第273話 深淵に潜む者たち

「アドルフだと……あんたが」

「ん? 少し口調が変わったね。それに心も何となくだけど乱れているようだ。僕が君と同じように深淵を有しているからかい? それとも別の……うん。これは別に何か理由があるみたいだね。なんだろう、凄く気になるなあ」

「あんたは……カタールの酒場にいた」

「ん、カタール? それは一体何の話だい? いや……ああ、そうか。そういえば数か月前に行ったよ。確かに行った。でもなんで君がそんなことを知って……」


 アドルフの言葉が止まった。

 すると癖のなかった笑み、さらに砕けた友好的なものへと変っていく。


「ああ、そうか。君はあの時の……なるほど。ダンジョンは楽しかったかい、ニトくん」

「……」


 アドルフの言葉に、王座のウラノスの目つきが据わった。


「アマデウスはニト……なるほど。思えば似たようなことを口にしておったな」


 だがその表情はしばらくして皇帝の威厳を取り戻す。

 一方でラインハルトはまったく表情を変えずにアマデウスを見ていた。


「王都を旅立って以降、お前にも何か変化があったようだな。だがその片鱗は既に見つけていた。お前が隠すその異常性に、俺はあの戦場で既に気づいていた。お前は騎士や冒険者の面前で、躊躇いもなくギドを拷問にかけた。おかげで治療するのに時間がかかった」

「ふっ、拷問か。なんだ。獣人がどうと言っておきながら、お主も大概く狂っておるなあ。拷問とは、我でもせぬというのに」


 ウラノスが嘲笑うようにそう言った。


「感謝してもらいたいものだ。お前が無事にラズハウセンを出られたのは、俺が王にお前の行いを伏せて報告したからだ。もちろんそれ以上にお前を英雄視する声が多数であったことも事実だが、冒険者一人の処遇など、俺の裁量一つでどうにでもできた」

「ラインハルト……」


 アマデウスは声は低く、まるで唸るようだ。

 だがそれ以降の言葉がない。


「英雄に甘んじていれば良かったものを、君は一体なのためにこんな身なりをしているんだい。慈者などと名乗り各地で人間を助け、君は一体なにがしたいのかなあ。でも、およそ都合のいい言葉をシンボルにする組織が、清廉潔白であったことはない。それは君の渦巻く感情が物語っているよ」

「……」

「冥王様。そやつはどうやらこの国を滅ぼしに参ったようです」


 ウラノスは王座からたち上がるとそう言った。


「うん、知ってるよ。外のあの白い連中は君の部下だよね」

「……」

「……なんで黙ってるんだい。図星がつかれたのがそんなに恥ずかしいか? 英雄ニトくん。でも、これだけわきが甘ければいつか誰かが気づいたよ。それに君が気づいていなかっただけさ」

「……」


 それでもアマデウスは何も答えず、すると広間に響くほどの深呼吸をした。

 そして息を吐き切りしばらくして、口を開く。


「アドルフ……あなたは龍の心臓のアドルフなのか。それともそれとは無関係な存在か」

「ウラノスに聞いていた通りだ。どこで知ったのかは知らないけど、どうやら君は僕についてそれなりに知っているようだね」

「……当たりか」

「そうか、君も感情感知は使えるんだね。ふっ、気持ち悪いな。これじゃあ心を落ち着かせられないじゃないか、やめてくるかなあ」

「ふざけた奴だ。話に聞いていたよりも横柄で態度がデカい」

「はっはっはっ! 態度がデカいか、そうか。でも誰に何を聞いたのか知らないけど、僕は君の言うアドルフで正解だよ。だから君はもう少し僕を敬うべきなんだ。僕の方がかなり年上で、さらに深淵使いとしても先輩なんだし、それに確か困っているというから、カタールの町ではスキルまであげたよね。君はそんな親切な僕にそんな偉そうな感情を抱くのかい」

「……カリファさんから聞いた」

「なんだって」

「カリファさんだ、知っているだろ」


 その瞬間、広間の大扉が爆発した。

 そして目の前にいたはずのアマデウスの姿がない。

 今の一瞬で広間の天井や柱や壁、その多くが壊れ、曇り空が差し込んだ。

 広間に煙に満たされ、すると大扉付近で音が聞こえた。


「くっ……」


 瓦礫の山が動き、そこからアマデウスが姿を現す。


「どういうことだ」


 そしてアマデウスが体勢を整え、再び前方に直立する頃、アドルフの表情は先ほどまでとは違う、恐ろしく冷たいものへと変っていた。

 近くにいたラインハルトですら、冷や汗を浮かべている。


「彼女は記憶を失っているはずだ。僕のことすら覚えてはいなかった……」


 アマデウスの仮面の間から微かに漏れていた荒い呼吸が止んだ。


「深い悲しみを感じる」

「勝手に読むなよ」

「対面するだけで感じ取れてしまうのだから仕方がない。それにしても素晴らしい力だ。蹴飛ばされたのはゼファーのダンジョンに入って以来だ」

「ゼファーだと!?」


 アドルフはその言葉に怒りにも似た表情で驚く。

 するとその瞬間、アドルフの頬にアマデウスの右足が直撃していた。

 次の瞬間には広間の窓ガラスが一斉にすべて割れ、壁面が全壊した。

 突然に押し寄せた突風に煽られたラインハルトは、歯を食いしばり踏ん張る。


「どうやら私も一つ、あなたの図星をつけたようだ」


 瓦礫に埋もれたアドルフを見下すように、意気揚々としたアマデウスの声が聞こえた。

 だが瓦礫がはじけ飛ぶように飛散し、中からアドルフは姿を現す。

 そして立ち上がるなり、アドルフはその鋭い視線をアマデウスへ向けた。


「なぜ……君が《神速》を持っているんだ。それに、君の動きにはどこかイライラする。まるでかつての友の姿を見ているようだ。僕から親友を奪った友の姿を……」

「シャオーンに貰ったんだ」

「なんだと……」

「話をする気にはなれないな。まさかあなたがあのアドルフだとは思っていなかった。だがそうだというなら、本当にあなたが生きていたのだとしたら、聞きたいことがいくつかある。口には出さないが、みんなあなたのことは死んだとばかり思っていただろうから」

「……嘘だな」

「嘘とは?」

「僕らのことをどこで調べたのかは知らないけど、そんなはったりは通用しない。僕らは当時であれ伝説の存在だと称されていたが、姿を消して以降は神格化されていたほどだった。子供は復讐神の名を口にちゃんばらごっこ、シャオーンの名を語り盗賊ごっこ。ある日であった者はカリファの名を語り、僕をアドルフとも知らず詐欺を働こうとしていた。だがそれはほんの一部にすぎなかった。僕らが姿を消したことをいいことに、誰もが名を悪用した。些細なことさ。だが僕は我慢ならず、名乗った者を皆殺しにし、不用意に名乗れば殺されるという風習を広めた。だがかつての栄光は戻らず、僕らはもう存在していないのに、恐怖の象徴となってしまっていた……分かってるさ」


 アドルフの表情と声が徐々にデタラメなものになっていく。

 表情は激しく笑っているというのに、口調は穏やかだ。

 だが時折、突拍子もなく口調が強くなる。

 そして話す内容は支離滅裂。


「僕のせいさ……分かってる。だから龍の心臓に関わるものはすべて消した。消した……けしたはずだ……あれ? じゃあ君は、なぜ僕らのことを知っているんだ」


 アマデウスは語らず、しばらくその様子を見ていた。


「かつて神国という地が存在したという」


 するとアマデウスはそう切り出す。

 その言葉にアドルフは反応し、独り言を止めた。


「神国メウィノースピア……懐かしい響きだ。かつて栄えていたワインの都、ルージュゲルト。僕らはその次に、あの国を選んだだんだ。それが僕らにとっての最後の旅だった」


 アドルフの表情が切り替わるように穏やかになる。


「俺があなたに聞きたいのはそこだ。話す内容からして、あなたがアドルフであることは間違いないのだろう。そうだというのなら教えてくれ、ゼファーやシャオーン、いや、カゲトラの身に、一体なにが起きたのかを」

「ああ、カゲトラか……懐かしい名前だ」

「彼は、今どこにいる」


 その時、アドルフの目つきが冷たいものに変った。


「カゲトラなら、もうとっくの昔に死んでいるよ」

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