくるはずです。あとはユン――」


「なんだ」


「例の冒険者が現れないか警戒しておいてください。念のためです」ギドは睨みをきかせ、念をおした。「ではマダム・フラン。始めましょうか」


 ギドの言葉に待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべ、フランは、静止したそれらモンスターへ手をかざす。


「では始めますわ。死霊魔法――《屍者の降霊ネクロマンス》!」


 微動だにしていなかったはずのモンスターの腕や足、首が微かに徐々に動き始める。それまで生きていなかったようなその瞳も、ギョロギョロと周囲を確認にし始めた。


「素晴らしい! フラン、やはりあなたの魔法はすばらしいですよ!」


 モンスターは痙攣を繰り返し、だがそれも徐々に収まり安定していくと、両腕を広げ平原に響き渡るほどの鳴き声を上げた。


「儚いですねえ、何とも儚いおかしな命!」


「ではギド様、続きをお願いします」


 フランの深々としたお辞儀を他所に、歯茎が見えるほどの悍ましい笑みを受かべ、ギドはモンスターへ右手をかざした。


「調教魔法――《傀儡操権マリオネット》!」


 指先からクモの糸のようなものが現れた。糸はそれぞれモンスターへと付着すると、辺りへ響いていた鳴き声がピタリと止む。


「では、殺してきなさい」


 ギドの指示通りに、モンスターは丘を下り、王都へ向けて走りだした。







 ――正門前。


 その上部に完備された防壁の監視塔。衛兵ジョンは槍を片手にあくびを漏らしながら、いつもと変わらない平原を眺めていた。


「おいジョン、そろそろ交代だ」


「ん、もうそんな時間か」


 大きく背伸びし、もう一度あくびを漏らす。ジョンは徹夜明けだった。


「聞いたぞ、ジョン。子供が生まれるんだってなあ」


「ま、まあな……」


「水臭せえじゃねえか。教えてくれても良かっただろ」


「いや、まさか自分が父親になるなんて思わなくてなあ。そしたらお前らに話すのが恥ずかしくなっちまってよ。悪かったな」


 ジョンは恥ずかしさを誤魔化すように頭をかきながら、梯子を下りトニーと交代した。


「ジョン……」


 それはトニーが梯子を上って直ぐのことだった。急にトニーが緊迫した声で名を呼んだのだ。


「ん、どうした。またケレーンでも現れたか?」


「ジョン! 警鐘を鳴らせ!」突然、大きな声を上げるトニー。


「え……」


「早く!」


 トニーの表情に、ジョンは「分かった」と直ぐに警鐘を鳴らした。

 王都に非常事態を知らせる鐘の音が響くと、町の住民たちは困惑した様子で空を見上げた。


「白王騎士へ知らせろ、グリズリードの群れが現れたと……ハンティングウルフまでいやがる」


「グリズリードだと!? だがあれは群れで行動するようなモンスターじゃないはずだ」


 ジョンは最初、トニーの言葉を疑った。


「だからだ。だからラインハルト様は警戒を強めるようにと仰られていたんだ」


 ヌートケレーンの一件以降、各王国騎士には指示が伝えられていた。それは主に異常への警戒と監視の強化だ。そして対処できない問題が発生した場合、速やかに警鈴を鳴らし、白王騎士へ要請を出すようにと、ラインハルト直々に指示が伝えられていた。







 ――白王騎士団本部。

 書斎で一人、書類に目を通すラインハルトの姿があった。


「ラインハルト様!」


 そこへ緊迫した表情の伝令が現れる。


「平原にグリズリードの群れが現れました!」


「グリズリード!?」ラインハルトの表情が一変した。


「ハンティングウルフの姿も確認されており、目視で少なくとも10体以上はいると思われます」


「……直ぐに灰の団を向かわせろ。王国騎士もだ。それからギルドへ要請を出しておけ、大至急だ」


「はい!」


 伝令に続き部屋を後にしたラインハルトは、直ぐに全白王騎士へ招集をかけた。







 ――エカルラート邸。


 庭園にいつもと変わらないのどかな景色が広がっている一方で、屋敷のある部屋では物悲しい雰囲気が流れていた。

 政宗のベッドに座りながら、ネムは悲しそうに足をぶらぶらとさせていた。


「ネム、ここにいたの」


「……ご主人様が帰らないのです」


「そのうち帰ってくるわよ」


 トアは見守るような笑みを浮かべた。


「二人とも、ここにいたのですか」そこへシエラが現れる。


 ネムの様子を見るなり察したのか、トアと同じような表情だ。


「もうお昼なのです……」ネムは俯いたまま答えた。


「ネム、下で一緒に、昼食を食べませんか。昨日のワルスタインが少しですが残っています」


「ネムはご主人様と食べたいのです……」


「ネム……」


 シエラとトアはお互いにどうすればいいのかと目を見合わせた。

 その時、不意にシエラの表情が変わる。二人から顔を背けると、左手の指輪に「分かりました」と答えた。


「シエラ、どうしたの」


「すみません、アネットから連絡がありました。白王騎士は集まるようにと……どうやら何かあったようです」


「何かって?」


「分かりませんが、少し出てきます。ネムをお願いします」


「分かったわ。いってらっしゃい」


 俯くネムを横目に、シエラは小走りで部屋を後にした。


「シエラもどこかへ行ってしまったのです」


「拗ねたってしょうがないでしょ。下でご飯を食べながら、二人の帰りを待ちましょ。そのうち帰ってくるわよ」


「いつ帰ってくるのですか」


「それは……」


「帰ってくると思うのですか」


「……だって、マサムネがそう言ったから」


「……」


「ネム。ほら、いきましょう」


 そう言ってトアはネムへ手を差し出した。だが表情が変わることはなく、その手を仕方なさそうに握ったネムは、ベッドをピョンと降りると、トアに手を引かれ部屋を後にした。







 ――冒険者ギルド。

 突然発表された緊急の依頼に、ギルドの窓口は冒険者で溢れ返っていた。


「冒険者の皆さん、今回は緊急依頼となります! 依頼内容は、現在、王都近郊の平原で姿が確認されておりますハンティングウルフ、及びグリズリードの群れの討伐です!」


「グリズリードの群れだと!? おいおい、奴らが群れで行動するわけねえだろ! てめえ、俺たち冒険者を馬鹿にしてんのか!」


 集まった冒険者から「そうだ、そうだ」とやじが飛ぶ。


「……先日、ラズハウセン近郊の森にヌートケレーンが出現しました!」


「ヌートケレーンだと!?」


「そんな話は初耳だぞ!」


「この一件には箝口令が敷かれておりましたが、現在は解除されております」


 受付嬢の話の内容に困惑する冒険者たちはやじを止め、静かになるも「どういうことだ」と隣同士で話し始める。


「国民にあらぬ誤解と不安を与えぬよう、精獣の出現理由が分かるまでは口外しないようにとのことでした。ですが現在、グリズリードの群れが王都へ向けて進行中です」


 気づくと冒険者たちは大人しくなり、受付嬢の話に耳を傾けていた。


「これはギルドを通した国からの依頼になりますが、報酬はいつもの倍額が支払われるということです。また依頼中に起きた事故やケガの手当てについても、国が無償で請け負うとのことです」


「待て……今、倍額っていったか?」


「はい。報酬は国より支払われます」


 それを聞いた途端、冒険者たちの目が光った。そして突如、大歓声が巻き起こる。


「受付での依頼申請は必要ありません! 可能な方はただちに現場へ向かってください!」


 受付嬢の張りのある声も、もはや彼らには届かない。だが一人の者が「手続きはいらねえんだとよ!」と声を上げると、ギルドの扉は開かれた。


「みんな! 平原へいくぞ!」


 掛け声に従い一気にギルドの外へ冒険者の群れが溢れ出した。ギルドとその周辺を地響きのような揺れが襲い、ほこりが舞う。


「ヨーギ、俺たちも行こうぜ。こりゃあ酒で使い果たした金を取り戻すチャンスだ。今夜は宴だぜ」


「いつになくやる気じゃねえか。しゃあねえなあ、俺もそろそろ金がなくなってきたところだ。丁度いい、ヨーギ様の力を見せてやる」


 周囲にそそのかされヨーギも集団に続く。そしてギルドを飛びだしたところで見知りと出会った。


「あら、ヨーギじゃないかい。あんた聞いたよ、また悪さしてるんだってねえ」


「なんだ、シャロンの婆さんか」


「誰が婆さんだい、あたしゃまだ50前だよ。それより、これは何の騒ぎだい。みんな血相変えて門の方へ走って行っちまったけど」


 ヨーギはその言葉ににやけ面を浮かべた。


「奴ら、先を越されまいと必死だなあ。平原にグリズリードの群れが出たらしい」


「群れだって!? そりゃまたおかしな話だねえ。あれは確か単体で行動するモンスターじゃなかったかい」


「ああ、だからだ。今回の依頼は国からのものらしくてな、倍の報酬が出るそうだ」


「それでみんなして急いでたのかい、納得だよ。あんたも行くのかい」


「ああ、酒の金には丁度いい依頼だ」


「……なんだか嫌な話だねえ。あたしゃ風前の灯を見てるみたいだよ」


「ふっ、縁起でもねえこと言ってじゃねえよ。先にくたばるなら、そりゃ婆さんの方だ。だがまあ、確かにおかしな話ではあるな。なんでも最近、近郊の森にヌートケレーンが出たらしい。婆さん、知ってたか」


「初耳だね」


「だよな。そんで次はグリズリードが群れで現れた。さらに国が金を出すと言ってる」


「……なるほど、なんだかおかしな話だねえ」


「まあ、別に俺の知ったこっちゃねえがな」


 ヨーギはシャロンへ背を向けると、正門へ向けて歩き出した。


「俺たちは喜んで振り回されるだけだ」


「そうかい。やられんじゃないよ。それから体には気をつけな、酒は飲み過ぎんじゃないよ」


「大きなお世話だ」


 ヨーギは背を向けたまま手を振り、冒険者の群れへ続いた。

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