第312話 慟哭
政宗が出発を決意してから数日が過ぎていた。
だが魔国領ウルズォーラの魔王城には、今も政宗の姿があった。
「また冒険に出るなら、次はどこへ行こうと思ってるの?」
「う~ん……そうだなあ、戯国とか?」
トアは庭園で花を摘んでいた。
政宗はここのところ彼女から離れず、付き添ってはトアと話をする。
「戯国?」
「うん。もう大陸を順に歩くって言っても、ここは基本的にどこも八岐の支配下だし、鬱陶しいし、俺はどこに行ったってニトだしな」
「英雄って呼ばれるのが嫌になったの?」
「英雄なんて最初からどうでもいい。でもラズハウセンは居心地がいいな、もう前とは随分違うけど。……俺のことなんか誰も知らない場所に行きたいんだ。戯国なら大陸を離れることになるし、八岐も関係ないし丁度いいだろ?」
「……そうね。確かにそうかも」
「別に魔国に戻りたくなったらダンジョンを通じて戻ればいい。ただ俺のこれは、一度行ったことのある場所にしか行けないんだ」
「じゃあ、マサムネだけ先に戯国を見てくるっていうのは?」
「新大陸はみんなで見たいんだ。トアだってまだ行ったことないんだろ?」
「ないわよ。というか、本当にそんな国があるの? あるとは聞くけど、実際に見たことのある人なんて一回も会ったことないし」
「魔族にもいないのか?」
「いないと思うわ。いれば知ってるだろうし、だってそれだけで有名になれそうだもの」
かつて戯国への冒険は、最初の龍の心臓の夢であった。
だが今では政宗の目標となっている。
「どうやっていくつもりなの?」
「船とかあるだろ、海を渡っていく」
「船?……船って、あの川を渡る小さい船のこと? そんなもので海で渡るつもりなの?」
「違うよ、もっと大きいやつだ。ほら、こんな感じの……」
政宗は存在の影を使い、宙に船のイメージを現した。
「それと木じゃなくて鉄で作るんだ。この世界になら軽くて丈夫な鉱石とかいくらでもあるだろ?」
「ないわよ」
「え?」
「こんな大きな物、どうやって作るのよ?」
「職人がいるだろ、知らないけどドワーフとか……まさか、いないのか?」
「聞いたことないわ。それにこんな物、見たのは初めてよ。マサムネのいた世界にはこんな大きな物があったの?」
「ああ。一回だけだけど
「へえ~……なんだか、楽しそうな世界ね」
「……」
自分が憧れたように、トアも知らない世界に憧れを持つのだろうかと、政宗は複雑な気持ちになった。
政宗にとってかつての世界は暗く
「この世界の方がずっと楽しいよ、魔法があるし」
「そうなの?」
「うん。俺のいた世界は楽しくない。俺はもう、あの世界に行くつもりはないよ、行き方も分からないし」
戻る、帰る――その言葉が無意識にも出てこないことが、政宗の心を表している。
「なあトア、スーフィリアはまた書庫に籠ってるのか?」
「どうかしら……そうかも」
「最近、話したりしたか?」
「食事の時とか、普通に家の中ですれ違うことはあるから、そういう時なら話すけど……」
「……なんか、ずっと何か悩んでるみたいなんだ。俺には打ち明けようとしないから、気が付けたら相談とか、なんでもいいから話を聞いてやってくれないか?」
「別にいいけど、でも、いつも元気そうにしてるわよ?」
「元気そう?」
「うん。特にそんな風には見えなかったわ、笑うこともあるし、冗談を言うこともあるし」
「スーフィリアが冗談? あのなんか暗い感じの冗談か」
「暗い感じ?……いいえ、普通な感じよ」
「普通な感じって……」
だがスーフィリアは少なからず、トアの前では普通なのだろう。
では何故彼女は自分に対しては暗い様子なのかと政宗は考えた。
だが答えは見つからない。
「考えても仕方ないか……」
「マサムネ?……」
「……なんでもない。それよりトア、ずっとここにいるのも退屈だろ、出かけないか?」
「いいけど、どこへ?」
政宗たちの会話はスーフィリアに筒抜けである。
二人の距離が縮まり、より親密になりつつあることもスーフィリアは感じ取っていた。
だが彼女の視線は二人の心が近づけば近づくほど思わしくないものになっていく。
政宗に対して寂しい表情をしトアに対しては冷淡だ。
「そうやって君はいつも彼を見つめているのか」
スーフィリアの鼓動が高鳴る。
とっさに振り向くと、書庫の一回にルシウスの姿があった。
「……」
スーフィリアは平静を装うも無言のままルシウスから視線を窓の向こう側へ戻した。
「勉強熱心な君には、ここは知識は宝庫だろ?」
ルシウスは一階にあるテーブルについた。
「……」
「だがその知識は自分のために使うべきだ」
「……」
「彼の傍にいても、君に未来はない」
「やめてください」
スーフィリアは心を覗くなと言った。
「……君は利口な女性だ。自分自身の感情くらいコントロールできるだろう。もう彼に対して幻想を抱くのはやめるんだ。彼は君の心に応えてはくれない、分かっているだろう?」
「……わたくしの父を、国を滅ぼしたのはマサムネ様です」
「……復讐するつもりでもないだろう」
「もちろんです。わたくしは感謝しているのです、あの牢獄から解放してくださったことを……生かしてくださったことを。トアも同じ気持ちなのでしょうね、彼女の気持ちは分かります」
「……」
「感情感知とは万能な能力ですね。わたくしの心が分かるというのならお分かりですよね。マサムネ様の方こそ、彼女に幻想を抱いても幸せにはなれません」
「……」
「彼女はもちろん応えるでしょう。ですが彼女ではマサムネ様をより良い道へ導くことはできません。拠り所であるのだとしてもです。能力など持たずとも、わたくしにはこの先の未来が見えます」
「私にも君と同じものが想像できているよ。だがそれは君次第だ、そうだろ?」
「……」
「君のその濁った感情の先には破滅しかない」
「わたくしの何が濁っていると言うのですか!」
「殺意を向けるのはやめろ。それは君自身を滅ぼすことになる」
「……わたくしを殺すおつもりですか?」
「そうならないように説得しているんだ。彼はトアを選んだ、トアも彼を選んでしまった。私にはマサムネくんの感情がもう見えない、だが君は初めから私以上には見えていない。能力などなくても見えるものはあるだろう。だが鮮明でないものを人は想像で補おうとする、都合のいい理想をつけ足そうとするんだ。その歪んだ愛情は君以外の者には理解できない、だから彼は君を受け入れない。君は、彼から離れるべきだ。彼だけが君の人生ではないはずだ」
「……わたくしはマサムネ様を信じています」
「盲信は意思ではない。だが君は気づくことができる、まだそれだけの時間はある。今の余裕のない彼には無理だ」
「……選べというのですか?」
「それが最も最善だ」
だがルシウスには、スーフィリアの目的までは見えていない。
感情感知は万能ではないからだ。
ルシウスが見ているのはあくまで感情であって、彼女が頭の中で浮かべる言葉や映像ではない。
ルシウスに見えているものもまた、鮮明ではなかった。
「――何故わたくしだけが幸せになってはいけないのですか!」
スーフィリアの心の叫びとも言える声がが書庫に響いた。
だがルシウスの姿はもうそこにはなかった。
スーフィリアは怒りと悲しみで表情と肩を震わせていた。
徐々に落ち着きを見せ、だが彼女はやはり庭園へ視線を向ける。
その悲しみから逃れたいがあまりに、彼女はマサムネを見つめていようとする。
だが政宗の姿ももう庭園にはなかった。
彼はトアと街へ出掛けてしまったからだ。
取り残された感情がスーフィリアの心と視野を覆った。
視界は狭まり、彼女はその歪んだ愛情を取り除くことができない。
「わたくしは……」
ルシウスの言葉は助長を生んだ。
否定された彼女の心は、より政宗への想いを強めた。
「わたくしだけが、あの方を理解できるのです……」
スーフィリアは怒りに震えた。
※
トアはピクシーと心を通わせることで、ロザリアさんを失った悲しみを取り除く。
彼等には癒やしの力があるのだという。
俺は月明りに照らされた手されたトアの姿を見つめ、無心を取り戻す。
それは過去を振り返ることのない、穏やかな時間だ。
トアだけが俺を癒やしてくれる。
ヴェルは共依存だと忠告するが、俺にはトアしかいない。
「トア、そろそろ中に戻らないか」
少し冷えてきた。
魔国の夜は少し寒い。
「マサムネ」
「……ん?」
トアが不意に名を呼び振り向いた。
「私ね、マサムネに…………謝らないと、いけないことがあるの」
言いづらいのか、トアは歯切れ悪く言った。
「謝る?……え、何のことだ?」
「その……」
「――トア、リサが探していましたよ」
ネムの声だった。
庭園に姿を見せたネムの声、トアのそれまでの表情は途切れ。
「……うん、今いくわ」
「トア、何の話しだよ」
「また今度でいいわ。中に入りましょう」
しんとした雰囲気にネムが困っている。
俺の方を見てぎこちない表情をした。
「今度って……」
「ネム、行きましょ」
トアはそう言って、半ば逃げるように中へ戻って行った。
「何のことだよ……」
そう漏らした時、低塩に佇みこちらを見つめるスーフィリアに気付いた。
「お、おどかすなよ、スーフィリア」
「何の話をなさっていたのですか」
「……別に、なんでもないよ」
「そう、ですか……」
スーフィリアは視線をそらし下を向いた。
「冥国へ向かわれるおつもりですか?」
「え……」
「戦争の話です」
「戦争?……なんで急に?」
「別に……」
スーフィリアの様子がおかしい。
やっぱり俺の何かが気に入らないんだろう。
まさかルシウスさんが何か言ったのか。
いや、あの人はそんな無駄なことはしない。
無意味に揉め事が起きるだけだ。
「俺たちも中に戻ろう」
「……そう、ですね」
だがスーフィリアは、何かを隠しているように目を合わせようとはしなかった。
※
自室のバルコニーで夜風に当たりながら、政宗とスーフィリアの様子を見つめていたルシウスは、溜め息を漏らすと部屋に戻る。
暖炉の傍にあるソファーに腰かけ、「なるほど」と呟いた。
「どうしたの?」
同じく部屋にはエレクトラの姿もあった。
「彼が器用でないことは分かっていた。だが私があれこれ介入すべきでもないと思ったから、彼に託す思いでいたんだ」
「だけど?」
「だが彼は、スーフィリアくんの感情が分かっていないみたいだ」
「……感情感知をがあるのに?」
「機能していないんだ、何故かね」
「何故って、どうして?」
「分からない。私には感じ取れている、だから彼に使えないはずはないんだが……もしかすると」
エレクトラは首を傾げた。
「どうしたの?」
「彼と話していて、何か違和感を覚えたことはあるか?」
「マサムネくんと? 特にないけど……どういうこと?」
「いや、ふと思ったんだ。彼は《支配》をちゃんと制御できているのだろうかと」
「……特に暴走しているようには見えないけど」
「私にもそう見える。だが彼ならスーフィリアくんの心に気付いてもいいはずだ」
「確かにそうね。でも、それが恋なんじゃないの?」
「……そんなものだろうか」
「あなたにもまだ分からないことがあるのね」
ルシウスは深刻な面持ちだった。
だがエレクトラの穏やかな笑みに、自分の考え過ぎだと。
「……そのようだ」
穏やかな笑みを浮かべた。
ルシウスは結局、以降は政宗たちに任せるべきだと、考えを改めた。
翌日――。
静かな午前の玄関口で、紅茶の入ったカップティーを片手にルシウスは足を止めた。
スーフィリアと政宗だ。
政宗は冷や汗のようなものを額に浮かべている。
「どこへ行かれるのですか?」
「街だよ、ちょっと買い物してくる」
「……顔色が真っ青ですよ。体調が良くないのでは?」
「いや、別に……」
「マサムネくん、どうしたんだ?」
遅れてトアも姿を見せた。
すると政宗の表情は余計に悪くなり、苦笑いを浮かべる。
ルシウスは疑問を浮かべた。
政宗が目で何かを訴えようとしているように思えたからだ。
「ん?」
だから率直に疑問を返した。
神妙な面持ちのスーフィリア。
何事かと疑問を浮かべるトア。
二階の
そして政宗はルシウスへ告げた。
「ルシウスさん」
「……ん?」
「戻るまで、みんなをよろしくお願いします」
政宗は灰となり姿を消した。
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