第311話 窓際の愛執

 スーフィリア・アルテミアスの一日は、単調であると思われている。

 彼女の一日は、魔王ルシウスが管理する大書庫での読書に始まり、読書に終わるのだと。


 6年もあれば書庫内の本はすべて読み終わっただろう。

 だが、ほとんどのものに手は付けられていない。

 彼女が日々の大半を読書に費やしていた訳ではないからだ。


 彼女が大書庫に籠るのには、政宗ですら気づいていないある理由があった。

 それは6年前にもさかのぼるが、正確な期日は定かではない。


 大書庫の二階には窓がある。

 窓際には丸テーブルとソファーが置かれており、彼女はここでの多くをそのソファーの上で過ごしていた。


 窓から下には庭園が見えており、リックマン一族とのハーフでもある、猫族のリサに稽古をつけてもらっているネムの姿が見える。

 変わり映えのしない光景に、スーフィリアは表情を変えず読書を続けた。


 庭園の隅では、ピクシーたちに話しかけているトアの姿があった。

 彼女もすっかり、スーフィリアと同じく大人の女性だ。

 政宗が現在23歳であるならば、トアも同じ年齢である。

 スーフィリアは推定25歳。

 ネムは現在、推定14歳~15歳だが、獣人は幼年期が人間よりも短いため、少なからず大人びている。

 体つきにも女性としての魅力が現れていた。


 門の扉が開き政宗の姿が見えると、最初に気づいたのはネムであった。


「ご主人様、お帰りなさい!」


 幼い頃の口調も変わり、彼女は長い白の髪を振り乱しながら、政宗の元へ走っていく。


「ちょ、おい、ネム、離れてくれ。胸があたってるよ」


 大人の女性となってしまったネムに、政宗は少しばかり恥ずかしさを覚えた。

 だがネムは気にすることなく、これまでのように飛びつき抱き着く。

 政宗が恥ずかしがると、彼女は無邪気に笑った。

 

「お帰りなさい、どこへ行ってたの?」


 出迎えるトア。


「街だよ。ほら、パンと果物を買ってきた」


 政宗は胸に抱えていた紙袋をリサさんへ手渡した。

 リサは受け取ると「切り分けてもらいましょう」と中へ運んだ。


「だったら言ってよ、私も行ったのに」


「スーフィリアはいつものところか?」


「うん、多分」


 無論、政宗は街になど出掛けていない。

 トアは気づいていない様子だ。

 だがそれでも違和感くらいは抱いているのかもしれない。


 政宗の体は分離しており、彼は同時に複数の場所に存在しているのだ。

 政宗、ニト、アマデウス――彼には複数の顔があった。


 それらの話し声は、書庫二階の窓際にも届いていた。

 大森林に流れるそよ風が運んだ。


 政宗を見つめるスーフィリアの表情には、悲しみが見え隠れしている。

 彼女の心は政宗への愛おしさで溢れていた。

 だが視線は少しずれるだけで、冷たさを帯びる。

 その先にあるのはトアの姿だ。

 トアが政宗へ笑みを向ければ向けるほど、彼女の目つきは冷気を帯びた。


『……スーフィリアさん?』


 彼女の左手薬指にある、青い指輪が小さく発光した。

 光に気づいたスーフィリアは、左手の本を閉じテーブルに置いた。


「どうしましたか?」


『……偵察隊が、黒い刃の短刀を見つけました』


「場所は?」


『スーフィリアさんの言っていた、ルージュゲルトの跡地だと思います』


「……だとすれば、それで間違いありませんね。よく見つけてくださいました」


『それで、どうしますか?』


「剣は今どこに?」


『おそらく宝物庫です』


「……忍び込めますか?」


『どうでしょう、それほど強固な結界でもないとは思いますが……』


「……仕方ありませんね。分かりました、そちらへ行きます」


『すいません』


 席を立つとスーフィリアの体を光が包む。

 指輪から発せられる青いベールが体に巻き付き、彼女は転移した。


「スーフィリア、戻ったぞ!……スーフィリア?」


 スーフィリアが姿を消すと同時に、政宗が書庫へ入ってきた。

 だが返事がなく、彼は首を傾げた。


 窓際から自分を見つめていた彼女の視線に気づいていた政宗は、簡易的な木製の螺旋階段を上り、彼女がいたであろう二階の窓際へ近づく。


「……どこ行ったんだ?」


 ふと、テーブルの上に置かれていた一冊の本を手に取る政宗。


「《古の名工ゴルディムの財産》……なんだこれ? スーフィリアのやつ、お金が欲しいのか?」


 政宗は本をテーブルへ戻すと、部屋を後にした。







 その夜――。


 ルシウスやエレクトラなどの交え、政宗たちはいつものように食卓を囲んでいた。

 部屋に給仕が入って来るタイミングと重なり、スーフィリアが姿が見せる。


「あ、スーフィリア、どこに行ってたんだよ」


「お帰りなさいませ、マサムネ様。少しダームズアルダンへ行っていました」


「え、ダームズアルダン!?」


「……冗談です。少し、近くの町の図書館に用があっただけです」


 ダームズアルダンはシュナイゼルの失踪後、一年と経たないうちに滅びた。


 最初、関所や国境など、警備をしていた衛兵が姿を消した。

 野党が現れ商人の馬車が襲われるようになった。

 中には入国時に税金を無視する商人もいた。

 物流が止まり生活が困窮すると、民は国外への退出を余儀なくされた。

 国から人が消えてからの建物の劣化は早く、止めようとする者は誰一人いない。

 6年も経てば、ダームズアルダンという名も忘れ去られていった。

 今では野蛮な者たちのねぐらとなっている。


 政宗は「なんだよ冗談って」と言いながら、スーフィリアを隣の席へ招いた。

 一礼し、政宗が引いてくれた席へつくスーフィリア。


「いいわよね、スーフィリアは転移が使えるから」


 トアが羨ましそうに言った。


 転移魔法とは誰でも使える訳ではない。

 適正というものがあり、各国の王は宮廷魔導師に一人、必ず転移魔法の得意な者を用意し傍においておくくらいだ。


「マサムネには、あのモヤモヤしたのがあるし」


「モヤモヤって……」


 トアが言っているのはダンジョンの渦のことだ。


「サラ、今度ネムに転移魔法を教えてくれませんか?」


「いいわよ、ネムが適応できたらね」


 おそらくトアには転移魔法の素質がないのだろう。

 だから未だに転移が使えないのだ。

 政宗はサラとネムの何気ない会話から、そんなことを思った。


「マサムネ様、ラトスフィリアが動いたそうです」


「……」


「既に前線では――」


「俺には関係ない。今はご飯の時間だ」


 スーフィリアが言っているのは戦争の話だ。


 八岐と冥国シグマデウスの戦争がはじまり6年が過ぎた。


「数日前、イキソスが何者かにより落とされたそうです。首謀者は、慈者の血脈だとか」


 ルシウスがスープをすくっていたスプーンを止めた。

 視線は器から政宗へ向けられた。

 だが政宗は目を合わせない。


「八岐と言っても、冥国と戦争をしていたのはほとんど繋国けいこくですから、そこが落とされれば必然的に冥国の勝利が決まります。それをよく思わないラトスフィリアの王は、戦争に乗り出したのです」


 スーフィリアは政宗の顔を窺いつつ、ルシウスへ説明した。

 政宗はスーフィリアの視線の意味に気付いている。


「長引くことになるだろうね……ラトスフィリアは武闘派の国だと聞く」


 ルシウスは案じていた。

 一般的に人間界と魔族領は隔離されており、親交はない。

 だが魔的通信は共通の情報収集ツールであり、人間界の情報は随時入ってきていた。


 ルシウスとスーフィリアにそれぞれ内容の違った、だが本質的には同じ疑惑を向けられ、政宗は無口になる。

 今に始まったことではない。


 この6年の間にこの手の会話は何度もあった。

 だが政宗は知らんぷりを決め込む。


「そんな話は後にしてよ」


 トアが不機嫌に言った。


 今となっては疑問もないが、当初、政宗には不思議だった。

 そもそも慈者の血脈については、ルシウスしか知らない。

 だというのに、なぜスーフィリアは毎回チクチクと刺さる言い方をするのか。

 龍の心臓に国と父親を殺されたことを根に持ち、組織というものへの嫌悪が強くなったのか。

 政宗はあらゆる可能性を考えてきたが、慈者の血脈の話題が出る度に、彼女は意味深な視線を政宗へ向けた。

 だが政宗はスーフィリア本人は訊ねない。

 疑惑であるうちは触りたくないのだ。


「でも、ラズハウセンが心配です」


 ネムが少し不安そうに口にした。

 だがそれは政宗にとっても同じことであった。

 王都にはシエラやパトリックがいる。


「八岐だけがすべてではないだろう、他にも国は数えきれないほど点在している。だがいつかマサムネくんはここを出て行くのだろう?」


「……まあ、そうなんですかね」


「その時、人間界一帯が、例えば冥国のものとなっていたとしよう。その場合、冒険もやりづらくなるんじゃないだろうか」


「戦争って、そんなレベルの話ですか? 俺の冒険がどうとか、そんなことは二の次でしょ?」


「しかし君にとってこれほど重要なこともない、そうだろ?」


「……まあ、そうかもしれませんね」


「マサムネくん、私が案じているのは君ではなく、トアだ」


 部屋の雰囲気が少しばかり重苦しくなった。


「父様、やめて。今しないといけない話でもないでしょ、もうしばらくはここにいるんだから」


「どうかな」


 ルシウスはトアの言葉を差し置いて、マサムネへ訊ねた。


「君は近々、一度魔国を離れるつもりなんじゃないか?」


「え、そうなの、マサムネ?」


「その時、トアをどうするつもりだ?」


「……」


「もう町へ出かけるのも飽きて来ただろう」


 町へ行ってくる――それが魔国を離れる際の、政宗の決まり文句だ。

 当然のことながらルシウスには分かっている。

 政宗は町になど出かけていないということを――。


「始めたことにもいつか終わりが来る。どう終わらせるかが肝心だ」


「冒険の終わらせ方なんて、一々考えますか?」


「では考えた方がいい……」


「……」


「君の危うさが、いつかトアを殺す気がする――」


 卓上を見つめていた政宗の目が見開く。


「――父様!」


 だがトアが椅子を立ち上がったことで、会話は途切れた。


 トアはルシウスに怒っていた。

 だがトアにはこの話の内容が分かっていない。

 彼女にしてみれば、過保護な親の難癖でしかないのだ。


 ルシウスは席を立つと部屋を後にする。

 彼の様子に微かな疑問を感じつつ、エレクトラも退出した。


「マサムネ?……」


 それからしばらくして政宗も席を立った。


「今日はもう寝るよ」


 今の政宗の肉体には睡眠という概念がない。

 彼はトアに背を向け、沈黙のまま部屋を出た。







 政宗は、魔国に設けられた薄暗い自室の暖炉の傍に座り、アルテミアスの予言者――マギ婆に魅せられた予言を思い出していた。

 一方、政宗の分離体――アマデウスは、月明りの照らす薄暗い玉座の間にあった。

 ハイルクウェートで手に入れた「死と生の愚弄と欺き」という一冊の本を眺めている。


 6年前はまだ分離体同士の間に記憶の分離があり、統一するにはその度に分離を解除し元に戻る必要があった。

 だが今では、分離体同士の思考は繋がっている。


 獣国からそう遠くない場所に、ある大きな町があった。

 6年前にはまだなかったものだ。

 アマデウス――もう一人の政宗は、その町の宮殿内に身を置いていた。


 村が生まれ、村から町となり、今では宮殿がそびえている。

 大商人ウィリアム・ベクター、酒屋の店主ロバーツ、魔的通信の記者フランチェスカ。

 これは彼らの協力の上に着々と築かれてきた、政宗を王にするための環境だ。


「巻きこんでしまって、すいません」


 気配に気づいた政宗は、玉座の間に現れたウィリアム・ベクターにそう告げた。


「イキソスを落としたそうですな。関係してか、ラトスフィリアの武王が動いたとか」


「……らしいですね。でも彼ではアドルフに勝てない」


「となると、次はデトルライトですかな。きっかけが帝国と冥国の合併であるとしても、これは八岐の王が始めた戦争ですから、最終的には彼らはグレイベルクまで兵を送るつもりでしょう。そうなると道中の町や村々が被害を受け、バノームから少なからず平和が失われる。既にここへの物流にも影響が出始めています」


「俺に、どうしろと?――」


 一方、魔国の自室の扉が開き、ルシウスが姿を現す。


 そして政宗はアマデウスと同じ問いを彼へ向けた。


「俺に、どうしろと言うんですか?――」


 ルシウス――。

「戦争をどうにかしろ。君には、それだけの力があるだろう」


 ウィリアム――。

「冥国はバノーム全土においての脅威となり得るでしょう」


 ルシウス――。

「戦争はこれまでにも何度もあった。だが今回は少し違う」


 ウィリアム――。

「認めたくない点は少なからずありますが、八岐は戦争の抑止力となっていたのでしょうな。龍の心臓などと同じです」


 魔国の月明りと、まだ名も無き町の月明り。

 政宗と政宗は、別々の場所から同時に月夜を見つめた。


 政宗がこの6年間、アドルフを避けたことには理由がある。

 それは慈者の血脈に賛同してくれた獣人をアドルフに大勢殺されたころに始まる。

 さらにはイグノータスも殺された。

 政宗は彼を最初から殺すつもりがなく、いずれ兄弟共にラグパロスへ戻す算段だったのだ。


 その都度、止まるべきではないと決意を改めては後悔する。

 慈者の血脈としては獣人などの救済と虐げる者への抑止さえ達成できればいい。

 だが無駄に首を突っ込んできた部分もあり、その結果、仲間を失った。


 政宗は疲れていた。

 連日の同級生への復讐も影響している。

 彼に触れる行為は精神的なものだが体力を使う。

 当初から殺戮を望んでいた訳ではなく、だが目的へ辿り着くまでの道中には必ず何らかの死があり、その度に誰かを殺めた。

 最初の頃は魔法への珍しさや、満たされていく自己顕示欲もあり、爽快感から気にもしなかった。

 他人の死も《嫌悪の影》が漂う者などは特に軽く感じられた。


 だがその後にあったのは疲れだった。

 すべてを管理できなかった。

 上手く物事を進めようとすればするほど、組織内で犠牲者が出る。


 政宗が最も案じているのはトアだ――。

 犠牲がトアに及ぶ可能性を考えている。

 何故なら深淵同士の戦いとは、内面の探り合いでもあるからだ。

 アドルフとの関りがいずれトアを殺すとも思っている。


 政宗なりにどうにか前を向き、復讐だけは実行した。

 だが彼は冒険者に戻りたいと思っている。

 日々思い出されるのは、ラズハウセンでの時間とハイルクウェートでの日常だった。


「戦争を終わらせれば……トアを連れ出しても大丈夫だと思いますか?」


 政宗はルシウスの考えを求めた。

 ルシウスも政宗が見た予言については聞かされている。


「分からない……」


「……」


「分からないが、いずれにしても今のままで危ういだろう。君がやらないのなら私がやってもいい」


 政宗は驚いた。

 それは魔族が人間界に関与するということだからだ。

 それも魔王直々に。


 人と魔族の共存は多くの場合、力の関係からして困難である。

 だから彼らの多くは魔族領にて生涯を終え、人と交わることがない。

 魔族が人に関与しないというのは、ある種の信用でもあった。


「そんなことをすれば余計に危険を招くことになります。それに、あなたではアドルフには勝てない。彼も深淵の使い手です」


「では、他の手を考えるしかない……」


「……俺がいきます」


「強制するつもりはない。君が行きたがらないのは、何か深い考えがあってのことだろう。近年の君の勘定は読みづらく分かりづらい。だがそうであることは理解している」


「理由はあります」


「だろうね」


「だけど……仕方がない、こればっかりは」


「それが君の判断なら」


「これが最善であることくらい、もうとっくに分かってますよ」


 政宗の中には葛藤があった。

 だが葛藤は隙を生み、深淵に呑まれる可能性を生む。

 これ以上、先延ばしにできない状況でもあった。


「早い方がいい、明日、ここを発ちます。トアは任せました」


 同時刻、宮殿にいる政宗はウィリアムに告げる。


「俺が何とかします」


「そうですか……何から何まで、我々はマサムネ殿に頼りっぱなしですなあ。では、招集をかけましょう」


「いえ、皆には黙っていてください」


「ん、どういうことですかな?」


「個人的に片づけます。これ以上、組織内で犠牲者を作る訳にはいきません」


 政宗の怠惰な視線は、依然として夜空を眺めていた。

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