第248話 欺かれた愚者

「何をしている?」


「……」


「あの魔法……あれを使うべきであると、そう判断したのか?」


「それは……」


「見失ったか?」


「私はただ、国のために――」


「自分を見失ったのだ。だから直ぐに言葉が出てこない」


 現れたルシウスさんはリサさんが魔法を使ったこと。そして彼女たちを傷つけようとしたことを咎めているようだった。

 だが先に手を出したのは彼女たちの方で……。


「マサムネくん。同じ種族同士、理解し合えるのかどうか……そこに思考を向け、諦めないことが私の考えだ。直ぐに切り捨てるべきではない」


 まるでリサさんを含め、俺に対しても言っているかのようにルシウスさんは語る。だが視線は常にリサさんを見つめていた。


「話は終わりだ。リサ、仕事に戻りなさい」


「……はい。申し訳、ございません」


「君たちもだ」


 ルシウスさんは振り返り、彼女たち蜷局族にも視線を向けた。


「国へ入ることを私は咎めない。観光が目的なら誰でも受け入れる。だが、人攫いを受け入れるほど、私は愚かではない。それに、私はカサンドラを許した訳ではない。許すことなど、できはしない。理解していてもだ。そして、彼女に忠誠を誓い彼女の思想を重んじる君たち蜷局族を、許すこともない。理解していてもだ。もう……国へ帰りなさい」


 しばらくの間が空いた。マリシアスはルシウスさんの言葉を呑み込むように「はい」と短く返答した。その表情には微かな悲しみがあった。


「シャステインは、直に滅ぶでしょう……」


 そしてそう呟くマリシアス。


「それは違う。君達の思想が国を滅ぼすのさ。カサンドラが死んだところで、あの国が亡ぶことはない」


「お分かりのはずです。王が務まるのは――」


「――女性のみだろ?……だから言っているんだ。思想が国を滅ぼすと……さあ、もう帰りなさい」


 マリシアスは最後まで、無念さを噛みしめるような、そんな悲しげな表情をしていた。そして問題は解決されないまま、彼女たちは去っていく。


「トア、今日は休みなさい」


「え?」


 蜷局族の姿が消え開口一番に、ルシウスさんはトアに城で休むように促す。だが、まだ早すぎる。


「疲れた顔をしている」


「でも…………うん。分かったわ」


 だがトアは何も言い返さず、受け入れた。

 疑問はあった。だがおそらく何か、、あるのだと、俺は受け入れていた。


 リサさんは何故、怒っていたのか?

 リサさんと蜷局族の関係は?

 あの、どことなく深淵魔法にも似た炎はなんだ?

 何故、猫族のリサさんを“人間”と呼んだ?

 俺には知りたいことが山ほどあった。


 ルシウスさんはおそらく俺の溢れる疑問に気づいているだろう。

 だが気づいているはずなのに、何も答えず、気づくと姿は消えていた。







 その夜、ここに来て何度目かのディナーを御馳走になっていた。

 以前、トアに“城にいたころは何を食べていたのか?”と、そう尋ねたことがある。

 トアがワルスタインの肉を初めて食べるかのように、かぶりついていたからだ。


 正直、魔族の食べ物は上手かった。というより、味が濃い。

 と言ってもこの世界に来てから薄味の食べ物など、思えば食べたことがない。

 基本、濃いめの味つけだ。だがそれらと比べても濃かった。


 何を原料にしているのかは分からないが、ゼラチン質の透明のジュレを肉にも魚にもデザートにも、何にでもかけて食べる習慣があるらしい。

 そのジュレというのが、肉にかければ肉の味を引き立たせるスパイスになり、魚にかければ先程とは味の違うスパイスになる。そしてデザートにかければ、肉や魚にかけた時は塩分のきつい味であったはずが、甘い味に変わる。なんとも魔法のような食べ物であった。


 俺は特に問題なく食べられたし、むしろ新鮮で美味しいくらいだったが、どうもネムは口に合わなかったらしく、ジュレをよけていた。


「ねえ母様? 今日も姉様は帰らないの?」


「明日には帰ってくるでしょ? いつものことよ、きっと仕事が立て込んでいるのでしょ?」


 いつものことだ。トアが俺も見たことのない姉のロザリアさんについて尋ねるのは。


「その、ロザリアさんは何の仕事をされてるんですか?」


 流石に気になり尋ねると、それにはルシウスさんが答えた。


「それは言えない」


「え?」


「極秘だ。それ以上は話せない」


 そこで会話が止まり、沈黙が流れる。

 気まずい空気が流れ少し後悔したが、ならば”聞くな”という合図くらい出しておいてほしかった。


 そしてたまたまエレクトラさんと目が合うと、エレクトラさんは優しげな笑みを浮かべていた。感情は申し訳なさそうだ。

 極秘ということだが……何かマズイことでも聞いてしまったのだろうか?

 俺はそれ以上は特に聞かず、その場を沈黙でやりきった。


 そしてディナーも終わり、空をいつもと同じ闇が包んでいた。

 トアはまたエレクトラさんに促され、寝室へと連れていかれる。俺はトアが寂しがらないように、スーフィリアとネムについて行くように言った。


 そしてまた、俺は一人……。

 ハイルクウェートで手に入れた《死と生の愚弄ぐろうあざむき》を眺めながら、一人、この大庭園を歩いていた。

 俺しかいないというのに、俺が現れる前から庭園には雰囲気を壊さない、シャレたいくつかのライトが照らしていた。


 暇があれば、俺はこれを何度も読み返す。

 これで間違いない――と、そう確信したあと時から、ずっとだ。


 俺は、《未来の俺》の言葉を疑っていた。

 “学院にある”……だが学院などハイルクウェート以外にも沢山ある。

 三大魔法学校がすべてじゃない。だがあのタイミングでは、ハイルクウェートを示していると、そう判断しやすかった。

 俺は鵜呑みにし、禁忌の部屋の存在を知り、この本と出会った。

 何とも出来過ぎた話だ。簡単すぎた。


 この本が正解だとすれば、《俺》は一体、何故間違いを犯したのか?

 何故、トアを救えなかったのか?……この本を手に取る時、俺はいつもそれを考える。


 だが、俺は自分の選んだ人生を生きている。

 《俺》のいた世界が、今の俺と同じである確証はない。

 そこで一つ思ったことがある。もしかすると《俺》は魔法学校に行かなかったんじゃないか、ということだ。

 どちらかと言えば、俺は学校という環境に拒否感を示していたし、《俺》が魔法学校に身をおくことを選ばなかったのだとしても、それは理解できる話だ。

 だから《俺》は、そこに答えがあったはずだという希望的観測のもと、俺に学校へ行けと言った……そうも考えられる。


 するとその時、庭園と隣合わせの部屋――あの鏡が置いてあった部屋だ。そこに灯りを見つけた。

 それが気になり一度庭園から離れる。すると案の定、ルシウスさんの姿を見つけた。


「夢遊病か?」


「散歩ですよ」


 またいつものように《世界鏡》を眺め、背中を向けたまま語るルシウスさん。

よく飽きないもんだ。


「それだけ重要なのさ。これはね……」


 また感情を読まれてしまった。

 この人と話すと気が抜けないから面倒臭い。


 するとおもむろに振り返ったルシウスさんは、「珍しいものを持っているね?」と、俺の左手にある書物を見た。


「これは……大したものじゃないですよ」


「《死と生の愚弄と欺き》……“大したものじゃない”、か……禁書だよ?」


 なんで知ってるんだ。そんなにメジャーな書物なのか?


「もとはここにあったものだ。だが随分昔に盗まれた。どこで見つけたんだ?」


 なるほど、そういうことか。


「ハイルクウェートです。学校の、禁忌の部屋で見つけました」


「なるほど、そんなところにあったとは……」


 そう言いながら、ルシウスさんは微かな優しい笑みを浮かべた。


「君も、あまり真面目な生徒ではなかったようだね……」


「ま、まあ……そうですね」


 “君も”という部分が少し気になったが、俺は気にせず苦笑いで誤魔化す。


「私もよく授業を抜け出しては、彼と共に書物を漁ったものだ」


「彼?……誰のことですか?」


「ん? 決まっているだろ? その本の著者さ」


 そう言われ、俺は本の最初のページを開く。

 するとそこに著者の写真と名前があった。


「ローグ・ジョーカー・ラビッツ……」


「魔法の才に恵まれ、だが悪戯好きな男だった。彼の生み出した魔術は、ことごとく周囲を馬鹿にしたものばかり。その本もそうだ。彼はそれを“集大成”だと言っていた。“集大成にして原点”だと……今ならその意味も分かる気がするよ。当時は《感情感知》も使えず、ローグの言っていた言葉の意味は、何一つ理解してやれなかったが……」


「その、ローグさんは今どこに?」


「……もういない。彼は死んだ。もう随分と昔のことさ。彼は亜人だったんだよ。魔族と亜人とでは寿命に大きな差がある。同じ時間は生きられない」


 ルシウスの中に微かな悲しみを感知した。そこには懐かしさも含まれている。

 そして、ルシウスさんは俺がそれを感知していると気づいているだろう。


「まだ今よりもずっと若かった頃の私は、その時初めて、ずっと軽視していたアダムスの言葉の意味に気づいたんだ……思えばそれを教えてくれたのもローグだった」


「アダムスの言葉ですか? それは一体どういう……」


 俺はアダムスが残した三つの警告文を思い出していた。

 深淵に染まる、呑まれる、落ちるという、あの言葉のことだ。


「一つ、深淵について話そう。何故、深淵魔導師を“愚者”と呼ぶのか、その意味についてだ」


 するとルシウスさんは改まったように話し出す。


「簡単な話だ。寿命を失うからだよ。深淵に染まった者は、寿命を失う……その者は不老となり、死して尚、《存在》として生き続ける。肥大した膨大な存在は、その者に決して死を与えない。それがどういうことか、マサムネくんには理解できるか?」


「……なんというか、でも不老不死って大体みんなが望むことですよね?」


「人間には憧れの存在だろうね? 彼らはこの世界において最も短命だし、意思があり言葉を返す生命の中では最も早く死ぬ。だが、アダムスはそれを愚かだと、そう言っているんだよ」


「だから……深淵の愚者だと?」


「もちろんそれだけじゃない。だが……そういうことだ。そしてローグは、それをまた別の角度から考えていた」


 ルシウスさんは時折言葉を詰まらせる。言葉を選んでいるのだろうか?


「老いた彼がその生涯を終えた時、私は今よりもずっと若々しい姿で彼を見下ろしていた。生前、彼は老いた容姿とその瞳で、死するまでの時間のすべて、魔法を生み出すことに注いだ。もちろん、私も手を貸したよ。授業を抜け出しては図書室で本を漁ったあの頃のように……今となってはただ懐かしいだけの記憶だ。だが、彼はどう思っていたんだろうね?」


 俺はその漠然とした問いの意味が分からなかった。


「今なら分かる気がするんだ。シワだらけの手で書物を漁り、筆を取り、毎日、……“これが最後だ”と、そう呟く。その隣には、衰えることを知らない若々しいままの魔族がいる……ローグは私を、どう思っていたんだろうね?」


 ルシウスさんの言いたいことが、何となくだが分かったような気がした。


「ローグは決して性格良い男ではなかったよ。だが私にとっては勿論、今も昔も親友だ……《死と生の愚弄の欺き》。今の私には、彼がタイトルの始まりに《死》を選んだことすら、意味のあることのように思えてならない。ローグの最後の悪戯だ。きっとローグは、私を疎ましく思っていたのだろうね……」


 少しばかりの沈黙が流れた。気づくと俺は本を手渡し、ルシウスさんは懐かしむように本のページをめくった。


「そんなローグの悪戯、、を、君は一体、何に使う気なんだ?」


 突然に聞こえる核心的な質問。俺は言葉が詰まった。

 『トアが死ぬかもしれない』……とは言えない。


「言っておくが、これは君の思っているような都合の良い魔法ではないよ? 言っただろ? 彼は性格の良い男ではなかったと?」


「……」


 でも、これは唯一の希望だ。そう成り得る可能性を秘めた……希望。


「その本についてなら何でも答えられる。もちろん、ローグ以上には答えられないだろうけど」


 俺はルシウスさんから本を受け取った。亡くなった友人の形見だというのに、ルシウスさんは躊躇うことなく、それを俺に返したのだ。


「知りたければ教えるよ。ローグ同様、私もいつまでも生きている訳ではない。知りたいことは聞くことだ」


 俺はそこで話を変えた。


「じゃあ、何故リサさんが深淵の魔法を使えるのか、それについて教えてくれませんか?」


 俺がそう尋ねた時、ルシウスさんは無表情のまま、まるで疑問を浮かべた者のそれに似た感情を抱いた。

 俺は質問の意味が伝わっていないのかと思ったが、「それは誤解さ」という言葉と同時に、意味を理解する。


「リサは深淵の愚者ではない。君が見たのはリックマン一族の魔術だ。あれは深淵魔法ではない」


「でも、リサさんの魔法はまるで意思を持っていたかのように――」


「――深淵魔法にも似たものがあるのか?」


「え?……はい。似たものならあります」


「だとすれば、もしかするとあれは深淵魔法を模して考案された魔法なのかもしれないね」


 俺はそこで話の主旨にズレを感じ、「リサさんは何故あんな魔法を使えるんですか?」と最初の問いをもう一度ぶつける。


「なるほど……そういえばマサムネくんは異界の住人だったね」


「……」


「リックマン一族とは何か? 君のその疑問を晴らすには、まずそこから話す必要がある」


 するとどこからともなく椅子とテーブルが現れ、ルシウスさんは腰を下す。

 促され、俺も席についた。


「それで、リックマン一族とはなんですか?」


 俺はその答えを思わず欲するように再度問う。


「リックマンとは、強大な魔力と高度な魔術の知識を有した、ある人間の一族のことだ」


「人間ですか?」


「人間だがその魔力は魔族にも匹敵する。最後の長を務めていたリックマンは、当時、魔族の王と同等の魔力を秘めていたほどだ」


 人間にして魔王と並ぶ存在……それがリックマン一族か。


「だが、彼らは滅びた。その生き残りがリサーナだ」


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