第310話 誘い

 外から響いてくる誘いの声。

 起き上がることのできない佐伯。

 怒りの表情もなく、青空しか見えないベッド脇の窓を眺めている。


「佐伯くーん! いつまで待たせるつもりなのお!」


「サエキ様はここに。私が対応いたします」


「話したところで意味なんてありませんよ」


 グィネヴィアは足早に病室を出る。

 俯く佐伯に目もくれず。


「グィネヴィア様!」


 廊下の先から院長の姿が見えた。

 困り果てた様子から、既に外の様子については知っているものだと、グィネヴィアは考える。


「誰も外に出さぬように。わたくしが対応します」


「衛兵を待たれた方がよろしいのでは」


「聞こえましたか、院長。わたくしは、誰も外に出さぬようにと、そう言いましたよ?」


「……は、はい。分かりました。もちろんです」


「結構――」


佐伯に見せていた表情とは違い、そこには暗く冷たいものがあった。







 病院の玄関から姿を見せた彼女の姿に、


「患者という訳でもなさそうだ」


 政宗は呟いた。


「わたくしはグィネヴィアと申します。ヒダカ、マサムネ様ですね」


「そうですけど? 佐伯くんはいますか? いますよねえ、当然」


 グィネヴィアは周囲の異様な光景を見た。


 そこにはかつてこの国が勇者召喚により呼び出した、異界人たちの死体と、鉄の柱に磔にされた、まだ生きている者たちの姿があった。

 だが彼女の表情は一定であり、敵意のないものだ。


「これは、一体……」


「保存料もいつかは切れるものでして、ほら、乾燥剤って使うとパンパンに膨れ上がるでしょ? あれと同じですよ。フィナーレのあと、彼らは役目を終えるんです」


「……なるほど」


「ん?」


 政宗は首を傾げた。

 グィネヴィアの反応の悪さに対してのものではない。


「グィネヴィアさんでしたか? 何故でしょうか、《嫌悪の影》が見えませんねえ」


「嫌悪の影?」


「……」


「嫌悪の影とは、何のことですか?」


「俺には見えるんですよ、自分に対して不都合な者の姿が、はっきりと。グィネヴィアさんは佐伯の面倒を見ているのでしょう、ということは、彼側の人間ということだ」


 だが政宗はグィネヴィアを人間だと思って話していない。


 ――グィネヴィア。


 その名前は、知る者にとっては特別なものだ。

 今は亡きカゲトラへと通ずる。


「だというのに、何故あなたには影がないのか……どういうことですか。ないと言うことは、俺と思想が変わらない、ということですよ? まさか……」


 政宗はその先の言葉を止め、視線を少しずらした。

 その先には看護師に止められながらも、必死に外に出ようとする佐伯の姿があった。


「サエキ様、安静にしていなければ!」


 グィネヴィアが心配そうな横顔に、不敵な笑みを浮かべる政宗。

 気づいたグィネヴィアは表情を戻す。


「構いません。俺にはもう……失うものは何もないんですから」


「これはこれは! 元気そうじゃないか、佐伯くん! ところで、驚いたなあ、なんだその姿は?」


 佐伯の機械の手足を見た政宗は、それまで以上の笑顔を見せた。


「お前、それでも人間か!」


 政宗は腹を抱え、涙目になりながら笑った。

 佐伯は睨むこともせず、ただ苦痛を表情に浮かべながら、政宗の笑顔をじっと見つめた。

 まだ足が体に馴染んでいないことも理由の一つだ。


「みんな……」


 佐伯は――園田健四郎、柊朱音ひいらぎ あかね、加藤詩織、神井かのい絵美、御手洗千春みたらい ちはる、長宗我部晴彦はるひこ、山中ジェシカ――並べられた同級生の遺体に、佐伯は目を丸くした。

 欠損が激しく原型の留めていないものが多数。

 だがどれも顔だけは、面影が残る程度に欠損が少ない。

 感情を押さえ静かに鼻息をもらし、堪えた表情をしながら、一歩ずつ政宗へと近づこうとする佐伯。


「木田……真島……木原……佐藤……飯田……」


 磔にされているのは以下5名だ。

 木田修史まさふみ、佐藤はじめ飯田いいだ将悟、真島京香、木原まどか。


「佐伯様、お下がりください!」


「放っておいてください」


 佐伯はグィネヴィアに目もくれない。


「友人との再会、だがそのほとんどは既に悪臭を撒き散らすだけの汚物となってしまった。可哀そうに……」


 自分へ近づいてくる佐伯へ、政宗は記号のような言葉を並べる。


「これだ……これこれ、これですよ、グィネヴィアさん! 佐伯から夥しい数の嫌悪の影が見える。これだ……だが、これほどおかしなこともない。かつてはお前が今の俺であったはずだ。そうだろ、佐伯? お前に俺を責める資格はない。影すら漂わせていて、いいはずがないんだ……今のお前はただの偽善者だ。手足と片目を失い、愛する者も容易く殺されてしまった無能な偽善者。かつての俺そっくりだ。そこまで落ちてはいなかったがなあ」


 それでも佐伯は表情を変えなかった。

 息を切らしながら、政宗をじっと見ているだけだ。


「佐伯、今日はお前に見せたいものがあって来た。これが最後だ」


 政宗はダンジョンの渦より《執行者の斧》を取り出した。

 学生服には似つかわしくない巨大な斧だ。


「なあ、お前ら。そろそろ起きたらどうだ?」


 政宗は体から赤黒い影を現し、磔にした5人へ伸ばした。

 何をしたのか、順に5人は目覚ます。


「みんな……」


 意識を取り戻した5人に、佐伯はここに来て最初の悲痛を現した。

 これから殺される彼らの姿を想像してしまったのだ。


 一人一人順に、佐伯の変わり果てた姿に「佐伯……」と声を漏らす。


 そこでチャイムが聞こえた。

 どこからともなく――。


「昼休みのチャイムが鳴る。それは虐めの始まる合図だ……」


 政宗は時間の止まったような冷たい表情で佐伯に告げた。


「加害者、被害者、傍観者、観衆……傍観者はグィネヴィアさん、それから院内にいる見知らぬ他人」


 病院の窓からは看護師や患者たちが外の様子を見ていた。


「佐伯、お前はそこで適当な感情を表現して見ているといい。その顔も飽きてきただろう。そろそろ違う顔をしてみたらどうだ?」


「……」


「何を言っても無駄……そう言いたげだな。そうだ。無駄だ。その感触をもっと味わえ、世の中なにをしても無駄なことは多い。今のお前がそうであるように、かつての俺がそうだったように」


 政宗は磔の5人へ近づいていく。


「一つ面白くないのは、お前が微かに罪悪感を抱いていることだ。だがなあ、お前と違ってこいつらは何も覚えていないそうだ。木田は俺にしたことの一ミリも覚えていなかった。今は教師をしていて、学校では虐めらてれいる生徒を弱者呼ばわりしていた」


 佐伯は木田へ視線を向けた。


「教師の鏡だ。だが人とはそういうものだ。みんな自分のしたことなんか忘れていく。一々過去に誰を傷つけたとか、そんなことは覚えていない。俺たちは、そういうふうにできている。覚えている俺が異常なだけだ」


「……」


「深淵を宿す者には異常者が多い。今ならその理由も分かる。深淵は痛みを理解できない者には使えない。痛みを忘れたらどうなるんだろうな。そんな日が来るのかどうか……」


 政宗は斧を掲げた。


「佐伯、お前の痛みが永遠であることを祈ってるよ。お別れだ――」


 政宗は斧を振った。

 その動きは佐伯には見えなかった。

 残像もない刹那的な時間のあと、佐伯に向けられた斧の刃、その先端に5人の生首がバランスを保ち並べられていた。

 斧を指先で器用に傾かせる。生首がゆっくりと佐伯の足元へすべり落ちる。

 視界に紛れ込む友人の生首。佐伯はその間も政宗の視線から目を離さなかった。


「これであと3人だ」


 政宗より告げられる復讐の続行。

 だが佐伯には分かっていた。


「全員、殺すつもりなんだな」


 政宗は満面の笑みを浮かべた。


「もちろん」


 佐伯が政宗の顔を機械の手で掴んだ。

 政宗には見えていたが、避けようとはしなかった。


「怒ってるのか?」


「《火炎の鉄槌ディボルケード!》


 直後、政宗を巨大な火球が包み込んだ。

 膨張し範囲を拡大し続ける火球に政宗の姿は見えなくなる。

 爆発の直後、熱を帯びた突風が辺りへ広がる。

 それは友人たちの死体をも巻き込んだ。

 黒煙と砂煙により視界は悪い。


「ぐっ!」


 突然、煙の中より伸びる腕。

 それは佐伯の首を掴んだ。


「ハッハッハッハッハッハッハッハッ! 魔法陣もなしに上級魔術を使えるのか、流石は聖騎士長様だ!」


 それは政宗の腕であった。

 だが姿は既にアンク・アマデウスのもの。

 学生服は消え、異形のマスク付けず、政宗は白いローブだけを着込んでいた。


「言っただろ、無駄だと」


「――がはっ!」


 佐伯は遠くへ蹴り飛ばされた。

 駆け寄る職員たち。

 だが佐伯は立ち上がることができず、政宗の白い背中を見ながら、気を失った。


「じゃあな、佐伯……」


 最初に見せた無表情のまま、政宗は病院を後にした。







「――待ってください」


 政宗は振り返る。

 それはグィネヴィアだった。


 病院の門の前で足を止める政宗。


「早く手当しないと、あいつ死んじゃいますよ?」


「既に任せてあります。加減してくださったおかげで、命に別状はありません」


「……そうですか。それで、何の用ですか、グィネヴィアさん?」


 政宗は意味深に彼女の名を呼んだ。

 グィネヴィアもその違和感には気づいた。


「ヒダカさん……私と、取引きをしませんか?」


 彼女の主語が“わたくし”から“私”に変っていることに気づいた政宗。

 さらには少しばかり口調や雰囲気まで変わっている。

 王女というよりも、もっと荒っぽく青臭い雰囲気が漂っている。


 だが政宗は指摘せず訊ねた。


「……取引き?」


「私に力を貸してください」


「……ん、気は確かですか?」


「至って冷静に話しています」


 グィネヴィアが一歩ずつ政宗へ近づき、向かい合い、政宗の目を見つめた。


「……あなたと同じ名前の人間を俺は知っている。会ったことはないが、その者はかつて神国メウィノースピアという地の王女だった。150年以上も前の話だとか」


 グィネヴィアは驚いた。

 目丸くし、一瞬言葉を失った。


 政宗はその表情から、グィネヴィアが彼女となんらかの繋がりのある人物であることを悟った。

 あるいは同一分物か。


「この場合、同一人物と考えた方がいいか」


 政宗がそう呟く頃には、グィネヴィアは平静を取り戻していた。


「私はグィネヴィアではありません」


 政宗はスキル《真実の魔眼》を用いて彼女のステータスを覗いた。

 そして名と種族を確かめた。


「……それで、取引とは?」


 彼女は政宗に警戒しつつ、辺りに声が聞こえないよう注意しつつ告げた。


「私の名はティンカー……人間でもありません」


「……」


「私は龍族です。どうか、私の話を聞いてください」


 話が読めず、政宗は疑問を浮かべた。

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