第270話 欺瞞
小鳥と河内は委縮した。
ここは工房であり、華やかさのある部屋ではない。
そこに似つかわしくない白一色の異形の者。
アマデウスは、小鳥や河内がその姿を見た瞬間に抱いた感情――直ぐに衛兵が駆け付けるだろう、という願望を両断するように、第一声にその言葉をかけた。
「あなたは……」
小鳥は緊張が解けぬまま声を出そうとし詰まらせた。
「無駄なことはやめることだ」
一方で河内は背後のテーブルの上にある、先ほど小鳥が鍛錬したばかりの直剣を取ろうと、さりげなく背中に手を回しコソコソと動きを見せていた。
気づいたアマデウスは注意いた。
アマデウスは二人の緊張した表情を窺っていた。
そして沈黙のあと、ため息をつき話し始めた。
「なぜ帝国などにいる?」
二人は恐怖からか戸惑いからか返答せず、注視しているだけだ。
「ここはリックマン一族と愚かな獣人の国だ。お前たち勇者の来る場所ではない」
籠った声で悟すよう、アマデウスは二人の表情を交互に伺いながら話した。
「あなたは誰? どうしてここにいるの?」
最初に口を開いたのは河内だった。
「話してやってもいいが、まずはその背中の剣をテーブルに戻せ。無駄なことはやめろとそう言ったはずだ」
河内は先ほどの言葉が自分へのものだと知らなかったのか、あるいは動揺と緊張から声が聞こえていなかったのか、今になって図星をつかれたような表情と共に目を見開き、剣をテーブルに置いた。
「お前たちが騒がなければ私がお前たちと接触した事実は誰も知らぬまま。おかしな真似は時間の無駄を招く。お前たちの選択肢を一つ消すことにもつながる。再度問う。なぜ勇者でありながら、このような国に滞在している。魔的通信によれば、お前たちは自らこの国へ足を運んだとある。生徒数人がそう答えていることから嘘ではないのだろう」
徐々にアマデウスの口調は説教くさくなる。
「あなたには関係のない話よ。それよりあなたは何なの。何をしにここへ……」
そう言った傍から河内は気づく。
「あなたが白猫族を攫ったのね」
「取り戻した。いや、救ったのだ。地下に捕えられていた我が同胞たちは、風呂にも入れてもらえず体は汚れ、食事もまともに与えられていなかった。中には幼い獣人もいた。ウラノスが獣王の行動を封じるために連れてきた白猫族だ。間に合わなかった者もいた」
アマデウスの声は悲し気であり、その姿がまた二人へ不気味な印象を与えた。
「はずみで奴らを殺してしまいそうだ。いや、今日帝国は滅びる」
小鳥は静かに一歩あとずさった。
「滅びるって、まさか」
河内は緊張しつつも苦笑いを浮かべた。
「防壁の外で我が同胞たちが待機している。私の指示一つで帝国への襲撃が開始される。巻き込まれればお前たちの命はない」
「そんな……そんな馬鹿なことあるわけないでしょ、からかってるの? ここは帝国よ。帝国を滅ぼすなんて……ダームズケイルはこの世界で一番力のある大きな国なのよ。どこの誰だか知らないけど無理よ」
「なるほど。それを知ってここにいるということか。お前もそうなのか?」
小鳥はアマデウスに視線を向けられ目を逸らした。
「怯えることはない。私はお前たちに危害を加えるつもりはない。ただ争いの中では助けられるものも助けられなくなるだろ? だからここから逃がしてやるとそう提案しにきたのだ」
「逃がす? なんでそんなこと」
河内が食いつく。
「気の強い女だ。だが物分かりが悪そうだな。その赤ぶち眼鏡が飾りでないことを願い話すが、単純にお前たちはこの国で暮らしていて幸せなのか?」
「しあ……」
河内は微かに呆れたような表情を見せつつ言葉を止め、そして苛立ちを見せた。
「お前はどうだ、ここにいて幸せなのか? なぜこんなところにいる。こんなところにでも来なければ、今頃フィシャナティカで仲間と楽しく学園ライフを送れたはずだ。可能性が、未来が、卒業後いくつも広がっていたはずだ。だがここには二つの未来しかない」
「二つの未来?」
小鳥はようやく口を開き尋ねた。
「――滅ぼすか滅ぼされるかだ。だが世界などというものに戦争を仕掛けた時点で、いずれは滅びがやってくる。だがそれは帝国の話だ。お前たち異世界人には関係のないこと。お前たちの未来はどうだろうなあ」
アマデウスはあえて黙り、間をつくると二人に考えさせた。
「兵は戦士、すべて獣人だ。隊長格のほとんどは元獣国の衛兵。あとはどこからか勧誘してきた者。なかには身分のない輩もいる。分かるか? これは手近で用意された即席の部隊に過ぎないんだよ。今も響き続けるこの鐘の音に反応し、私を探し走り回る彼らの中に、この国へ忠誠を誓っているものがどれだけいるか……どんな見返りでここにいるかなど興味もないが、破滅したあとはその名の通り彼らはただの獣と化す。話を戻しお前たちの未来について語ろう。戦場で戦死するか、敵国の捕虜となり死ぬよりもつらい人生を送るか、国が滅び無法者と化した外の連中のおもちゃにでもされ、やはり死ぬよりもつらい人生を送るかのどれかだ」
「だからなんで帝国が滅ぶことが前提なのよ」
「こんな弱小国家に世界が取れると本気で思っているのか? お前たち異世界人はこの世界を知らぬからそう思えるのだ。魔族もいればドラゴンもいる。龍の心臓などという強力な組織もある。世間的にはお前たち勇者も脅威の一つだ。八岐の大国も今やあと4つだ。されど4つ残っている。この規模が一斉に帝国を襲ったとしよう。この国は塵と化すぞ?」
「言っていることがめちゃくちゃね」
「議論する気はない。私は教えているだけだ。お前たちは視野が狭く、無知ゆえに気づけていない。そもそも帝国が企むのはそういった規模の戦争なのだ」
「でも、それじゃあ帝国は勝つつもりがないみたい」
小鳥は恐る恐るそう言った。
「つまりそういうことだ。ウラノスは初めから勝つ気がない。心意までは知らないが、奴は勝つという言葉を一度も使わなかった。ただ世界を混乱へ導きたいだけだ。その先に奴の目的はあるとみているが、その前にお前たちは巻き込まれて死ぬだろう」
その時、外の様子が一層騒がしくなる。
微かに響いていただけの鐘の音が、同時に複数響くようになり、足音の数や甲冑の擦れ合う音、号令などの声が増え始めた。
河内は慌てて花壇の植物が邪魔をする視界の悪い窓から、外の様子を確認した。
小鳥はその背を見ているだけでその場から動かず大人しい。
「先ほど全同胞に指示を出した。今頃城下町は獣人の血で満たされているだろう。不本意だが仕方がない」
「何が不本意よ。あなたは……」
河内は話を聞きながらも逃げ出す隙を窺うほどには半信半疑だった。
だが外の様子から信じざるを得なくなっていく。
「学生には学生のすべきことがある。私には叶わなかったがお前たちは違う。望めば私がフィシャナティカまで送ってやろう。世間的には拉致されたことになっているんだ。学校側も手厚く保護してくれるだろう」
「アマデウスさんは、そうした方がいいと思ってるんですか?」
小鳥は慈者の血脈を知っていたのか、名を呼んだ。
アマデウスはそこに対し、特に戸惑う様子もない。
慈者の血脈やアンク・アマデウスの情報は、これまで一度も魔的通信に掲載されてこなかったわけではないのだ。
小鳥が知っていてもおかしくない話だった。
「西城さん、無駄よ。まともな理由であるはずないわ。この人には何か事情があるのよ」
「戻った方がいいんですか?」
小鳥は河内を無視し、もう一度訊ねた。
「少なくともここにいるべきじゃない」
小鳥は何故かアマデウスの仮面をしばらくの間、凝視し続け、そして口を開いた。
「じゃあ、私はここに残る」
一拍ほどの間があってから、
「自分が何を言っているのか分かっているのか?」とアマデウスはいった。
「人に顔も見せられないような人の言葉なんか、私は信じない」
小鳥はそれ以上は答えなかった。
「そうか……」
がっかりするようにアマデウスは呟いた。
「西城さん、私たちも行く?」
「でもここから出るなって」
二人が何やら話し始めた一方で、アマデウスはその場に黒い渦を出した。
その様子に二人の会話が止む。
「幸運は祈っていない。ただ提案しただけだ。これはお前たちが決めたこと……」
そう言い残し渦の中へ消えた。
「これも慈善事業の一環なのかしらね」
河内は見下したように吐き捨てた。
「違うわ。彼には私がここにいると、何か困ることがあるのよ」
「どういう意味?」
「さあ。私には彼の考えていることは分からないわ」
「彼って……」
河内は苦笑いをうかべた。
小鳥の口調に違和感を抱くも追及しなかった。
▽
アマデウスが小鳥と河内の前に現れるよりも少し前の話だ。
皇帝が居座る広間の扉が突然に開き、そこに、戦士長ガゼル・クラウンの姿が現れた。
その姿に広間にいた往査のウラノス、そしてその息子である次男のラージュと三男のジェイドは一斉に振り向いた。
獅子の獣人であるガゼルの図体はデカく、肩で息をするような慌ただしいその様に、ジェイド・ギュゲスは鼻で笑った。
「なんだガゼル、まるで野獣のようだぞ。そんなに慌ててどうした」
「ジェイド様、冗談を仰っている場合ではありませぬ」
ガゼルは息を落ち着かせた。
「何用だ」
王座のウラノスは静かに尋ねた。
「兵に召集をかけ、既に捜索中でありますが……地下に捕えていた白猫族が消えました」
ウラノスの目が
「なんだと……」
「それだけでなく、牢にいたはずのすべての獣人の姿がありませぬ」
ウラノスは疲れを見せるように王座の肘掛けに肘をつきながら、頭を抱えた。
「息子が帰ってきたばかりだというのに……」
「父上、白猫族とは何のことですか」
ろうそくの火が灯る複数の装飾。
それらのみで照らされた広間は薄暗い。
その声はとある柱の陰から聞こえたが、柱にもたれかかるような人影は見えるも、顔は見えない。
「獣国から連れてきた我に従わぬ者たちだ。獣王を従わせるための人質として捕えていた」
「そうですか……」
「……何を考えている」
「帝国へ侵入する輩がいるとは思えません。身内に密偵がいるのではないですか」
「やもしれぬな」
「フィシャナティカから連れてきたあの人間の仕業じゃないかなあ」
答えたのはラージュ・コットスだった。
「グレイベルクの勇者を連れ去ったという話は本当だったのですか」
また柱の陰から声が聞こえた。
「上級鍛冶師が必要だったのだ」
「軍勢など役には立ちません」
「勝つためのものではない。敵軍の相手をさせるためのものだ。それに演出にもなる」
「あの者たちであるとは考えられませぬ。というのも魔力の痕跡がないのです」
ガゼルの言葉にウラノスは表情を困らせた。
「ではまだ国内にいるということだろう。転移でもないなら物理的な手段で連れ去ったということだ」
柱の陰からそんな推測が聞こえた。
「ガゼル、お主が指揮を取れ。そして密偵を探すのだ。消えてしまったものは仕方がない、問題はどこの国の者かということだ」
ガゼルは一礼し、広間を後にした。
「どうせ八岐のどれかだろ」
ジェイドは呆れた素振りで答えた。
「獣国と裏でコソコソやってたダームズアルダンは?」
一方でラージュは楽しそうだ。
「シュナイゼルか……なつかしいな。だがシュナイゼルはここ最近、最愛の息子を不慮の事故で亡くし、その上、なんでもとある宗教組織に目を付けられ憔悴しきっているという話ではなかったか」
ウラノスは疑問を残しつつ息子たちに尋ねた。
「あれはなかなか面白い話だよね。魔的通信が情報提供を呼び掛けているくらいだから、よほど何も分かってないんだろうけど」
「確か、慈者の血脈とかいう連中だ」
ジェイドは思い出したように答えた。
「各地の村や町に拠点を持ち、人間の暮らしを支えるなんていう、おかしな活動をしているらしい。だがここ最近になって、例えばラグーの町民が消えた一件や、小国カトレアが一夜にして消えた一件なんかに関わってるんじゃないかと、一部でそうささやかれ出した」
ジェイドは腕を組み、記憶を探りながらそう答えた。
「つい数ヶ月前まで平和の国と謳われていたダームズアルダンが、今や虐殺大国と称され、王は“子殺し”の異名で呼ばれる……一興とするにも謎が多すぎる」
ウラノスは無表情にそう語った。
「考えることは皆同じだということでしょう」
ウラノスは声に反応し、柱へ振り向く。
「父上がそうであるように、俺たち三人がそうであったように、誰もが暗躍し目論む……捕虜が姿を消したこともその一つです」
「……足元をすくわれたと、そう言いたいのか」
ウラノスは声の意図を先読みするようにそう答えた。
「欺こうとする者は欺かれることを考えていない、ということです。この力をお返ししましょうか?」
「よい、それらお主に引き継がせた者だ」
ウラノスは一つため息をつくと話を続けた。
「上手に使いこなせているようで何よりだ。だが3人のうち失敗したのはお主だけだ」
「あのような
「ならば我も認めよう。だがあの力の前では、リックマンの血もビクトリアの魔法も意味をなさない。けなしているのではない、同情しているのだ。嫌味なくな。命じたのは我だ。だがこの20年は意味がなかった」
「そもそも俺たちは意味をそれほど詳しく聞かされていません。まだ幼かった俺たちは、ただ父親の命令だからと考えなどなく従っただけです……いつしか当たり前になっていた」
「意味はあった。峡谷都市パルステラは魔族領のさらに東に位置していた。一族を滅ぼした愚かな魔族を見張っていたのだ。ラージュにはラグパロスを調べさせ、随時報告をさせていた」
「ラグパロスがリックマン一族を? どういうことですか。俺はそんな話は聞いていません」
「そうであったか?」
「俺は魔族が滅ぼしたものとばかり思っていました」
「そうか……だが無理はない。当時の詳しい状況は我ですら知らん。その首謀者がイグノータスという魔国の中でも蔑視されているラグパロスの者であると知ったのは、我がまだビクトリアで魔導師見習いをしていた頃の話だ。魔族はそもそも多種族に興味を示さぬ生き物。繁殖力が乏しくそれどころではない。遺伝子にそう刻み込まれているのだろう」
「ではなぜ魔族は一族を滅ぼしたのですか」
「ラグパロスの魔族には人間の血が流れている」
「………恨みですか」
「ラージュ曰く、魔族で温厚なのはウルズォーラの王だけだということだ」
「ウルズォーラだけというか、他の二国がなんだか殺伐としてるんだよ。魔国で穏やかなのはウルズォーラだけさ」
ラージュは意気揚々と答えた。
「その話のどこに意味があるのですか」
「平たく言うならば脅威の監視だ。ラージュに魔族を監視させた。ジェイドにはモッドヘルンにてエルフとドワーフの監視だ」
「エルフとドワーフ?」
「かつてモッドヘルンは、国を滅ぼされ行き場を失ったエルフやドワーフなどの種族を囲ったのだ。ドワーフは武器や防具の鍛錬に優れ、エルフは魔法の付与に優れていた。彼らの鍛冶技術と錬金技術を独占したことで、モッドヘルンは極寒と呼ばれる辺境の地において大国と呼ばれた。だがこの20年でモッドヘルン人と同化したエルフやドワーフの血は絶えてしまったらしい。気候が合わなかったそうだ」
「では、俺はなぜあの国だったのですか。あの国には何もなかった……」
「勇者なる存在への警戒だ」
「勇者ですか? ですがあの国と勇者は!……」
その時、広間の真ん中に黒い渦が現れた。
それは空間をなじり巻き込むように拡大し、するとそこから白き者は現れる。
「なんだ……」
そしてウラノスがそう呟くころには、そこにアマデウスは現れていた。
「噂をすれば、か……面倒ごとばかり起こりよるわ」
ウラノスは辟易したように吐き捨て、現れた者に笑みとため息を向けた。
「初めまして、皇帝。私はアンク・アマデウス……このくだらぬ国を破壊しにきた者だ」
アマデウスは一人、広間の中央に現れそう告げた。
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