第336話 三つの起源

 人は暗いものを想像することにかけては酷く天才的じゃ。恐れれば恐れるほど闇は深まり光は閉じる。

 閉ざすほど想像は驚異的なまでに肥大する。


 ものづくりの起源は妄想じゃった。人は抱いた幻想の完成形を脳裏にイメージする。逆算してそこに行きつくまでの経路を辿る。

 創造の前に想像があり、妄想があり……。


 儂にはビクトリアという姉がおった。

 儂らは村の洞窟で魔力の源泉を見つけた。それは辺りに光の粒子を放っておった。

 儂が何もない場所から火を用いて闇を照らすまでに、そう時間はかからなかった。それが最初の魔法じゃった。


 ある日、村へ立ち寄った商人が儂らと同じく源泉を見つけた。

 彼の名はデトルライトと言った。儂らが魔術を発明すると、それは彼により一瞬にして世界に広まった。儂らの名と共に。

 

 魔力はすでに、儂らが源泉を見つける以前から世界へ漏れ出ておった。

 そして人々は魔力の解明と魔術の創造で躍起になった。

 多くの魔術師が生まれ、魔法に光を見ては夢破れ、死んでいく。じゃが魔術が生まれた初期を生きた彼らの多くは、生き足りないと死の間際でさえ魔法に夢を見続けた。黄金期じゃった。

 当時、バノームはただ一つの国により統一されていた。争いのない唯一の世界じゃった。魔法が魔法らしくあった夢の時代。じゃが人はいずれ夢に慣れる。人の欲は底知れぬ。死ぬほど求めても解明し手に入れるころには、また次の欲が生まれる。

 それは儂らとて同じじゃった。そのせいで村が襲われた。家族が殺された。儂らの生み出した魔術によって……。


 儂らは共に谷底へ身を投げた。

 じゃが死にきれんかった。その身に深淵が宿っているとも知らず、生き残ったことには何か意味があると大陸を旅するようになった。


 ある日、海を渡ってきたという奇妙な生き物と出会った。それは人の姿をしているが、頭に二つの白い耳を持っていた。白く透き通った髪と白い肌も。

 名をネイツァート・カタルリアと言って、現在バノームにおいて獣人と呼ばれておる種族の祖。のちの獣王。

 彼女に出会った当時、儂と姉はある問題をかかえていた。それは歳を重ねても姿が子供のまま、全く成長せぬことじゃった。


「アダムスの年齢は?」


 ネイツャートは興味深そうに訊ねた。


「僕は17歳で、ビクトリアは20歳。僕は6歳になる前くらいからずっとこの姿なんだ、ビクトリアの場合は9歳か、10歳くらいだったかなあ」


 人の行き交う、賑やかな町のレストランじゃった。ランチがてら、儂らはテラス席を囲んでいた。

 今もあの通りの流れるような雑踏を覚えておる。喉に絶叫を抱えたような、気の詰まった感覚を覚えているからじゃろう。当時、儂は悲観的な表情すら姉に譲っていた。自分は絶望も発狂もすべきでないと思った。


「深淵の影響ね」


 儂らは「深淵?」とその言葉の意味するところを訊ねた。


「私のいた大陸にもいたのよ。ある時期を境に肉体がいなくなってしまった人が。ものすごく強かったわ、魔術にも長けてた。その人が言うには、深淵が宿った人は魔法を使い過ぎるとけなくなるんだって、まるで時間が止まったみたいに」


「それは困るわ!」


 ビクトリアが深刻そうな顔で席を立った。

 ネイツャートの話はビクトリアにとって苦痛でしかなかった。儂とて同じじゃった。


 店を出た姉は町を離れ、自暴自棄に陥ったように何もない大地をとぼとぼと歩いた。その後ろを儂とネイツャートは追いかけた。


「ビクトリア、深淵を除去できるか調べよう。ネイツャートも手伝ってくれるって言ってるし」


「無理よ!」


 ビクトリアは言い放った。


「アダムス、あなただって辛いはずよ、そうでしょ? これは除去なんかできないって分かってるはず」


「どうしてだい、どうしてそう思うんだい?」


「私たちはこれが何か理解してる。谷底に飛び降りたあとから、説明できない何かが私たちの中に生まれて、そのおかげで周囲の魔術師たちより卓越していることも、全部知ってる!」


 じゃが当時の儂には感じ得なかった。姉以上に深淵を理解していなかったのじゃろう。その言葉の意味が分からなかった。


「深淵は理解者よ!」


 ビクトリアの言葉の表現に病的なものを感じた。

 その時の儂は嫌悪感を示さずにはいられなかった。だが同情的であるべきじゃった――そう思った時には遅かった。


「あなたまでそんな目を……」


 姉は儂に背中を向けた。儂を見て怯えたフリをして、苛立ちと嫌悪の目を向けた。背中から黒い翼を広げると、行先も告げずにどこかへ羽ばたいていった。


 儂には止めることができなかった。目ですべてを語ってしまった後では、姉の前に立つ勇気がなかった。誰よりも姉を理解していた、姉も儂を……。


 姉はその痛みを自分だけのものとしたのじゃ。他者の慰めや同情は偽善であると切り捨てた。自分の考えや感覚こそ本物であり、他者のそれは全くの別のものとした。

 姉をよく知る者は幼少のままの姿でいる姉を気味悪がり、良くていつのまにか理解したと言って善人ぶる。他も似たようなものじゃった。それらから自分を守るには拒絶しかなかったのじゃろうと思う。

 全く別の、自分とは無関係なものへの理解に満足して、奴らは笑っている。


 ――しばらくして王都が滅びた。


 首謀者はビクトリアであると都の生き残りから話が伝わり、デトルライトが教えてくれた。姉の傷と王都に直接的な繋がりはない。それはただの衝動的なものか、そうでないとすれば儂にはもう分からない。


「アダムス、ビクトリアを止めなくては」


「あれはもうビクトリアではない。姉でもない。僕の知っているビクトリアはもう、谷底に落ちていたんだ」


 王都から流れてきた難民のキャンプ場での出来事だった。

 仮設的に作られた酒場の席に座りながら、儂らは姉のことでもめた。ネイツャートは儂に任せて見守っていた。


「君たちの故郷が襲われたという話を聞いた。彼女は、君にとって唯一の肉親じゃないのか?」


「人の短い一生の中で、出会う人々は奇跡そのものだ。出会いは人生を変える。だけどデトルライト、僕のこの姿を見てみなよ。一体どこに人としての一生があるって言うんだい、僕はもう23だ」


「ビクトリアは26歳か、君の三つ年上だったよね」


「いつまで生きても6歳のままだ。これが人間と言えるかい、生命と言えるかい? 肉体はいずれ滅びてくれるのか……」


「関係ない、君のお姉さんであることとはね」


「姉はそんな、人の常識を恨んだんだ。君には分からないよ。いつまでも子供のままだと世間から後ろ指を差されるんだ。ネイツャート、君の生まれた地では姉のような者を深淵の愚者と呼ぶんだったよね?」


「ええ。深淵に呑みこまれると自我を失い、その者は無差別な攻撃を始める」


「愚者を救うにはどうすればいい?」


「殺すしかないわ。肉体を奪うしか……」


「待ってくれ、それではビクトリアが!」


 デトルライトの声は悲痛を帯びていた。本当に、姉を救いたいのだと思った。


「大丈夫よ、愚者は深淵に呑まれる以前に染まっていて、彼女の意識が死ぬことはないから」


「どこまで化け物なんだ、僕たちは……」


 姉の叫びが分かるからこそ助けられなかった。

 言葉は意味を持たない。人が本当の意味で理解し合うことはない。それは妄想の類じゃ。ある種の理想の中で、理解できると人々は思い込む。定型文を並べて納得する。

 儂らがどこか心の奥底で求め続ける深い理解は、多くの他者にとって鼻で笑う程度のくだらないものでしかない。儂がそう理解するように姉も理解している。

 そんな、人の集まりがくだらなく見えてしまったのだろう、姉は。だから王都を襲った。不愉快だったから。

 儂は姉を肯定した……。


 デトルライトは儂の返事を待った。

 じゃが儂が答える前に、突然地面が揺れた。

 難民たちは悲鳴を上げ、キャンプに混乱が起きた。女性と子供の悲鳴、交差する号令や命令の声。

 ――空に、何か大きな光が通過した。


「なんだ、あれは……」


 デトルライトは言葉を失い、儂とネイツャートは目で追った。

 光は空を進み、徐々に落下し始めた。


「あの方向は……」


「大森林の方だ、ネイツャート行こう」


「待て、二人とも!」


 デトルライトの話をいい加減に終わらせ、儂らは旅を続けた。


 


 隕石が落ちたのは大森林と呼ばれる大木の密集地じゃった。儂らは落下した大体の位置を興味本位で目指し走った。

 その時の儂らは純粋さに溢れておった。姉を忘れ、ただ冒険を楽しみ木々の間を駆け抜けた。


「私が一番よ!」


 目的地についたネイツャートは戸惑い、何かを見つめていた。


 光が落ちたと思われる場所は湖じゃった。そこに小さな陸があり、誰か人の姿があった。


「誰かいるの?」


 それは声に気付いたように振り返った。

 それは湖の上をゆっくりと歩き、近づいてきた。


「君は……」


 彼は儂らと程よい距離を保ち、水面で止まった。

 頭に牛の角。背中にコウモリのような翼。そして尻の付け根からドラゴンのような尻尾が生えていった。

 一体こいつは何者なのかと、今まで見たことのない生き物に儂らは戸惑った。


「おいそこの女、俺と交尾せえ!」


 それがのちに大森林を統べる初代魔王――ロゼフの最初の言葉じゃった。


 ネイツャートは当初、彼を酷く毛嫌いした。

 出会った頃のロゼフを一言で表わすと生まれたばかりの子供。

 彼は大陸の言語に乏しく、ときどき話が通じないことがあった。が、それも旅を続けていく中で改善されていった。尋常ではない早さじゃった。学習能力が人間や獣人の比ではなかった。

 しかし、いつまで経ってもなおらないのが彼の記憶喪失。ロゼフは自分が何者で、なぜあの湖にいたのか、それ以前のことを覚えていなかった。


 ロゼフは時々、空を見上げた。

 口をぽかーんと空け、まるで中身が抜けたようにアホな顔をしていることがあった。彼はどこか頭のねじが飛んでいた。

 じゃが、そこがロゼフの良いところでもあった。器がでかく小さなことは気にしない、味に文句をつけない。料理が下手なネイツャートの手料理をいつも黙って食べる。不死身の儂でさえ腹をくだすほどのマズい飯なのにじゃ。

 ただそれは大森林でのこと。森を一歩出ると、彼の気性は荒っぽくなった。なぜ大地が枯れているのかと怒りに震えた。

 しかし大森林に戻れば――。


「それにしても、あの辺りは緑が全くないのだな。大森林とは大違いだ、ここはいい」


 ロゼフは自然が好きじゃった。特に緑豊かな地が。


 姉のこについては話したくなかった。じゃが流石のロゼフも、いつしかその違和感に気付くようになった。


「お前たちは荒れた土地について俺が何か話すといつも無視するが、あれはどういう意味があるのだ? 二人は言葉以外にも何か情報伝達手段を持ち合わせているのか、たとえばテレパシーとか。もしそうならぜひ教えてほしいのだが」


 無垢なロゼフの言及に嘘がつけず、いつじゃったか儂は正直に話した。この大陸のほとんどが滅びている理由。現在も滅びに向かっている理由。そしてビクトリアのことを。


「難儀な話だなー」


 ロゼフは口をぽかーんと開けて空を見上げた。その後の無言の長さは過去最高じゃった。

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