第271話 英雄、人を欺く

 アンク・アマデウスは薄暗い広間に一人現れると、皇帝へ敬意をはらうようにお辞儀する。

 皇帝ウラノスは肘掛ひじかけに肘をつき、深いため息をついた。


「現れては消え、そしてまた現れては消え、このような者たちはこれまで幾度となく現れては、人知れず消えた。だが帝国の、それも広間に堂々と現れた者は始めてだ。そこだけは誉めてやろう。だが余興が過ぎる……我の大切なペットたちをどこへやった」


 ウラノスは目を細め、見下したような視線をアマデウスへ向けた。


「ペットだと? まさか、それは獣人たちのことを言っているのか?」


 アマデウスの体から微かに赤黒い影が漂う。


「主に白猫族のことだ。他の捕虜は獣人でも見るに堪えぬものばかり。目の保養にもならん」


 その瞬間、アマデウスの仮面から紅い光が漏れ、漏れていた赤黒い影さらに範囲を広げ、怒りを表すようにゆらゆらと揺れ始めた。


「その目……貴様、深淵の愚者か? まったく、ニトにしろお主にしろ、芸がない。これは何かの兆しか? 何故一時代にこれほど多くの深淵が姿を現すのだ」

「深淵の愚者か……深淵を愚弄する者こそ愚者だ。その無知な口を閉じろ。皇帝の貫禄がはがれるぞ」

「まっ!……またあの紅い目が!……」


 傍らにいたラージュが怯えた表情で柱の陰に隠れた。

 その様子にウラノスは無表情だったが、一瞬その様子を捉えた視線は冷たい。

 一方でジェイドは面白がり、クスクスと笑っている。


「ラージュ、お前はホントに情けねえ奴だなぁ。厚着は臆病者の証拠だ。ましてやこいつは顔まで隠してやがる。議論の余地がねえほどの臆病者なのさ。威張りたきゃこの俺のように、身の丈に合った姿をしねえとなあ」


 そう言ってジェイドはアマデウスへと一歩ずつ近づいていく。

 その表情はニヤニヤと完全に見下したもののそれだ。

 そして人一人分ほどの間隔を残し、アマデウスの目の前で止まった。


「とりあ、その面とれよ? なあ、聞いてんのか?」

「……」

「しかとかよ――」


 その時、ジェイドはアマデウスの面へ回し蹴りを繰り出そうと、上へ軽く飛び、魔力を灯した足を振り抜こうとした。

 だが直後、傍の柱が倒壊し、砂煙が広間に舞った。

 その時には既にウラノスも肘をつくことをやめ、アマデウスへ見開いた視線を向けていた。

 ――崩れた瓦礫の下に、ジェイドの姿があったからだ。


「ジェイド……」


 砂煙が消えると、ウラノスにもその姿が見えた。


「あいつだ。あいつと同じだ……」


 一方でラージュはブツブツとそんなことを呟きながら、今も怯えている。


「貴様、魔力が……」


 ウラノスはつたなく呟いた。


「どうした皇帝、今頃気が付いたのか? だろうな。お前たちでは私の魔力に気づくことすらできない」


 ウラノスは瓦礫から起き上がるジェイドをちらっと見たが、直ぐにウラノスへ視線を戻した。


「お前たちを殺すことは簡単だ。リックマン一族であれ深淵の前では何の意味もなさないだろう」


 ウラノスがかつて八岐の白龍を討伐したことは、世代的なものもあるが世間的には誰もが知っていて当然の話だ。

 またウラノスがリックマン一族のものであるという話も当時公表されており、誰が知っていても不思議ではない。

 だがその名を持ち出すのは20年以上前のウラノスを知る、古い者であると、ウラノスは直感的にひとまず判断した。


「貴様、八岐の者か……」

「私をあのような下劣な者たちと一緒にされては困る。むしろ私は彼らを滅ぼす側だ。まだあと4つ残っているがな。次はイキソスでも滅ぼそうか、あの国の人間には初見から虫唾が走るほどにイラついていた」

「なるほど。噂は事実であったということか。そして次は帝国か……何故だ。我らとお前に一体何の関係がある? 慈者の血脈とやらの教えでも犯したか?」

「――獣人を虐げたからだ」


 アマデウスはウラノスの問いに被せるように、強い口調ではっきりとそう言った。

 同時に赤黒い影が呼応するように揺れる。


「愚かにもお前たち人間は獣人を虐げた。我が同胞を汚した……」

「お主、獣人か……どこの者だ?」

「白猫族の同胞が一人死んだ……救えなかった……」

「……」

「あの不衛生な環境にどれほど長いあいだ放置しておいたのか……想像するだけで吐きそうだ。お前らの下劣さにな」

「愚痴を申すために来たのか、アマデウスとやら。お主、もしや戯国の者か?」


 ウラノスは知識を辿り、会話の間に問を挟む。

 だがアマデウスは聞いていないのか答えない。


「動物を殺す者はいずれ人を殺し始める……そう、聞いたことがある」


 アマデウスの首がうなだれるように下を向いた。

 さきほどまであったような覇気もなく、ボソボソと声がこもっている。


「だが獣人を動物と呼ぶには説明不足だ……動物かもしれないがそれ以上と言える。何より意思があることは明確であり、苦しみもそのうめき声もお前には届いていたはずだ。命に程度など存在しない…………だが俺はっ!」


 アマデウスは怒りを表すよう顔を上げた。

 漂う赤黒い影は激しく揺れ始め、薄暗い部屋にその仮面からこぼれる紅い光が蛍火のように揺れた。


「貴様ら人間の命だけはそうとは思えない! この結果がまさに正論だと俺に告げている! 蟻の巣に水を注ぎ埋めるように殺したいのだ! その感覚で殺したいのだ! でなければこの頭の中の声が消えない。鳴き声が……妹が死んでしまったとただ泣き続けるしかない白猫族の鳴き声が頭から離れっ……」


 隙間なく呟かれた言葉が突然に、唐突に途切れるように止んだ。

 アマデウスは下を向きながら頭を抱える。

 足元はフラフラと安定しない。


「俺のせいだ……」


 ウラノスはその様に思わず笑ってしまった。


「情緒の不安定な奴だ。お主は先ほどから何を言っている。もう良いではないか。悔やんだところで死んだ者は生き返らぬ。世話は衛兵に任せていたのだ。恨むのなら衛兵を恨め。ついでと言っては何だが、この国の衛兵はどれも獣人だ。ならば丸く収まるというもの。獣人が獣人を殺しただけの話だ」


 アマデウスは仮面の上から頭をかきむしるように、爪をたてひっかいていた。

 それが広間に歪な音を響かせる。


「復讐は……」

「ん?」

「復讐は殺すことに在らず……」

「――父上、いつまで相手をしているおつもりですか」


 柱の陰より声が聞こえた。

 その時だった――


「――耳鳴りの痛みを味わわせてやる」


 アマデウスの姿が一瞬でウラノスの目の前へと移動した。

 ウラノスは首をわしづかみにされ、持ち上げられた。

 

「うぐっ!……」

「殺した瞬間にお前は死ぬ。死んだ瞬間に意識は終わり、殺されたことも認識しない。ならば“殺害”とは死に値するのだろうか?……それではダメだ。お前は理解しないし、この耳鳴りも止まない」


 ウラノスは首に力を入れ、どうにか抜け出そうと試みる。

 その時だ―。


 アマデウスの目前に鋭利な刃が突然に現れる。

 現れた気配と剣先に気づき、アマデウスはその一瞬で王座を離れ距離を取った。

 そして立ち止まり、手のついた血や塩を眺めながら、聞こえないくらいの声でブツブツと何かを呟いている。


「これはもういいか――」


 布袋を柱の袖に投げるアマデウス。

 柱に当たった袋から塩が飛びだし散乱した。


「怯えて助けない者が一人……」


 アマデウスは柱の陰で覚えるラージュを見てそう言った。


「一度防がれただけで助けに来ない者がもう一人……」


 背後の柱で腹を抑えながら立っているジェイドへは振り返らず、背中でそう語った。


「それで、お前は誰だ?」


 アマデウスは王座より階段を一段ずつ下り、一歩ずつ近づいてくるその姿を見た。

 丁度、影に隠れて見えなかった顔が、王座の短い階段を下るごとに、周囲に灯されている少ない蝋燭の光が照らし、見えては隠れ、また見えては隠れと繰り返し、近づいてくる。


「お前っ!?……何故だ……何故、お前がここにいる!?……」


 そしてその影が階段を下り切った時、アマデウスは言葉を詰まらせ目を疑った。


「何故だと? 貴様、俺を知っているのか」


 それはここにいるはずのない者であった。

 仮面の下の表情は見えないが、アマデウスはしばらく身動きもせずに沈黙し、目の前の者を見ていた。


「ライン、ハルト……」


 王都ラズハウセン国王直属部隊。

 白王騎士団、序列一位。

 ――ラインハルト・リックマンの姿はそこにあった。

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