第151話 【過去編】:小鳥と政宗

 雨の打ち付ける音のみだった。

 だが耳を澄ましてみると、遠くで泣き声がする。


 ……女の子の泣き声だ。


 公園の遊具の下。

 その屋根の下に、2人の子供がいた。


「ぐすん……ぐすん……政宗くん……ムーちゃん死んじゃうんの?」


「仕方ないよ……それにもう……」


そこに5歳の政宗と小鳥の姿があった。


政宗の手には、冷たくなり動かなくなった白い子猫の姿が見える。

政宗は寂しげな目で動かなくなった子猫を見つめながら、優しく抱いていた。

その隣で泣きじゃくる小鳥。


「捨てられたんだ……だから……」


「なんで?!……ぐすん……どうして捨てられるの?!」


「それは……」


政宗はその問いに言葉を詰まらせた。


――何故、捨てたのか?


政宗には分からなかった。


先ほどの話だ。

雨粒が突き刺さる中、公園の隅に段ボールがあった。

そこから“猫の鳴き声がする”と初めにそう言ったのは小鳥だった。

だがもうその時点で体温は下がり、子猫は弱っていたのだ。

小鳥は突然、子猫を『ムー』と呼び、手に抱きかかえようとした。

子供の発想だ。特に意味はなかった。


その子猫の姿を見た政宗は、とっさに思いついた。

そして小鳥から猫を取り上げ、自分の服で包み込むようにし、温めたのだ。

それがつい先ほどのことだ。


だがもう……手遅れだった。


隣で泣き喚く小鳥を慰め、家の庭に埋めてやろうと提案する政宗。

小鳥はどうすることも出来ず、ただ政宗に委ねた。


小鳥は政宗を慕っていた。

まだ子供であった小鳥は自分の行動の意味を理解していなかったが、同い年でありながらも兄のような政宗の傍に、いつも離れずくっついていた。

そして政宗は妹のような小鳥の面倒をいつもみていた。

互いに両親の帰りをいつも待っていた2人は、親ぐるみの縁もあり、よく一緒にいた。


誰もいない家の庭。

政宗はスコップで穴を掘っていた。

小鳥は傍らで、死んでしまったムーを眺め、涙ぐんでいる。


「政宗くん……なんで死んじゃったの? なんでムーちゃん死んじゃったの?」


「捨てられたからだよ……」


何故死ぬかなんて分かるわけがない。

分かっていても答えられるだけの言葉を持っていないのだ。


「捨てられると死んじゃうの?」


「ああ……」


政宗は穴を掘り終えると、そこにムーを埋めた。

そしてゆっくりと土を被せていく。


「きっと……天国で笑ってるさ」


「天国?」


「うん……」


自分で言っておきながら、子供ながらにどこか『天国』という言葉に違和感を覚える政宗。

だが何より小鳥を慰めることで手一杯だった。

自分は泣いてはいけない。

でないと小鳥がもっと泣いてしまう。


この頃の政宗は、小鳥の思う『兄』であった。


「大人は、飼えなくなると捨てるんだよ……」


雨音にかき消される政宗の声。

小鳥は疑問符を浮かべながら、不思議そうに政宗を見ていた。


その時、小鳥には聞こえなかった政宗の言葉。

その言葉には何が秘められていたのか?


政宗は父親を亡くしていた。

政宗の父は病気だったのだ。

だから仕方のないことではあった。

だがそれに対して、まだ5歳ではあったが、政宗なりに何か思うところがあったのかもしれない。

父の死後、手元に残ったのはこの家だけだった。


雨音が鳴りやまぬ中、2人はしばらくの間、そこでじっと墓を眺めていた。




 小学校に上がっても、相変わらず2人は一緒だった。

政宗にとっても小鳥にとっても、それが普通のことだった。

それになにより小鳥は政宗を好いていた。


「お前、女なんかとつるんでんのかよ?」


だが入学して早々に政宗を取り巻いた環境。


――虐め。


いつも小鳥と一緒にいる政宗を、クラスメートが“気持ち悪い”と侮辱し始めたのだ。


「てめえ無視してんじゃねえよ!」


突き飛ばされる政宗。

その3人は尻餅をついた政宗を見て、笑っていた。


「政宗くん大丈夫?!」


直ぐに駆け寄る小鳥。


「ハッハッハッ! また女かよ? 女に助けてもらわないと何もできねえのか?」


小鳥が現れたことで、その3人の口調は余計に荒くなった。

そして小鳥はその3人を必死に睨んだ。


「ちっ……行こうぜ? ここにいたら“日高菌”がうつっちまう」


3人は“調子が狂う”だの“気持ち悪い“だのと言いながら、どこかに行ってしまった。


「大丈夫? 政宗くん……」


小鳥に声をかけれら、顔を上げる政宗。

だがその時、見えていたは小鳥の顔だけではなかった。


――クラスメートの顔だ。


教室にいたクラスメートが皆、政宗を見ている。

おかしなことに一人一人の表情がはっきりと見えるのだ。

そしてそこから微かに悪意のようなものを感じる。


――皆、笑っている……


政宗は感受性に優れた部分があった。

そして政宗はその時、恐怖を感じた。

隣で『大丈夫?』と心配そうにしている小鳥には目もくれず、政宗はただ、そこから見える『人間』に恐怖したのだ。



 政宗は次第に、小鳥と距離を置くようになっていった。

まだ幼かった小鳥には、政宗が何を考えているのか分からない。

だが気づくと政宗は、小鳥が話しかけても口数が少なくなっていき、最終的には無視するようになった。

その理由を小鳥が気づいたのは、もう少しあとのことだ。

今の小鳥には、それが分からない。

特に明確なきっかけがあった訳じゃない。

成長と共に徐々に分かってきたのだ。


政宗は学校に行くとニヤニヤと周囲に笑われ、服や肌が触れると『日高菌がうつる』と、まるで汚いものであるかのように扱われた。

小鳥と話さなくなってからもずっとだ。


――菌がうつる。


きっかけは些細なものだ。

だがそれは言いだした本人たちでさえ理解していないだろう。

だがそういうものなのだ。

子供というのは……

特に意味もなく、口走り、それが相手を傷つけるものであったと仮に気づいていたとしても、そこから罪悪感を覚える子供は少ない。


その姿を小鳥は心配そうに遠くから見ていた。

話しかけたいが拒む政宗に、何もできなかった。


ドッジボールでは仲間外れにされ、遠足で手を繋ぐ相手はいない。

皆、政宗と手を繋ぎたがらない。

特に何が汚れているわけでもないのだ。

だが周りがそう言うのだから、政宗は汚れている。

それが子供に限らず『社会』というものだ。


隣の席になった者は机を離し、政宗に嫌悪感を覚える。

政宗には友達などいなかった。

それが小学生の間、ずっと続いたのだ。


そしてその姿を小鳥はクラスが変わってもずっと見守っていた。

政宗の拒んだ理由を知ってからもずっと、小鳥はただ政宗だけを見つめていた。



中学生になると政宗の周りにも友達が出来ていた。

遠くにいた小鳥はその姿に安堵する。

小学生の頃、政宗を“ばい菌”呼ばわりしていた者も、小学生高学年になるにつれ数が減っていき、中学に上がるころにはいなくなっていた。

皆、何故、政宗を“日高菌”と呼んでいたのか、その理由すら忘れていたのだ。


「都合の良い奴らだ……」


政宗は一人、空を見上げながらそう呟いた。


「何だよ政宗? たそがれてんのか?」


「そ、そんなんじゃねえよ!」


照れくさそうに怒る政宗。

そこには普通の中学生活を送っている政宗の姿があった。


だがその平穏はそう長くは続かなかった。

数が減ったとはいえ、それをよく思わない人間というはどこにでもいるのだ。


理由は分からないが、小学生の頃とは違い明るくなった政宗を、よく思わない生徒がいたのだ。


ある日、学校に行くと教室にある政宗の机と椅子が、廊下に放り出されていた。


「何やってんだ?」


「ん? いや、何か俺の机と椅子が廊下に置いてあったんだ」


「ふ~ん……」


だが些細なことではあったが、政宗は何となく気づいてはいた。


心とは一度傷つくと、そう簡単には癒えないものなのだ。

特に政宗の場合、誰かに謝ってもらったわけでも、自分から解決したわけでもなく、時間とともに薄れていっただけだ。

つまり周りが成長と共に勝手に飽きていったのだ。

周りはすっかり忘れている。

覚えている者などいないだろう。

政宗が虐められていたことなど……


――だが本人は覚えているものだ。


政宗の中には今でも写真や動画の様に当時の記憶が鮮明に残っている。

そしてそれは、まるで昨日のことのように感じられたのだ。

だからこそ、被害者と加害者の間にはギャップが生じる。

政宗はまだ中学生だったが、それが分かっていた。

今更、周りの連中をせめたとして、その中に覚えている奴がいたとして『いつまで根に持ってるんだ?』と馬鹿にされるだけだ。

だから政宗は記憶を上書きすることで、しのいできた。

だが人にそんな機能はない。

政宗は中学生としての思いでを作りつつも、その記憶を1ミリも忘れないでいた。


そしてある日、そんな中学生活が終わりを告げる、ある出来事が起きた。


政宗が朝、学校に登校すると、机の中に入れてあったはずの政宗の教科書などが、女子トイレに散乱していたのだ。

便器の中にまで散乱している教科書。

その教科書にははっきりと『日高政宗』と書いてある。

だがそれは、これから訪れる“始まり”の、始まりに過ぎなかった。


先生はホームルームで『日高の教科書を女子トイレに捨てたのは誰だ?』と、教室で告げた。

身に覚えがないことを告げた政宗。

先生は直ぐにこれを問題にし、ホームルームで尋ねたのだ。

だが犯人が見つからない。


何日も何日も時間が経過した。

先生は生徒に一枚の紙を配り、『自分がやったという者は、そこに名前を書きなさない』と説明した。

だがそれも効果はなかった。

いつしかその一件について、学校側が特に何かをすることもなくなっていった。

結局、誰が何のためにやったのか分からないまま、時間がだけが過ぎていったのだ。


そしてその日はやってきた。


ある日一人の女生徒が、日高にこう耳打ちしたのだ。


――『本当は、日高くんがやったんでしょ?』と……


日高は突然言われたその言葉に、反応することが出来なかった。


――どういう意味?


それが頭に浮かんだ最初の言葉だ。

驚きのあまり目を見開き、政宗は冷静になるまでしばらく考えた。

どうしてそんなことになっているのかと。

何故、された側の俺が、まるで加害者であるような言い方をされないといけないのか?


そして冷静になった政宗はもう一度、女生徒の方を見た。

だが考えるより前に、直ぐに違うと否定すべきだった。

あるいは、直ぐに否定さえしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。


――そこには既に、かつてのクラスメートの姿があったのだ。


だが今、政宗は中学生だ。

自我の芽生えつつある政宗には、以前よりもその“表情”と“視線”の意味について如実に感じ取ることが出来た。


――『気持ち悪……』 


女生徒が一言、そう呟いた。

その瞬間、治りかけていたかもしれない傷がまた開き、それが以前よりもさらに大きな傷に変わった。


――あの目だ……


人が人を人とも思わず、存在さえも否定しているかのような、あの目。

異臭の漂う生ごみを見るかのような、あの目だ。

いや、それよりも残酷だろう。

その瞬間、政宗は思い出したのだ。

あの頃の痛みを……


その後、あっという間に周りは敵だらけになった。

先生に相談しても、彼らは口先だけだった。

「先生に任せておきなさい」と言ったその目には、力などない。

ただ面相くさいとしか書かれていない。


徐々に、苦笑いをし出す友人。

その頻度が増し。

最終的に、政宗へ向けられた友人の目は、すべて侮蔑へと変わっていた。

そして口角はつり上がり、皆ニヤニヤしている。


そして気づくと、政宗はまた一人になっていた。

楽しかった昼食の時間は、どれだけ早く食べ終われるか、というだけの時間でしかない。

食べ終わると同学年のいない図書室に足を運び、時間をつぶす。

毎日一人だ。

授業中、当てられた時以外は話さない。

家を出てから帰ってくるまで、一言も喋らない。

それが政宗にとっての中学時代だった。


小鳥はそんな政宗を影から見守っていた。

政宗の噂はもちろん小鳥の耳にも入っており、どうにかしてあげたいと、小鳥は一人で先生に相談したりもした。

だが教師たちは過ぎたことだからと、取り合ってくれなかったのだ。

小鳥はただ孤立していく政宗を、こっそりと影から見守るだけだった。



ある日、小鳥は次の授業が移動教室であるため、一人急ぐように階段を上っていた。

すると誰かがボソボソと、何かを呟く声が聞こえた。




――『……いいのに……』




小鳥は不振に思い、一度足を止め、そこからゆっくりとその先を窺うように足を進めた。

すると階段を上り切ったところに、一人の男子生徒の姿が見えたのだ。




――『……ねば、いいのに……』




――え?




小鳥は直ぐに気づいた。

それは政宗だったのだ。


――今、周りには誰もいない。

今なら話しかけても誰にも見られる心配はないし、政宗に迷惑をかける心配もない。

今なら大丈夫――


小鳥は、再び足を進め、政宗に声をかけようとした。




――『みんな、死ねばいいのに……』




だがその瞬間、小鳥の足は止まった。


――今……なんて言ったの?


だが、それは疑いようがなかった。

確かにここには風の音が聞こえる。

だが教室よりは静かだ。

その小さな呟きでさえ、聞き逃すはずもないほどに。


――『はぁ……みんな死ねばいいのに……そしたら俺は……俺は』


政宗は何を言っているのか?

小鳥は混乱した。


小鳥の中には以前の政宗の姿が、まだあった。

飼い主に捨てられ、そして死んでしまった子猫を労り、家に持ち帰り埋めてあげようと言った、あの優しい政宗の姿が……


そして、泣いているだけの自分を必死に慰める、優しい政宗の姿が……



――『……幸せになれる』



だからこそ、そんな恐ろしいことを一人呟いている政宗が信じられなかった。



――『みんな、死ねばいいのに……』


その時、自然と小鳥の頬を涙が伝った。


すると小鳥は涙を拭い、その場から気づかれないように去った。

そして、溢れ出る涙を何度も拭いながら、次の教室へと向かった。


もうそこには小鳥の知る政宗はいなかったのだ。


生命を労わるどころか、他人の死を願っている。

もしかしたら、それも些細なことだったのかもしれない。

例えば偶発的な何かで、思春期によくあるような意味もない特別ではない何か……

だが小鳥はそうは思わなかった。


その出来事が小鳥と政宗の距離をさらに広げた。

だが……




その一件から月日が経ち、2人は高校生になった。

小鳥はまだ政宗を見守っていたのだ。

心の奥ではまだあの頃の政宗は生きていると、そう思っていたのだ。

それになにより、小鳥は政宗のことが好きだった。

そしていつか、あの優しかった政宗に戻ってくれると、そう信じていた。


だが高校に上がっても、気づくと政宗はまた虐められていた。

その頃の政宗の目は以前とは全く違うものになっていた。

その目は、まるで『世捨て人』のようであった。


小鳥は徐々に、そこにかつての政宗の面影を見れなくなっていく。

政宗自身も知らぬ小鳥と政宗の『線』を繋ぎとめていたのは、小鳥の信じるという願望だけだ。

もしかすると小鳥人身にも何か精神的な問題があり、結局のところ、政宗に依存していただけなのかもしれない。

だがそんなことは誰にも分からない。

小鳥自身にも分からないのだ。

ただ幼い頃、いつも自分を守ってくれた政宗に、小鳥は自分の中に欠けている何かを求めていたのかもしれない。


小鳥にはどうすることもできなかった。

見守るだけで何もしてこなかった小鳥には。


「おい! 日高! ジュース買って来い!」


「じゃあ俺のも頼むね日高っち!」


教室を後にする政宗。

小鳥の中には無力感と悲しみだけがあった。


そして、教室をあの光が包み込んだ。


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