第247話 リックマン一族

 帰路はありふれた森林。町での観光を楽しみにしていたはずが、気づけば俺たちはまたこの道を歩いていた。


 俺の右足元にはネムが若干すねた様子でトボトボと歩いている。

 左ではトアが少し申し訳なさそうな雰囲気を醸し出し、自分が歩いている道の先ばかりを見つめている。

 その斜め後ろにはいつもと変わらない表情のスーフィリアだ。


「また明日いこう。明日ならリサさんも許してくれるだろうし」


 とは言ったものの、状況が立て込んでいるということ以外には、俺は何も分かっていなかった。

 あの蜷局族とぐろぞくとかいう集団が現れたことが問題だというのは分かる。

 では何が問題なのか? 彼らがシャステインの魔族だからか?

 他国の者が無断で国に侵入してきたのだから確かにそれは問題だろう。だがそれにしては、リサさんの雰囲気はどこか落ち着いていた。

 少なくとも戸惑っている様子はなかった……。


 そんなことを考えていた時だった。

 目前に湖へと続く分かれ道が現れる。

 そして待っていたかのように、そこに先ほどの白装束の者が三人、立っていたのだ。


「あれは……」


 確かマリシアスとか呼ばれていた女だ。左右にいるのはエモとドーマ。そう呼ばれていた者たちだ。


 俺が気づく頃にはトアたち三人も奴らに気づいていたようで、どうすべきかと考えてみる。

 挨拶でもするか? だが止まるのは面倒臭いし、できれば関わりたくない。

 ここはあまり目を合わせないようにそのまま魔王城へ帰ろう。トアにとってもそれが一番だろう。

 だがやはりそういう訳にもいかなかった。


「トアトリカ様」


 マリシアスが歩み寄ってきたのだ。

 トアが足を止めたため、俺たちも止まらざるを得なくなる。

 そしてそのタイミングで俺は、こいつ以外にも周りの森の中にちらほら、いくつかの魔力があることを感じとっていた――囲まれている。


「先ほどは挨拶もせず申し訳ありませんでした。私はシャステインのマリシアスと申します」


 “申します”と言われても、こっちは何も聞いていない。

 だが彼女は俺たちに言っている訳ではない。トアに対してのみ話しかけているのだ。それは分かった。


「道を開けていただけませんか? 用があるのならリサさんを通してください」


 ここにリサさんがいたなら、これを良しとすることはないはずだ。


「人間の分際で気安く話し掛けるな!」


 実に丁寧な、、、あいさつだ。その声は辺りの森にも響き、俺の言葉など散ってしまった。


「猫族が一人、人間が二人……トアトリカ様? 魔族の王女であるあなた様が、一体何故、そのような者たちと行動を共にされておられるのですか? 猫族だけならまだしも、彼ら、、は劣等種ですよ?」


「……誰?」


 だがその言葉にトアは戸惑っている様子だった。つまりトアには面識がない。

 さてどうしたものか……だがやることは決まっている。


「人間の分際で口を挟んで申し訳ないんですが、一応、俺はルシウスさんからトアを守るように言われていますので、間に入らせてもらいます」


「何? 魔王様が……お前を?」


「そう言いましたけど?」


「マサムネ」


 緊迫した会話に嫌な予感でもしたのか、トアが俺の顔を心配そうな眼差しで見つめていた。


「騒ぎはおこさない」


 念のため三人に行動の心意を伝えておく。


「ふっ……お前のような人間に、魔王であらせられるルシウス様が頼みごとなどなさるはずがなかろう? ふざけた戯言はやめろ!」


「信用してくれなんて言ってません。とりあえず、森に隠れている連中をどうにかしてくれませんかね? まさか、トアを攫うつもりですか?」


「……そうだとして、一体お前に何の関係がある? これは魔族の問題だ。人間がしゃしゃりでる余地はない」


「余地があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。トアだけじゃない。俺たちに手を出すのなら……黙ってないぞ?」


「フハッハッハッハッ! それは脅しのつもりか? まったく! これだから人間は愚かなのだ! まるで状況を理解していない」


 その時、マリシアスが何か合図をしたのかどうかは分からなかったが、森の中より、先ほど町にいたはずの白装束の者たちが一斉に姿を見せる。

 そして現れた時点で俺たちは周囲を囲まれていた。


「なんでこんなことになってるんだ?……」


 思わず疑問が零れたが、トアでさえそれは分からない様子だった。


「トアトリカ様、我らと共にシャステインへ行きましょう。あなたが我が国の次代の王となるのです。それが、亡きカサンドラ様がお告げになった最後の言葉です」


 あいつに最後の言葉などあっただろうか?

 カサンドラはトアが躊躇いなく切り殺してしまって、あの時、遺言も聞いていない。

 そんなことを言える状況でもなかったはずだ。


「トアは行かない。お前たちももう国へ帰れ」


 優しく言って聞く耳を持つような連中ではなさそうだ。

 良く見れば、全員の目が完全にいつかダンジョンでみたシャオーンと同じ目をしているじゃないか。

 蜷局族と言っていたが、蛇人と何か関係があるのだろうか? 見た目は普通の人間の女性だが、目は完全に蛇だ。そして威嚇を始めた者から順番に、口元から牙も見える。


「初めからお前になど興味はない。必要なのはトアトリカ様だけだ」


 お前たちにはここで死んでもらう――というようなお決まりのセリフを言うまで待ってやろうかと思っていた。

 その間にどう対処するか、魔法の選択について考えるつもりでいたのだが……奴らは時間など与えず、何の合図もなしに一斉に飛びかかってきた。


「マサムネ様!」


 焦る表情で俺にどうするかと尋ねるスーフィリア。

 俺は頭の中で固有スキル《神速》を、《辟易へきえきする堕者だしゃ》へ反転する。そして即座に行使した。


 その直後、俺以外のすべて――その時間が停止したかのような錯覚に襲われる。

 俺たちを囲むように一斉に飛びついた蜷局族が、空中でその動きを止めたのだ。

 だがこれは実際のところ、止まっているように見えているだけだ。微かに時間は動き続けている。


 だがこのスキルにも弱点はあった。それはトアやネム、スーフィリアの動きも遅くしてしまうことだ。

 みんな、俺とは違う時間を生きている。


 ゆったりと動き続ける時間の中、俺は彼女たちの様子を窺いつつ、どう処理すればいいのかと考えていた。

 殺すのは不本意だ。獣人だか魔族だか、その正体は蜷局族という以外には分からないが、人間ではない以上、気が進まない。


 トアにとって敵国であろうと、彼女たちを殺すことはこの世界のためにはならない。ではどうすればいいのか?…………。


 そんなことを考えていた時、俺の右手から普段、深淵魔法を使った時のような影が零れている、、、、、ことに気づいた。

 赤黒い、砂鉄のような影だ。

 それが俺の右手から削れるように、上へ上へと零れ、、、消えていく。


「……なんだこれ?」


 スキルを使ってこの影が出たのは初めてだ。だが今回はいつもと何か感覚が違う。

 何か……喩えるならこれは《喪失感》だ。何かが失われていくような、そんな感覚を微かだか覚える。


 急いだ方が良さそうだな……。


 何かは分からないが、あまり長くこのスキルは使えないらしい。それが感覚的に理解できた。


 俺は自発的な影を出現させ右手を一振りし、とりあえず周囲の彼女たちをトアから遠ざけようと、軽く影で振り払った。

 直後、スキルを解除する。


「ぐわぁああああああ!」


 解除と同時に、影は俺の体のサイズに不相応な大きさのマントのようになり、周囲を仰ぎ勢いよく彼女たちを払い飛ばした。

 森に響き渡る悲鳴。それほど強く振り抜いたつもりはなかったが、どうやら少し強過ぎたらしい。数人、森の中へ姿を消した。

 思ったよりも、彼女たちは強くないのかもしれない。口調だけは強気だったが。


 魔族だから、人間を相手にするよりも少し力を加えてみた。

 だが思えばダンジョンの生き物でもない限り加減は必要であり、そうでなければ俺は簡単に殺せてしまうほどの力を持っているのだと、もう少し自覚するべきなのかもしれない。


「《猛毒シャフォールの奔流・ポイズン》!」


 その時、魔法を詠唱する声が聞こえると、前方にマリシアスの姿が見えた。

 こいつだけは意外にもくたばって、、、、、いなかったようだ。

 だが、丁度マリシアスの後方に二人、エモとドーマの姿が見える。二人もどうやら堪えたようだ。


 俺は目でマリシアスを捉えたと同時に、気づくと彼女の感情を感知していた――同胞への強い感情。これは愛だろうか?

 訳すなら、それは《守りたい》という感情。

 俺が追撃するとでも思っているのだろうか?

 だがマリシアスの表情から察するに、俺の分析はそれほど間違ってはいないように思えた。


 おそらく、今の一撃で俺の力量の一端でも理解したのだろう。だから焦っている。


 マリシアスは両手を正面に付きだし、濃い紫色の魔法陣を俺へ向けた。直後、そこからドロドロとした得体の知れない濃い紫色の液体が放出される。

 ドロドロしているというのは俺の主観だ。

 それは軽くヘドロが飛び出たような、そんな生易しい魔法ではない。いつか見たヌートケレーンの咆哮ほうこうのように範囲は広く、勢いは凄まじい。

 勢いに乗りきらなかった魔法の一部が周囲に飛び散り、付近の木の一部を溶かす様が見えた。そういう魔法か……。


 俺の背後にはお前らが求めているはずのトアだっているというのに、こいつはそれを躊躇いもなしに放った。

 冷静ではない。どうやら焦りに感情を乱されてしまったらしい。


「《術式破壊ソウル・ブレイク》!」


 だが俺はその咆哮、、が目前まで迫ったことを確認したところで、軽く魔法を放つ。

 直後、木をも溶かす毒液の咆哮は突然に動きを止め、内側に吸い込まれるように収縮を始める。いつもと同じだ。

 そして前方からそれらは綺麗に無くなり、最後、マリシアスの掲げていた魔法陣はガラスが割れるように砕け散った。


「……」


 何が起こったのか分からず、この現状を理解できず、ただ口を開け茫然とするマリシアス。


「俺たちは城へ戻りたいだけだ。攻撃は止めろ。森の中に飛んで行ったお前の仲間は、もうとっくの昔に逃げたみたいだぞ? お前たちももう国へ帰れ」


 先ほど影で払い飛ばしたうち、森に飛ばされてしまった者はどうやら逃げ出したらしい。

 残ったのはこの三人だけだ。


「ひ……必要なのだ……我らには、王が必要なのだ!」


 言葉を失うほどに動揺していたはずが、マリシアスはそれでも俺を睨む。呆れた連中だ。


「だったらお前が王になればいいだろ? カサンドラは死んだんだ。別に他国の王女を拉致しなくたって、強い奴はいくらでもいるはずだ。もう国に帰れ」


「分かっていない……お前は何も分かっていない! カサンドラ様は王女を授からなかったのだ。先の戦いで人間の冒険者ニトに殺され、残る王子もあと数名。だがしかし、男では王は務まらない……」


「務まらない? 言っている意味がさっぱり分からん。そもそも俺たちに何の関係があるんだ? それはお前の国の話だろ? トアにも関係ない話だ」


 関係はあるだろう。カサンドラを殺したのは俺だ。厳密に言えばトアが殺した訳だが、トアは覚えていないだろうし、世間的には俺が殺したことになっているし、まあどちらにしろそこは俺でいい。


 マリシアスの目の色は変わらない。

 だが俺の言葉はこの状況において正論のはずだ。

 こいつは俺がニトだということを知らない。ただの大森林に紛れ込んだ人間くらいの認識だ。

 だというのに目の色は変わらず、まだトアをチラチラと窺っている。後ろの二人もだ。

 まったく俺の言葉が届いていない。


 するとその時、突然視界に何者かの影が現れた。

 それは俺の左脇から素早い動きで現れると、そのままマリシアスに近づき、そして、次の瞬間にはマリシアスの姿が消えていた。


 だがマリシアスは消えた訳ではないと、軽い砂埃と土煙、地面の軽く抉れる音、それに伴う衝撃音が聴こえたことで分かる――マリシアスは衝撃により、飛ばされたのだ。


「手癖の悪さと、平然と誤魔化す嘘つきなその口。相変わらず、まだ治ってはいないようですね? マリシアス……」


 ――リサさんだった。

 事前に魔力は感知していたため驚きはないものの、今のは中々な動きだった。

 もうメイドだとは思っていないが……そんなことより、今の魔力はなんだ?

 一瞬、魔力が爆発的に増大した。

 思わずカサンドラが俺の頭上より現れたあの時の、あの瞬間の出来事を思い出した。


「あなた方はルシウス様に戦争を仕掛けるおつもりですか?!」


「……」


 激昂するリサさん。だがマリシアスは答えない。

 一方でその問いは残ったエモとドーマにも向けられている訳だが、彼女たちは何と言うか、マリシアスに任せっきりといった様子だった。


「いえ、分かっているのですよね? 分かっていてこういった行動をとっているのですよね? そんなこと、あの時から私もルシウス様も……エレクトラ様だって、皆わかっています。あなた方シャステインは目的のためなら手段を選ばない。なんでも欲しいものは必ず手に入れる……あの汚い女の思想が根付いた、カサンドラの精神的奴隷です」


「もう一度言ってみろ! その舌――」


「――舌が、どうしたのですか? 二度は言いませんよ? あなたがた蜷局族は人の話を聞きません。そのような者に、もう私から言えることは何もありません」


「……リサーナ」


 マリシアスは鋭い蛇の瞳でリサさんを睨んだ。

 一方、リサさんは目を下に逸らす。


「覚えていますか、マリシアス? あなたはあの頃からそうでした」


 なんだ? 突然リサさんの雰囲気が変わった。


「トアトリカ様を渡せ。それがこの大森林の、魔国全土のためになる」


 マリシアスはリサさんの問いを無視し、ただ俺の後ろにいるトアだけを求める。


「私は魔法の習得と、自身の剣を鍛え上げることに必死でした。あなたはその間、くだらぬ者と群れを作り、高をくくっては適当なものを見つけ、陰で遊んで、、、いましたね?」


「昔話をするつもりはない。トアトリカ様を渡せ」


「昔話ではないのですよ。今も昔も、あなたは何一つ変わっていないと言っているのです。蛇人の末裔であるにも関わらず、そのご自慢の剣の腕すら猫族の私に劣る。学生の頃からあなたの剣が私に届いたことはない。それが何よりの証拠じゃないですか? あなたは他人を見下し、自分よりも下に見える者を虐めることに日々のすべてを注いでいました」


「若気の至りだ……」


 そこで立ち上がるマリシアス。その様子を見た後ろの二人も続いて立ち上がる。


「ですから、今も同じだと言っているのです。私は何度も忠告したはずですよ?」


「リックマンなどという肩書に恵まれ、いつも皆の中心にいたお前などに、我ら蜷局族の怒りが分かるはずもない。気安く語るな……お前になど理解できない」


「私があなた方へ理解を示したのは、あの頃が最後です。いつまでも魔族を恨んでばかりいるあなた方のことなど、もう誰も救おうとはしません。カサンドラが死んだ今、あなた方を理解する者ももういないでしょう。もちろん、ウルズォーラにもいません。ですがこれはあなた方自身が招いたことですよ? あの時……あなたは私の手を取らなかった。それで終わりです」


「しつこい奴だ……その目が気に入らない。昔からそうだった。偽善者め……どこかで救えると思っている。傲慢な女だ。見下しているのはお前の方だろ? 何のためかは知らないが、魔族でもなければ獣人でもない、獣人でなければ人間でもない。そんなお前の言葉など、誰が聞くものか……。お前は何者でない……だからいつも魔法と剣で誤魔化している。リックマンの肩書に隠れる。お前を救いだし連れ帰ったことは、偉大なるルシウス様の犯した唯一のミスと言える。そして、唯一にして最大のミス……汚点だ」


 その時、リサさんの足元に赤く燃え上がる魔法陣が出現し、無防備に下されている右手に微かな炎が灯った。


「ルシウス様への侮辱は許しません」


 リサさんがそう言う前から、マリシアスの目は恐怖と動揺に変わる。


「ハッ……ハッハッ……私を殺す気か?」


「同じ学び舎で時を過ごした者同士。そして何より……」


 すると何故か言葉を止め、突然に沈黙するリサさん。だが直ぐにまたマリシアスへ言葉を向ける。


「ウルズォーラに対する侮辱は許しません! マリシアス? もう昔とは違うのだと、そう何度も言ってきたはずです。ですがあなたは耳を傾けず、同じ皮を被った者同士でつるみ、挙句の果てには私にさえ同じような目を向けた。無理だと分かったあなたは直ぐに逃げることを選び、今日の今日まで他人と向き合わずただ恨むことばかりを続けてきた。そのつけ、、が、今日です」


「お前……」


 恐怖を抑えながら、怒りの形相で睨むマリシアス。

 こいつはリサさんを恐れている。

 この蛇の目ははったりということか。


 ここはこの人たちの国だし、起きた問題はこの人たち自身で解決するのが当然な訳だが、これは止めなくてもいいのだろうか? 

 トアを攫いにきたことは問題だ。問題だが……。


「《自我の媒春プタ・スティチュート》……」


 その時、リサさんの右手で微かに燃えていた炎から、細い線となった糸のような炎が螺旋状に上昇していく。ゆっくりと。

 そしてリサさんの直ぐ斜め頭上で止まり、蜘蛛が餌を糸で包み込むように、何もない宙を炎の糸が包み込んだ、、、、、。そして、綺麗な燃え上がる球体が生み出されていく。


 それは次第に肥大し、そして、リサさんの小さな頭三つ分くらいにまで大きくなると、動きを止めた。


「なんだ……」


 ――この魔法は?


 俺は自分にそう問いかけていた。

 何故この人がこんな魔術を使えるのか?――もちろん、俺の魔術の知識などたかが知れている。

 ハイルクウェートに在学していたあの時だって、さほど勉強熱心だった訳じゃない。そのほとんどを禁忌の部屋での生活、、に使った。

 だとしても、そんな無知な俺から見ても、この魔法は異質だ。


 まるで、深淵の……。


――『なんだ? 久々に燃やすか?』


「……」


 その声が聞こえた時、俺は自分の心拍数が上がっていることを自覚するほどに驚愕していた。

 心の声すら沈黙しているのだ。それほどに、一瞬ではあるが言葉を失った。

 ――炎が、喋っている。

 炎の球体には、くり抜かれたように尖った目が現れていた。だが眼球はない。中は空洞だ。

 その下には、ギザギザの歯のような突起がむき出しの裂けた口元。だが歯はなく、中はやはり空洞だ。


「潮時ですね…………殺します」


 リサさんの目が据わっている。やはり、この人はメイドじゃない。


「ふっ、リックマン一族の魔法か……ハッハッ……ハッハッハッハッハッ! ほら見ろ! 言った通りじゃないか! お前のその魔法自体が、リックマンという肩書を盾にして生きてきた証拠じゃないか! お前にはそれがあった! だから私のようにならなかっただけだ! そんな単純なことにも気づかず勘違いし、私の親切心を無下にしたお前に! 私を咎める資格はない!」


『昼飯は蛇の肉か? 焦がさねえように焼き上げてやる……』


 なんだこの炎は? まるで炎が意志を持っているようだ。

 俺は頭の片隅でヴェルのこと思い出していた。

 まさか……リサさんは……。


「正当防衛です。この国に害を為す者は、私が許しません……リサーナ・リックマンの名において! 処刑します!」


「フッ、フハッハッハッハッ!」


 恐怖と怒りが混ざり合い、マリシアスはおかしくなっているようだ。

 後ろの二人は完全に怯えた表情をしている。

 彼女たちにとって、リサさんはそれほどの存在だったのだろう。

 ならば何故、そんな出しゃばった口をきいていたのか……。


 リサさんは右手から伝う一本の赤い糸、、、で飼い慣らした、炎の化け物を掲げ、マリシアスたちに一歩一歩近づいていく。

 その目に殺意は見えず、心も同じく冷静だ。


 “いつも話を聞いてくれるメイドのリサ”――トアが何度かそう話していた。

 だが、目の前にいるのは冷酷な獣人だ。殺すことに躊躇いがない。


 そして言葉もなく、リサさんは意思を持つ炎を彼女たちへ振りかざした――

 ――だがその時だった。

 突然、森の中より木々の間を抜け、空中で流動する大量の水が、蛇のようにうねりながら現れた。

 それは即座にリサさんを包み込むと、彼女の手元にあった意思を持つ炎を容易くかき消す。

 そして水は現れた時と同様、空中でうねりながら森の中へと消えていく。

 湖の方面だろうか? なんとなくそんな気がした。


 目の前に残ったのはびしょ濡れのリサさん。そして――


「何をしている?」


 リサさんとマリシアスたちの間に入るように、そこに魔王――ルシウスさんの姿はあった。


「……ルシウス様」


 リサさんは濡れた髪をかき分けもせず、目の前の魔王から目を逸らさずにじっと見つめていた。


「父様……」


 そしてトアも自分の父親の姿に気づく。

 城に戻るだけのはずが、何故、こんなことに……。

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