第272話 シグマデウス

「妙だ。なぜ俺がここにいることに驚く。貴様、ラズハウセンの出身者か」


 ラインハルトは直剣を構え、そう尋ねた。


「……おそらく戯国の者であろう」


 ウラノスが答えた。


「何故そんな国の者がここにいる」

「分からぬ。我らの知らぬところで何かが起きているのやもしれぬ。閉鎖国と称され漂流者すら寄せ付けぬ国だ。飢饉ききんにでも陥ったか、あるいは……まあ良い。だが“デウス”とは戯国の言葉だ。この大陸にその記号を使う者はいないと、冥王様はそう仰っておられた」

「そうですか」

「一体なんの話をしている」


 アマデウスは困惑していた。


「ラインハルト、お前は白王騎士だ。白王騎士が何故ここにいる。ここは帝国だろう」


 アマデウスはそう話しながら冷静になり、そして気づいた。


「お前が、密偵か……」

「それ以外にどんな理由がある」

「だがラズハウセンが襲撃された際、お前は……」

「なるほど。貴様、あの時あの場にいたのだな。そうか。だがあれは襲撃と呼ぶには粗末なものだった。ただ翻弄したに過ぎない。20年も潜伏し、信頼を勝ち取った俺を疑う者など誰一人としていなかった。それを利用し、帝国は王都を手に入れ拠点とするはずだった。だが予期せぬものが現れた」

「……ニトか」

「俺は常にあいつの気配に意識を集中している必要があった。万全な状態でないとは言え、魔力すら感じ取れない者を敵に回した結果は見えている。白王もこれまでに二人しか殺ろせず、俺の20年は無意味なものとなった」

「殺せず、だと……」


 アマデウスの赤黒い影が激しく揺れ始める。


「襲撃者はお前をあきらかに敵対していたはずだ」

「俺があの国に潜入していたことは父上以外知らない。弟たちにすら国の名は伝えていないなかった。ギド・シドーやフラン・ボルフレーヌは、ちゃんと俺を敵と思い込んでいたさ。ところで、そろそろそのおかしな仮面を脱いでもらおうか」

「ラズハウセンに何をした……」

「別に、何も。なんだ、情報通かと思いきや、あの国に何が起こったのか知らないのか? なるほど、つまり王を殺した際、貴様はあの国にいなかったということか。少なくとも白王騎士の中にお前はいない……」

「待て……王を、殺しただと!」

「ん、なぜそんなに驚いている」


 アマデウスは沈黙し、ラインハルトはその様子を考察した。

 だが答えは出ず、口々に探るラインハルト。


「シエラは、どうした……」

「……貴様、まさか」


 ラインハルトはその言葉に目を細めると、何かに気づいたのか、微かに剣先は揺れた。

 一方でアマデウスはぶつぶつと自問自答にも似た理解を呟き始める。


「いや……そういうことだったのか。だからお前はあの時、まるで血が通っていないかのように、感情を動かさなかったのだ。まだ深淵が馴染んでいないものとばかり思っていた」

「何を言っている」

「……」


 アマデウスの仮面から漏れる紅い光が、ラインハルトを睨むかのように捉えた。


「ラインハルト、お前はあの時ですら誰にも同情などしていなかった。偽りの表情を張り付けていただけだ。だが誰も気づかなかった……」

「仮面を脱げ!」

「そうか……だがお前が帝国の人間だというのなら、色々と腑に落ちることはある」


 アマデウスはそう言いながら、どこか思い耽るように間を開け、すると手の届く範囲に空間をねじるような渦を出した。

 そして手を入れ、中から巨大な斧を取り出した。


「ラインハルト。まずはお前から殺してやろう――」


 大斧を構え、そして人が走るほどの速さで駆けた。


 その足取りはラインハルトに捉えられるほど容易なものだった。

 直剣を構え、ラインハルトは迫る斧を受け止める。


「加減でもしているつもりか」


 金属音が広間に響いた時、ラインハルトの問いが聞こえた。

 だがアマデウスは答えない。

 斧を振り回し、そのたびに防ぐラインハルト。

 だがその交戦は、直ぐに終わった。


 アマデウスの一振りに変化が現れ、先ほどの足取りのような甘さが消えたのだ。

 そこには確かな殺意がこもっていた。

 気配を感じたラインハルトは直ぐに距離を取り、後ろへ下がった。


「お前と剣を交えたことはなかった。だから最後に試したかったんだ」


 アマデウスは斧を戻すとそう答えた。


「――舐めやがって!」


 するとその時、アマデウスの背後にジェイドの姿が見えた。


「ジェイド、よせ!」


 ラインハルトの声はむなしく、ジェイドはニヤリと笑みを浮かべると、片手に回転する魔力の槍を纏い、アマデウスへ向けて突っ込んだ。

 その姿にアマデウスの仮面の中で光る紅い点は、その方向へギロっと動く。


「コカトリス流――」


 漏れるような声が聞こえた。


「――化石化拳」

「ガハッ!」


 背後を取ったはずのジェイドのあごに、アマデウスの右ひじがめり込んだ。

 ジェイドは開けた広間の一画に飛ばされると、その場に倒れ、起き上がることはなかった。


「暗躍することに快感でも覚えたか……」


 アマデウスの声だった。

 振り返るアマデウスに、ラインハルトは魔装を纏う。


「ラズハウセンは平和な国だ。完全に俗世と切り離されていると言ってもいい。私がこの組織を立ち上げた時、世界は、人間は、今よりもさらに腐っていた。複数の尾を持つ狐族の女は、目を付けた貴族の男に里を焼き滅ぼされ、メイドとして買われた。ダークエルフの女は“絶滅危惧種”の看板を首から掛けられ、闇で開催されていたオークションにかけられていた。今や古となりつつある鍛錬技工を持つドワーフの男は、奴隷マニアの王に囚われ、幼い王子のおもちゃを何年も直し続けていた。そんな世界だ。だがラズハウセンはそうではなかった」

「……確かに。田舎の小国というだけあり、あの国は紛争すらなかったな。だが今やその評価はもう値しない」

「お前が変えたからだろう!」

「……だとして、だからどうした。もはや後戻りはできない」

「まるで可能ならとそう願っているような口ぶりだ」

「言葉のあやだ。そんなつもりはない。俺の意思に関係なく、もはやあの国は平和でない。そしてもう元に戻すことはできない。お前がしてきたことと同じだ。お前に俺を咎める権利はない」

「ラインハルト……」


 アマデウスは右手をラインハルトへ向けた。


「確かに後戻りはできない。違和感を抱いた時点で殺しておくべきだった……騙されたよ、白王騎士――《滅却デリート》!」


 アマデウスは悲し気な雰囲気を漂わせながら、ラインハルトへ魔法を行使した。

 だがその時だった。

 アマデウスが放ったはずの魔法は、まるで無効化されてしまったかのように、ラインハルトに届く前に、周囲へ波を描くように散った。


「馬鹿な……なんだ、これは」


 それはアマデウスには、まるで結界のように見えていた。

 あるいは透明なカーテンのようにも見えている。

 ラインハルトや王座を含むすべてが、何かの膜で覆われ守られていたのだ。


「――少し遅れてしまったかな」


 その時、広間全体にくせのない、透き通るような男の声が響いた。


「とんでもありません、冥王様。時間通りです」


 王座のウラノスはまるで勝ち誇ったかのように薄ら笑みを浮かべ、そう答えた。

 すると目の前に築かれていた透明の膜が、ラインハルトの背後に吸い寄せられるように集まっていく。


「ラインハルト、大きくなったね」

「……はい」

「ふっ、相変わらず返事がつたないね」


 ラインハルトの背後に蠢く赤黒い影が集中していき、それは見る見る人型へ形をとどめていく。


「なんだ……」


 アマデウスのその声からは、ここにきて初めて見せたかのような、最大の困惑が窺えた。


「おや、君は一体なにものだい?」

「冥王様、そやつはアンク・アマデウスと名乗る者です。ここ最近現れた、慈者の血脈の長でしょう。どうやら冥王様と同じ、深淵魔法を有しているようです」


 ウラノスは敬うような口調で答えた。


「確かに、そうみたいだね」

「お前は、あの時の……待て、冥王だと?」


 アマデウスは、ラインハルトの影になって顔の見えないその男を、ウラノスが “冥王”と呼んだことに 引っ掛かりを感じていた。


「冥王……冥国のことか?」

「鋭いね。この辺りじゃ僕の国の話は誰もしないから、誰も知らないとばかり思っていたよ」

「冥国シグマデウス……」

「感情が激しく揺れているね。どうやら僕と同じ王の候補者であるようだけれど……まだ染まり切ってはいないようだ」


 その言葉に何を感じとったのか、アマデウスは素早く距離を取った。


「どうして逃げるんだい? 深淵を持つ者同士、分かり合えるものはいくつかあると思うのだけれど。そうか、君はまだ色々と使いこなしてはいないようだね」

「……」


 アマデウスは激しく警戒していた。

 するとラインハルトの影から、その男が一歩ずつ姿を現す。


「……お前は」

「おや、どこかで会ったことがあったかなあ」


 アマデウスのその男の顔を見るなり、完全に体の動きを止めた。


「アンク・アマデウスか。僕はシグマデウスと名乗っているんだけれど、君はもしかして戯国の者なのかい。というのも、僕はこの大陸の出身だけれど、母親が戯国の人間だったんだよ。だから君も戯国の出身なのかと思ってね」


 王座で笑みを浮かべるウラノス。

 表情のない静かな様子で見つめるラインハルト。

 柱で怯えるラージュ。

 それぞれの顔を確かめ、アマデウスはその男の顔を見つめながら、まだ知らなかった帝国の実態を知った。


「僕はアドルフ。アドルフ・シグマ……ねえ、聞くけど君。まさか僕の領地を侵しに来たんじゃないよね」


 揺れる、濃い緑色の長い髪。

 アドルフはくせのない爽やかな笑みを浮かべ、そう問いかけた。

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