第290話 痕跡

「痕跡? そんなもん、分かるのか」

「はい、わたくしのような者は痕跡に敏感なのです」


 魔力の波動については学院で習い感じ取れるようになったが、「痕跡」については教わっていないし、エルフェリーゼ卿にも聞いていない。スーフィリアの言う“わたくしのような者”というのは、魔道具を作る技術者を指しているのではないだろうか。聞けばいいのだが、すぐ安易に納得した。


「これは……」


 シエラは扉を開けるなり口を抑え顔をしかめた。だがそのニオイは既に俺のところまで届いていた――血の匂いだ。


 中に入ると小さな窓口があり各部屋が通路の奥へと続いていた。


「奥なのです」


 ネム曰く、ニオイは奥の方からするらしく、俺たちは他は確かめずにネムに誘導された。

 ネムが足を止め「ここなのです」と目の前に扉が現れる。扉の上部に備え付けられた見知らぬ模様が点灯している。


「手術中、ってことか?」

「休業中なのに?」とトア。


 二人で目を合わせ、片方の口角だけで笑った。シエラの咳払いが聞こえ互いに目を逸らす。


「気が抜けすぎですよ」

「波動は感じない。ってことは誰もいないだろう」


 建物の外にまで魔力感知を広げているが、不穏な魔力は感じない。


「マサムネ様、痕跡はこの中です」

「え」


 俺を咎めることも諦めたように、シエラはそっと開けた。

 シエラの表情が慌しくなる。

 中は酷いありさまだった。すべての物という物が散乱し、騒然としている。

 いつか病院を舞台にした海外ドラマを見たことを思いだしたが、中はそれで見たものとは違い貧相だった。診察室だろうが、窓が完備されており乱雑に開け放たれていた。カーテンが外で風に煽られバタバタと音が聞こえる。

 そこで部屋の隅に、血だらけの白髪の老人と、女性看護婦の姿を見つけた。二人とも白衣や白いナース服みたいなものを着ていて、この診療所の関係者だとすぐに分かった。







 診療所には警戒線が張られ、中は王国騎士の巣窟と化していた。現場検証とやらが行われているらしい。辺りは騒然とし野次馬の姿が見えていた。


「ネム、ありがとうございました。ですが巻き込んでしまい、申し訳ありません」

「大袈裟だなあ、シエラは」

「シエラは大袈裟なのです」


 俺の言葉を真似するネムの笑みにつられ、シエラは「ありがとうございます」と笑った。


「なあ、さっきの人たちって……」

「この診療所の医者と助手です」

「あの感じからして、犯人は逃げたってことか」

「そのようですね。ですが今回は人間でしたし、手配中の者とはまた別の者でしょう」

「なんか王都も物騒になったな」

「近頃、他所の国から流れてくる難民の数が増えたのです。八岐の国のいくつかが何者かにより滅ぼされ、該当する国の領土は不法地帯となりました。被害を逃れるため、周辺の村々から移り住んできた者たちの余りが、この国にも辿り着いているのです」

「なるほど……」


 分かっていたことだ。最初から。

 エルフェリーゼ卿やトムたちと会議を行った際、何度かその話は出た。「すべては救えない」という結論から、だがそもそも慈者の血脈は人間を救うための組織ではなく、むしろ利用する立場にある人間のことなど二の次だという話で終わった。

 ――王都にその波がくることは想像していなかった。


 王都はどうなるのか、なんて話を一々議題に上げるなんておかしな話だし、俺がそんなことを言えば人間の国について危惧しているのは何故かと訊ねられたに違いない。言葉に詰まっただろう。

矛盾していることは分かっている。


「ここは関係なかったか……」

「ですが助かりました」


 シエラの言葉に、ネムは喜んだ。


「孤児院もだが、この国は他より獣人が多いし心配だなあ」

「そうですね、ですが打てる手立ては他にありません。犯人を見つけ出すしかありません」

「だな。シエラ、このあとどうするんだ。俺たちは孤児院に行くけど」

「でしたら私のことは気にせず行ってください」


 シエラはこの場を任されているらしかった。


 日も暮れてきた。丁度、空は橙色だ。今日はひとまずエカルラート邸に戻って、犯人捜しは明日にしよう。


「今日はもう帰ろう」


 3人にそう告げ、其の場を立ち去ろうとした時だった――。


「――――――――日高くん」


 久しぶりにその名で呼ばれたこともそうだが、ここがラズハウセンだということも理由の一つだった。

 肝を冷やした。

 そもそも声で分かったから。それが――。


「…………一条」


 だということが。

 夕焼けを背に、そこに、一条幸村の姿があった。


「見つけた」


 一条は安心したように、緩い笑みを浮かべた。

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