第337話 アダムスの大罪
姉との再会は望んでいなかった。次に会う時は殺す時だと分かっていたからじゃ。
ロゼフの後押しで、儂は久しぶりに姉の前に立った。ビクトリアはすでに、かつての形をしていなかった。
何万年も生きているとされる古のドラゴン――ドストエフスキーを操り、彼の背に乗っていた。儂にはドストエフスキーの解放を願う心が分かった。
それはそれは禍々しい姿じゃった。
全身は黒々しく、得体のしれない何かが常に揺らいでいた。
当時、深淵に未熟な儂はそれについての知識がなかったが、分かった気がした。それは姉の存在そのものであると。
存在は肥大し姉の内部から外に向かって流れる。儂らがそれを見て怖気づくように、常に何かへ影響を与えていたのじゃ。
対峙した瞬間から姉は理解していた。儂が殺しにきたのだということを。
当たり前じゃ。深淵の者には生命の感情が感覚的にも分かり、目にも見える。己にとって都合の悪いものの肉体からは、汚らわしい砂鉄のような影が浮かび上がる。儂らにとって敵と味方を見極めるのは簡単じゃ。
しかし姉はいわゆる深淵に呑まれておった。敵と味方の区別がつかぬ状態じゃった。
その時姉には儂らがどう見えていたのか、今となっては分からぬ。
儂らは確認もせず、会って間もなく殺したのじゃ。三人でかかると、姉は一溜りもなく散った。
驚いたのは肉体が死んですぐ、姉の幻影が傍に現れたことじゃった。それはかつての優しかった姉と同じ姿をしておった。
「……ビクトリア?」
「アダムス……どうしたの?」
会話は少なかった。姉はすっかり正気に戻っていた。
現れたのは姉だけではない。観察者じゃ。
観察者は死と生を超越し、姉のような存在だけのもの――霊すらも超越した何かじゃ。
それ以外の素性は一切分からず、具体的に何者なのかは分からぬ。
姉は観察者による彼らの園――プレアデスへと連れていかれた。
私はその時、その白い巨人に訊ねた。
「なぜ姉を連れていくのですか、もう姉は何もしません」
「存在そのものが罪なのだ。ここに在っていいのは生命のみ、肉体を持たぬものがいては安定が崩れ無を引き寄せる」
観察者は儂にも忠告した。
「お前もそうだな? 深淵に染まれど不老ではない、肉体は朽ちる。次はお前だ」
光の柱の収束――。
ビクトリアの姿が消え、観察者が消えた。
そこには儂ら三人だけが残された。
※
大商人デトルライトが村を築き、村が町になり町の規模が広がり……。
バノーム大陸が復興を始める中、儂らは観察者と深淵について調べていた。
「連れ戻すって、可能なの?」
ネイツャートの問いに儂は「不可能とは思わない」何の 確信も手がかりもなく言った。
しかし意外なことに、ある日、ロゼフが鍵となった。
それは森でモンスターと軽く対峙していた時じゃった。
「――召喚!」
ロゼフがそう唱え、目の前に巨大な岩のモンスターを出現させたのじゃ。
それは儂らの知らぬ魔法じゃった。
ロゼフに確認すると、
「召喚魔法だ、知らないのか?」
ロゼフは時間と空間を操る類の魔法を使えた。それは先天的なものなのか、本人も何故使えるのか分からない。当たり前のことだと思っていたと言った。
彼の時空間操作の才能を利用し、儂らは現在でいう転移魔法や召喚魔法など、その原型を作った。
そしてある日、儂は思い至ったのじゃ。
「ビクトリアの遺体を復元する?」
「ああ」
「でもそれって……」ネイツャートは気付いていた。「ビクトリアはプレアデスにいるのよ。遺体をなおしたところで、そこに彼女の意識はあるの?」
「宿らないだろうね」
「それじゃあ……」
「ああ。だから別の方法を考えた」
儂は異空間収納から何の変哲もない姉の肉体を現した。
「これはビクトリアの……もう修復はしてたのね」
「ネイツャート、これは修復したんじゃないんだ。これは
「オブジェクト?」
傍らでロゼフは「お前たち、何やらムズイ話をしているなあ」と鼻くそをほじくっている。指先ではじいて適当に飛ばした。
そんなことはいいとして――。
儂は彼女に話した。人は肉体と存在からなるということを。死した肉体から存在が抜けると、死体に生命情報が残るということを。
「それはまるで卵だ。黄色く光った卵で、存在の残りカスみたいな黒い糸に覆われている。僕はそれをコクーンと呼んでる」
コクーンは死体と密接に絡みついている。というより、コクーンも死体の一部。何故なら生命情報は肉体に帰属するものだからじゃ。
その状態のものを引き裂くため、儂は繋がりを絶つ魔法。帰属絶縁……
「オブジェクトはそのコクーンを元に生成した真っ新な肉体だ。修復したものでも、複製したものでもない、ほぼオリジナルさ」
「ほぼ?」
「オブジェクトの生成は一度しかできないんだ。コクーンはオブジェクトには宿らないから」
「そういうこと……。それで、これからどうするの?」
「あとは簡単さ。ロゼフの召喚魔法を元に考えた僕の召喚魔法……帰化引用で、ビクトリアの存在をプレアデスから呼び寄せる。このオブジェクトにね」
召喚を行い、儂は姉の存在をオブジェクトに呼び寄せた。
成功じゃった。結果は一ミリも違うことなく成功した。
しかし余計なものがついてきた――観察者じゃ。
広大な地に光の筋が立つと、巨大な白もまた立っていた。
「……人間」
「……」
「その意味が分かっているのか?」
長い沈黙を経て、観察者は儂に、姉を生き返らせたその行為の意味について問いかけた。
「意味?」
「生や死という次元では理解しえないだろう、だがこれはお前たち人間にとっても大いに関係のあることなのだ。その者はプレアデスで教育された、もうこの世界の土を踏むことは許されない」
「何故ですか、姉は立派に立っているではないですか?」
「無を誘発する」
「……無?」
「生と死が決して交わらないように、在るものと無いものもまた交わることはない」
「……」
「馴染みのある言い方にしてやろう。お前たち人間は、生まれた瞬間からそれぞれ唯一無二の存在だと言いたがるだろう、特別だと?」
「……はい」
「あれは間違っていない。だから理解し合えないのだ。まったく違う生き物であるから理解し合うことがない。それと同じだ。では理解し合えなかった時、お前たちの身には何が起こる?」
「……反発、ですか?」
「そうだ。それと同じものが高位の次元で起きる。存在するものと無は理解し合えない。交わらず反発し、すべて無に帰る……無は圧倒的だ」
儂には理解できなかった。
しかし理解できないことがまさに、この観察者の言葉通りなのではないかと、そんな考えも過った。
「その、どうすれば防げるんでしょうか。僕らは平和に過ごしたいだけなんです」
「空間的な意味においては人間の死が一番の平和だ。だが教えてやる。深淵をこれ以上生み出すな、私たちが生命界に何度も足を運ばなくてはいけない状況を作るな。情報の漏れが一番まずい。世界の安定を侵すな。生命が無に気付きそれがこの世のものであると認知する――すなわち、肉体のない霊が生命界を歩き回り生命が霊を認知する。または観察者もそうだ。我らを多数の生命が認知し多数のものが架空のものでないと認知した瞬間、そこでプチっと、スイッチが切れるようにこの世界は終わる――無がやってくる」
「……無」
「無への対応策はそれ以外にない。存在は無を感知できないのだ」
「……分かりました。どうか、姉を連れていかないでください」
観察者はにやっと笑って「分かっていないな」と言った。「その者は観察者を認知している。お前ら三人とは認知の次元が違う」
「――では」
ネイツャートだった。彼女は僕の前にでて、
「彼女の中からあなた方の記憶を消すというのはどうでしょうか?」
「……うむ。結構だ、異論ない。可能ならな」
姉に触れたネイツャートは、儂の知らぬ魔法を見せた。
「――《
姉はプレアデスで見たすべてを忘れた。
その後、儂らは観察者と
〇
「嫌……嫌嫌嫌嫌ぁああああああああ!」
問題が起きたのはそれからすぐのことだった。
正気を取りもどしたビクトリアは、自分がバノームの民に何をしたのかということを覚えていた。
姉は虐殺の限りを尽くした、その記憶のすべてを覚えていたのだ。
「ビクトリア、しっかりして!」
ネイツャートも看病してくれた。ロゼフはまったく干渉せず。
「早く殺して!」
私を殺しなさい――何度その言葉を聞いただろうか。
しかしそう言いながら、姉は自分の状態を理解していたはずじゃ。儂を含め、ビクトリアはもう死ぬことができぬ。
オブジェクトはいずれ滅ぶ。しかし肥大した存在が尽きることはない。
そんな時、ネイツャートの忘却魔法だけが姉の奇声を沈めた。
しかし深淵は根深く、すべてを取り除きはしない。
ビクトリアの記憶は魔法ではどうすることもできなかった。姉はいずれ虐殺を完全に思い出したのじゃ。何度ネイツャートが忘却魔法を施そうとも、数日後には夜泣きが始まる。
夜な夜な奇声を上げる姉を連れ、儂らは人のいない広野に家を建てた。そこで姉が正常に戻る日を待った。
ある日、訪問者があった。
それは古龍ドストエフスキーじゃった。
話を聞くと、彼は姉を殺しに来たのだと言う。
しかし、がりがりにやせ細った姉を見て、ドストエフスキーは悟った。
彼の表情は何層にも及ぶ感情が荒れ狂うように変わった。落ち着きない冷静さを見せ、彼は言った。
「なんと気の毒な生き物か」
ドストエフスキーは人間の姿をとっていた。
儂は今にも殺されそうな思いじゃった。彼の目は怒りに満ちていた。しかし揺らぐたびに、奥底に同情が見えた。
「儂を利用したことも、悔やんでおるのか、悔やむことができるというのか?」
「……ごめん、なさい」
姉は涙声でそう言った。
「なんということじゃ……なんと愚かか。お主は儂に殺させた。無理やり……」
「私を殺してください。私にはもう、どうすることもできません」
姉はその場に膝から崩れ落ちた。そして処刑を待った。
「……不幸な生き物じゃ。そして愚か。強欲。利己的。この期に及んで、次は自分を殺せというのか」
しかしドストエフスキーには咎めるつもりがなかった。
ドラゴンは感覚的に優れた生き物じゃ。彼には姉の状態が本心からのものだと理解できた。
まさに気の毒な状態じゃと、分かっておった。
姉はすうっと突然に立ち上がった。そして、それまでにない清々しい表情で、
「アダムス、お願い。殺して……」
青白い肌が笑い、薄紫色の唇が言った。
姉の中の深淵は消えてはいない。儂と同じように相手の感情を感じ取ることができる。
姉は気付いていた。いつ気付いたのかは分からぬ。
姉は、儂には殺すことができるということを分かっていた。
「ビクトリア?……ダメだよ。そんなの、ダメだ」
「いいの、これで」
ネイツャートの忘却魔法は。対象の記憶を消し、さらに都合よく戻すことができる。
それは記憶ではなく、生命に対してもそうじゃった。
人そのものに使えば、その人物は存在した事実を失い消滅する。死ねぬビクトリアも消滅する。
そこまで気づいていたかは分からぬ。
じゃが姉は、儂に殺せと願った。
※
記憶を回想するアダムの意識はラズハウセンの広間に戻る。
それら顔ぶれを前に、アダムスは残りの物語を話した。
「ビクトリアの消滅後、なぜだか儂らはビクトリアが存在したことを覚えておる。しかし世界はビクトリアを忘れた。バノームが滅んだ暗黒の歴史に姉の名はない。デトルライトも忘れていた」
その後、アダムスとネイツャート、ロゼフは分かれた。
以来、アダムスは二度と二人とは会わなかったという。
「風の知らせでロゼフが大森林に魔国を作ったと聞いた。自然好きのあ奴らしいと思うた。ネイツャートとの間に子を孕んだと聞いた時は驚いた。魔族の魔力が強いことにはそれらの要因も含まれておる。ネイツャート・オブリビアス・カタルリアが獣国を築く頃、儂は終焉の学院――ビクトリアの建設に打ち込んでいた。そこでさらなる深淵の深みを研究していた。しかし確実に防ぐ手立ては未だ見つからぬ」
そしてアダムスにも肉体的な死が訪れる。
「死の間際、儂は弟子二人に命じた。一人はマーセラス・ハイルクウェート。もう一人はベアトリス・フィシャナティカ。共に巨大な二つの学び舎を築き深淵の網とせよ、とな」
「深淵の網?」
アーノルドは意味を理解できず訊ねた。
「愚者は深淵の知識を求め、もっとも魔法的情報の多い場所に集まる。儂はそう考えたのじゃ」
「網で捕らえて殺すというのか?」
そう言ったのは龍の心臓――ジークだった。不機嫌な口調だ。
「殺すじゃと、とんでもない。諭すのじゃよ。儂は殺しは好かん。殺したくないからこそ、警告の意味をこめて三つの文章も残した」
深淵に染まったものは寿命を失う――。
「肥大した存在が消えることはない。本人が望まぬ限りな」
深淵に呑まれた者は最愛を失う――。
「深淵に呑まれれば人格が歪み攻撃的になる。無差別な攻撃は最愛さえも殺す」
深淵に落ちたものは自由を失う――。
「肉体の死んだ愚者は存在となり、すると観察者というお迎えが来る。彼らに拘束されれば自由もなくなる。しかし落ちて取り返しのつかぬことになっても望みはある――帰化引用の業。帰属絶縁の業。帰船模倣の業。そして忘却。じゃが三帰四業を書に記し遺したことは大罪じゃった」
「アダムス様、その三帰四業とは何のことですか?」
それはここにいる誰も分からなかった。
すると得意げにローグ――シュピルマンが答えてみせたのだった。アダムスはその様子に違和感を覚え、しばらくしてシュピルマンを睨みつけた。
「貴様、ローグ・ジョーカー・ラビッツか!」
「……そうだけど?」
アダムスは悔やむように俯いて言った。
「その者は転生者じゃ。前世は亜人じゃった。名をローグといった」
すべて見破ったようにアダムスは言い当てて見せた。
「ある日その者はビクトリアに侵入し、三帰四業を記した
シュピルマンは「当たり」と軽快に答え、「反省はしてない」
「しとっても弁など聞きとうないわ。それに、それだけならまだ良かったのじゃ。三帰四業はその後、ことごとく悪用された。お主らの知る勇者召喚もあれから生まれたのじゃよ。そして――」
アダムスはここに皆を集めた、その理由について話し始めるのだった。
「――ヒダカマサムネが、この世界にやってきたのじゃ」
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